マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

  行きつけの蕎麦屋で

2006-10-04 00:55:27 | 

蕎麦屋に行く時は、時間に余裕のある時しか行かない。昼時に黙々と蕎麦だけを啜って退散するなんてつら過ぎる。ほっとひと息いれ、暫し浮世を忘れて一杯やりたいから蕎麦屋に入るのだ。酒は島根の「豊の秋」。出過ぎない程の良さが清々しい酒。燗でもいける。焼き味噌を所望。しゃもじに塗った蕎麦味噌をさっと炙って出してくる。
         
老松町に部屋を借りている時、斜め前に「かんだ更科」という店があり、ちょっと気になった。
ある日、張り紙がしてあって、『当分の間、蕎麦はできません』と書いてあった。更科って蕎麦用語なのにけしからんと思って、ある日、店前を掃除していたご婦人をつかまえて、「どういうことなんですか?」と尋ねた。すると丁重に詫びられ、「今、息子が蕎麦の修行に行っておりまして、帰ってきたら蕎麦一本にしようとしておりまして」とのこと。何処へ行ってるのか訊くと、「小淵沢の翁へ」と言うではないか。その世界ではつとに知られた高橋邦弘氏の元だ。それではおとなしく待っております…と矛を収めた。

なめこ辛味大根。こういう腹に溜らないつまみが蕎麦前には有難い。
        
息子が戻り、屋号は「なにわ翁」となった。ちょっと落ち着いた頃を見計らって、昼下がりの時間帯に酒を飲んだ。なかなか蕎麦もよくできていた。はかなげな蕎麦の香りもぷんと香る。会ってみると勘田くんは若いし真面目な職人で、修行は伊達ではなかった。「初めて蕎麦で一杯飲んだお客さんです」といわれた。

蕎麦がき。蕎麦粉を熱湯で一気に掻きあげる。蕎麦切り誕生以前の食べ方を彷彿とさせる。東京の老舗などでは木の葉型にして、塗りの桶の熱湯に沈めて出すところもある。うちは親父が好きでよく家でやった。こいつを山葵醤油で。
        
師匠であり、翁グループの総帥、高橋さんにも何度かお会いしている。達磨の如き怖そうな人物だが、実は冗談好きな、そこそこ洒落も通じる人物なのだ。しかし蕎麦を打ってる時の空気は人を寄せ付けない。

牡蛎の時雨煮。こういうので一杯がたまんない。縮ませることなくふっくらと出汁で含め煮にしてある。針生姜。
        
料理の多くは勘田くんの母上の手による。惜しまれつつこの7月で辞めてしまったが、蕎麦ふるまいコースというのがあり、懐石仕立ての料理がいろいろ味わえた。息子が蕎麦一本にしたので、ご両親は料理の方にまわったのだ。その料理がまた出過ぎず、蕎麦とのコントラストがいい一品ばかり。それがこうして季節の一品物として残してある。

鴨のうま煮。あしらいは蕎麦菜。すっかり翁の定番料理となった。
そのままでも、かけ蕎麦にそっと沈めて食べてもいけるだろう。

        
一緒に畑を見に行った鷹峯の九条葱も見事に冬の名物、葱そばに仕上がっている。春の鯛そば、夏のうなとろそば、今は秋の里山そば、
冬の牡蛎そば、白魚そば、四季折々季節感が感じられる工夫を怠らない。

いちじくの白和え いちじくをあっさりした出汁でさっと煮てある。こうなると俄然酒のアテになってしまう。
        
シメに、祖父から相伝の出汁ものも頂きたいが、やはり、久々に来たからには定番で行かねばなるまい。で、ざるそばを…翁の蕎麦は二八。八が蕎麦粉、二が小麦粉だ。喉ごしのよさ。
        
蕎麦の歯ざわり、歯応え、香り、温度、山葵はおろしたてかどうか、いろいろポイントはあるだろうけど、来たら一気に早いこと食べるこった。
アタシなんざ、自慢にも何にもなりゃしないが、この蕎麦つまみながら飲める。やはり日本酒だ。
しばらく放っておいて、なかば乾いた頃、酒をササッとふりかけてほぐし、そいつをおもむろに食うという方法もある。それ位蕎麦と酒の相性ってのはいい。それは志ん朝師匠に教わった食べ方だ。

いつか、勘田父が揚げた天麩羅と息子の蕎麦のコラボレーションで天ぷらそばを出して欲しい。そばで、余りにキザだから禁じ手にしている「抜き」…台抜きにして、天吸いグビッ、酒グイッを繰り返したい。

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 イサト&武蔵野レビューで一杯

2006-10-02 21:39:20 | 芸能

千日前アナザドリームであった「中川イサト&武蔵野レビュー」。
武蔵野たんぽぽ団の面影を探りに行ってきた。
しょっぱな、軽快なジャグバンド風の「吉祥寺1972」という歌から。

         

中川イサトg、宮崎勝之md、古橋一晃g、竹田裕美子key・aco、大庭珍太bs、河野俊二ds、ゲストという形で村上律bj・sg
日本のフォークロック界に明るければ、律&イサトは聞いたことぐらいあるだろう。中川イサト氏は元々、五つの赤い風船のオリジナルメンバー。竹田女史は幻のアーリータイムス・ストリングバンドのメンバー。大庭珍太は高田渡のヒルトップ・ストリングバンドのベースで、宮崎君はジョパニーズ・ブルーグラスバンドのマンドリン奏者で…っと、こんなこと言い出したらややこしくて仕方ないだろう。

イサト氏はギター奏者として知らぬ者はいない存在だが、今まで舞台は地味な印象がある。今回も、花があるとはお世辞にも言えないのだが、7名を率いて期するところありなのだろう、リーダーになっていたし、長年舞台に立ち続けている人は、それなりに見せる芸になっているのである。

         

大庭珍太のよく歌うベースが心地いいし、律さんは数曲だけだったが、フシギな自分の世界を出してきたし、竹田女史はソツがないし、宮崎・古橋は巧いサイドマンだし、なかなかいい時間が送れた。と、同時に詮無きことだが、ミスター吉祥寺のような高田渡がここにいたら、どんなにか愉しいだろうな、とも思った。
(下は飯場ではない。楽屋でのイサト・律・珍太)

渡氏の唄を仲間うちで歌い継ごうということで、イサト氏が選んだのは「生活の柄」だった。

         

 
    『生活の柄』  詩/山之口獏  曲/高田渡


  歩き疲れては 夜空と陸との すきまにもぐり込んで
  草に埋もれては 寝たのです ところかまわず 寝たのです

   歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 
   歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです


  このごろは 眠れない おかをひいては 眠れない
  夜空の下では 眠れない ゆり起こされては 眠れない

   歩き疲れては 草にうもれて 寝たのです 
   歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです


  そんな僕の 生活の柄が 夏向きなのでしょうか
  寝たかと思うと 寝たかと思うと またも冷気に からかわれて

   秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない 
   秋は 秋からは 浮浪者のままでは 眠れない

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