マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

ちょこざいな

2012-02-12 17:20:21 | Weblog


          
     

本気でもらうチョコなんて域はとっくに脱してしまい、かえって気持ちを込められても迷惑なのだが、
なんにもなしのずんべらぼんだと、やや気分の悪いバレンタイン。


なんとなく我々の年代ぐらいから始まったような気がして、
それ以前に都会では行われていたのか気になり、ちょっとだけ調べてみた。

戦前、モロゾフが神戸の英字新聞に載せたのは在日欧米人読者層に限った。
戦後、菓子業界は何度となくバレンタインを根付かせようと試みて来たが、
68年にソニープラザが打ち上げるも、やはり不発に。


             



ブレイクのキッカケとなったのは、やはり70年万博とみられる。
万博以降、生活様式の西洋化が進み、ボクの同級生女子たちは中1で知るも、
大人のイベントと思っていたらしい。


こんなおいしいイベントに飛び付いたのが、少女雑誌だった。
「チョコを武器に堂々と女子から告白できる…」とマスコミが煽りたて、
一気に多感な中学生女子たちは浮足立ったと聞いた。
ネットにも“70年代前半、小学校高学年から高校生までの「学生層」から広まった”とある。 
ああ、我々はまさにこの真っただ中にいたわけだ。
 
 
 

             



東京の娘らはさすがに情報も早く、小6ですでに渡してたとのこと。 クソませガキがぁ。

我々、大阪堺の田舎の中学にまで伝播するのは、中2の時。
廊下で渡されても、それほど驚かなかったので、ボクも薄々は知っていたのだろう。
でも、「も~ろた、もろた~」とヌカ喜びできなかったところを見ると、まだそれほど一般的ではなかった。
間に入った世話やき婆ぁのような女子に、
「ね、ホワイトデーいうのがあるん知ってる?」と言われ、
袋入りのマシュマロを買ってお礼に返した。
舶来のチョコとマシュマロで、差し引き得したのを憶えている。


          (チョコの画、お借りしました)



そんなこって、我々世代がバレンタイン・ファーストゼネレーション(第一世代)なのである。
バレンタインというイベントが始まったと共に、我々の人生も動き出したようである。

今や高級なチョコレートも世の中いっぱいあるが、
なんぼ食っても、お菓子屋で売ってる板チョコみたいなのが一番口に合う。
つくづく安物の舌を持ち合わせたもんだ。


コメント
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