軽雪五十周年記念誌上短歌大会開催
「巻頭言」より
軽雪が創刊されたのは昭和34年で、今年は第50卷、五十周年となりました。
従来、記念行事は合同歌集の出版と祝い旅行などを行って参りましたが、昨年創刊者の土屋正夫先生を亡くしました。
そこで今回は、五十周年と土屋正夫先生の一周忌を兼ねて、7月26日にささやかな集いをもち、誰でも参加できるように、記念誌上短歌大会を企画しました。
遺歌集である第十九歌集 「陶印」 (2008.7/27にUP) もご命日の7月27日に刊行されました。
先生の最後の御歌集をどうか皆様お読み下さり、最後まで短歌に情熱をかけてこられた先生をお偲びして頂きたい。
今日まで軽雪を支えてきて下さった多くの先輩に感謝し、また、新しい会員の皆様がそれぞれ出来ることで授けて下さっている事にもお礼を申し上げます。
これからも皆で向上していきたいと考えております。
誌上短歌大会の選者として外部から大島史洋先生に加わって頂きました。
厚くお礼を申し上げます。
上記の企画に35名の皆さんが参加され、今号発行の「軽雪」に入選歌が発表されました。
大島史洋先生選
一位 年とれば動物の様に単純でいいかまわりが回っていくもの SA様
寸評 こういう飄々とした老いを、私もむかえたい。
上句から下句にかけての展開にちょっと意外性があり、いいと思いました。
二位 父の名を書きたし古希を迎ふるに戦争遺児とふ呼び名は消えず 私の歌
寸評 悲しみの深い歌。びっくりしました。
どういう状況で出生されたのだろうかと、色々想像したりしました。
三位 師の逝きて春巡り来ぬあさなあさな見給ひし辛夷咲き満ちをらむ SI様
寸評 心のこもっている歌。さわやかな感じもいいです。
この度の事に、言葉にならないほどの感激を頂きました。
浅学の身ではございますが、今日までご指導を頂きました鶴岡美代子先生、そしてこの度の選者の大島史洋先生に心から御礼を申し上げます。
昨日、旅行準備のデパート巡りに時間を費やし、夕方遅い帰宅にポストに「軽雪」を確認。
今号には入選歌の発表有りに、早速開封をと思いましたら留守電ありの点滅に気づきました。
先輩の皆様からの嬉しいお祝いのお言葉でした。
私が短歌を始めました動機は、2000年、レイテ湾に散華した父への慰霊巡拝でした。
ただ一度、父に会ったことのあるような記憶の中で、親戚縁者から聞く父へのイメージが美化され、歳を重ねるたびに懐かしく父を偲ぶ気持ちを歌に詠み始めました。
勿論、素晴らしい先生との出会いがありましたことが一番大切に思う事でございます。
選者の先生にはとてもご心配をおかけしてしまいましたが私は 、父が通信の教官として海軍兵学校に勤務の時に「呉海軍病院」 で出生。
親戚縁者からは誰よりも幸せに誕生しました事を聞かされておりますが、両親の愛情に勝るものはない!と長い間、勿論今も思い続けております。
この度の感激を励みとし、命ある限り鎮魂の歌を読み続けたいと思います。
鎮魂歌は毎月発行される 日本遺族新聞「九段短歌」に投稿しております。
投稿開始から平成21年10月15日号にて5年めを迎え、貴重な紙面に丁度50首の掲載を頂くことが出来ました。
投稿歌より抜粋
わが生れし江田島訪へばよみがへる母に抱かれし遠き日恋し
呆然と戦死の公報握りしめ若き日の母土間に立ちゐつ
なきながら戦死の公報握りゐし若き日の母眼裏にあり
かの夏の薄暗き本堂に父の名の白木の箱抱く母は二十五歳
われ5歳白木の箱に寄り添ひき父の戦死を知るよしも無く
父戦死(なき)後祖父母のもとで嫁ぎたる母を恋ひたり夜の頬の冷え
変色の軍事郵便読みをれば非常時国防銃後と続く
「クレデマツ」の最後の電報色あせて母の遺品の中より出でぬ
散華せし父の温もり知らぬ吾に慰霊の旅路波音たかし (慰霊巡拝にて)
父の魂乗りゐむ「鳥海」へ届けよとレイテの海へ献花を捧ぐ (同 上)
再婚をせし母の名を添へられぬ位牌を抱きてレイテを訪ぬ (同 上)
三ヶ根山に高くそびえる比島観音五十万のみ霊に慈愛をそそぐ (愛知県三ヶ根山)
殉国の七士と刻む墓訪ぬお香を焚きつつ心は迷ふ (同 上)
ブーゲンビル島にて撃墜されし五十六の搭乗機の椅子赤錆の浮く(山本五十六記念館)
検閲に本意書けざる文のなか吾の成長ひたすら祈れり
海軍が海軍がねと語りゐる卒寿の叔母の涙に濡れて
墓石に海軍中尉の彫り深しレイテに果てし父偲ぶ文字
父らしき人の背にゐしわが記憶ただ一度の夢かはかなし
哀悼の「靖国の家」の標識も語るも今や知る人少なし
房総の「平和の礎」に刻まるる1600余のみ柱のみ名 (沖縄戦跡巡拝)
一村の全滅したる跡に建つ「しづたまの碑」に花絶ゆるなく (同 上)
訪ふたびに涙にかすむかの日々よ摩文仁の丘に平和を祈る (同 上)
過去の日のありて今在る幸せを思ひて八月武道館にあり
三月十日の映像いく度も繰り返す焼夷弾の雨と焼け跡の叫び (東京空襲)
空襲に焼かれし人らの脂にて言問橋に黒じみ残る (同 上)
我知らぬ父の戦歴調べゐる文書の文字が涙にかすむ
父の名を書きたし古稀を迎ふるに戦争遺児とふ呼び名は消えず (短歌大会第二席に入選)
正座して玉音放送聴きし日はわれが五歳のあの夏座敷
戦争の傷跡深しわれら今語り継ぎゆくも父は還らず
亡き父を偲びて詠みし歌幾十小さき歌集に収めて供ふ
父偲び九段短歌に歌詠みて貴重な紙面に五十首となりぬ