マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

堺の自慢、ちゃりんこ・和菓子・うどんすき

2012-02-10 14:39:42 | Weblog

過日、訪れた堺宿院の「美々卯」。 
ご先祖は耳さんという姓だ。創業者薩摩平太郎は堺の料亭「耳卯楼」の四男坊として生まれた。
「伊勢長」「瓢樹」「つるや」などの名店で庖丁修業。その後、堺の「ちく満」で蕎麦を教わり、
大正14年、南区久左衛門町でそば・うどんの店「美々卯」は産声をあげた。





うどんすきを考案したのは昭和3年ごろっていうから、うちの母とほぼおない。
素材は吟味し、穴子などは堺の深清から地物を運ばせた。
一籠1円50銭。今の価格で1万円ほどになったという。
それでも客の人気は増すばかりだったそうだ。





料理や器に見るべきものがあるのは、創業以来。
平太郎は目の肥えた数寄者でもあった。
大阪の実業家たち常連の中には、画家の菅楯彦や吉井勇、谷崎潤一郎などの顔もあった。
妻きくさんの、気取りのない細かい気遣いが大層評判だったという。





本店のある御霊神社裏は、心斎橋が賑わう以前の繁華街。
神社内に人形浄瑠璃があり、船場の旦那衆はここいらで酒食を楽しんだ。
「一宝」の前身・天寅も、かき揚げで有名だった「梅月」もこの界隈にあった。

だが戦災ですっくり焼失。戦後すぐ平太郎は没し、名物女将キクは80歳まで生きた。





冬だってのに、凍結酒なんぞをいただく。

キクは晩年、本店から徒歩圏内にあった隠居所の前に小机出し、
ビニール袋に天かす、穴子の頭を入れて無人で売っていたそうだが、
ボクは母に連れられて見たその光景を、かすかに記憶している。
「半助アリマス」。

鰻や焼き穴子の頭を豆腐や葱などと一緒に炊くと、いいだしが豆腐に沁みる半助豆腐となる。
美々卯の大女将のくせにケチくさい…と思うなかれ。
始末のこころ、最期まで使い切る、無駄を出したくないという気持ちを持ち続けたということだ。





天ぷらもカラリと揚がり、実に結構である。





さて、美々卯の看板、登録商標のうどんすきが登場。
炊き込んでも伸びないように調整されたうどん。
寒い時はこれに限る。

かつて堺の実家で配達をたのんだら、材料を鍋ごと持ち込んでくれた。
今は知らない。





仲居さんが見た目もきれいに、鍋の面倒をみてくれる。
客に任せたら、グチャグチャになったりする。

だしも最後の最後まで飲み干したい。





ひとつだけ自慢させてもらうが、過去に薩摩卯一会長に取材させていただいた際、
すっぽん入りのうどんすきを食べさせていただいた。 すっぽんだぜ、あなた。
これはもう、むちゃくちゃ美味かった(接待用の特別誂えだろうが、要予約で食べられる筈だ)。

精がついてどエライことになりそうだが、なぜか、くしゃみが始まり、洟が止まらなくなり、
アレヨアレヨという間に風邪をひいてしまったという、みっともない体験がある。
食べ慣れないものは身体によくない。

コメント (6)
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