千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成21年 5月度定例会
千葉県匝瑳市 ・ 旭市を訪ね、新会員歓迎会開催の旅 !
入 場 券
自然と歴史に育まれた千葉県匝瑳市には明治7年まで日蓮宗の学問所であった飯高寺(はんこうじ)(飯高檀林跡) 18世紀 後半に建設され彫刻を多用した飯高神社(いいだかじんじゃ)が
あります。
匝瑳市の職員の方に解説をして頂き、飯高寺に伝わる秘宝を見せていただきます。
旭市では、幕末農業改革を行い、世界最初の農業協同組合(先祖株組合)を結成し、農村を救った知の侍、大原幽学に関する資料を展示してある大原幽学記念館や旧宅のある大原幽学遺跡史跡
を訪ねます。
23期生新会員歓迎会を旭市「いいおか」で開催します。
新会員 ・ 現会員との親睦会です。多くの皆様にご参加頂き 出会いの場 を持ちたいと思っております。
上記のご案内に歴史倶楽部開部以来の大勢の会員が参加され、郷土の歴史探訪を楽しみながら会員相互の親睦を深めました
1.開 催 日 : 5月13日 (水) たり
2.集合場所 : JR千葉駅 NTT前 7時半
3.参加人数 : 101名
【旅先紹介】
1.市民ふれあいセンター (匝瑳市役所隣)
縄文 ・ 弥生時代に使われたと推定される 丸木船 がロビーに展示されています。
2.西光寺 (米倉山白亳院西光寺)
会長さんの より 参拝を終えて
3.飯高神社 (いいだかじんじゃ) 本殿は千葉県指定有形文化財
本殿・拝殿を取り囲む瑞垣からなる本格的な神社建築。
拝殿内部の天井には植物を描いた133枚(1枚欠損)の板絵がはめられているほか、瑞垣の「二十四孝」の彫刻など見どころのが多い。
飯高神社に向かう140段の石段 素晴らしい彫刻が施されている本殿 会長さんのより
4.飯高寺(はんこうじ)(飯高檀林跡)
飯高寺は、1560年(天正8年)に開設され、1874年(明治7年)まで名僧を輩出した日蓮宗の最古で最高位の檀林。
1560年の飯高檀林開設以降、関東八大檀林、関西六大檀林へと発展して全国に諸檀林が出来、1872年(明治5年)の「学制」発布により同7年に廃檀となり、294年間の歴史を閉じることになる。
その後、日蓮宗大学にその役割を譲り、現在の立正大学と至り、そのため、立正大学発祥の碑が建てられている。
また、同県成田市三里塚の地名の由来の基点にもなっている。そのほかにも、この周辺にはいくつかの神社や寺院、黄門桜などがある。
最近までは歴史的建造物を保存するために、本堂の改修工事が行われていた。
檀林とは栴檀林の略語で僧侶の集まりを栴檀の林にたとえた、つまり寺院の尊称であるとともに仏教の学問所を意味する。
総 門 鼓楼を前に匝瑳市役所實川理様の説明を聞く
総門に立ちて参道眺むれば学僧の跫音(あおと)聞こえ来るごと
境内に立てば往時の偲ばるる不思議な異空間霊気さへ憶ゆ
講 堂 立正大学発祥之地記念碑
鐘 楼の国指定重要文化財の立て札 鐘 楼
立正大学短期大学部歴代学長 について
初代 石橋 湛山 学長 以来、女人禁制の中で 6代目にして 初の女性学長 杉原 由機(ゆき)学長が誕生いたしました。
御世話になりました先生が、高校の先生から大学の先生に、後に学長に選出され、70歳まで学長を勤められました事を伺い、とても光栄に存じました。
御縁とは不思議なものでございます。
尊敬する杉原先生のお住まいの近くに嫁ぐ事になろうとは、不思議な御縁に当時はビックリ致しました。
傘寿を迎えてお元気にお過ごしの先生のご健勝を 申し上げながら親しくお目もじ頂けます機会を幸せに存じます。
立正大学発祥之地碑 風雪に洗はれ彫りの文字(もんじ)薄るる
歴代の学長の名に女性初の恩師の名あり「杉原由機」と
講堂に読経流るるもそら耳かこの静寂にしばし身をおく
5.飯岡歴史民俗資料館
考古資料をはじめ、農機具や漁具、生活用品の資料などから、農業・漁業を中心とした町の産業の歴史や当時の暮らしの様子を知ることができます。
又、天保水滸伝の資料展示コーナーでは、郷土の偉人「飯岡助五郎」の功績をたどることができます。
6.大原幽学遺跡史跡 ~ 世界最初の農業協同組合 ~
《幽学の業績》
■農業技術の改良
植え付け・収穫時期、正条植え、肥料の作り方など巡歴中に習得した優れた農業技術を導入・指導した。
■農業生産の合理化
年中仕事割日記の作成(年間計画)宵相談(日々の仕事割付)など、今に通じる合理的な作業計画を導入した。
■耕地整理等農村基盤の整備
生産性の悪い土地を分合、住宅を耕地近くに移転するなど農村基盤の整備をはかった。
■先祖株組合・消費組合の設置
加入者は、金5両相当の耕地(先祖面)を出資し、そこからうまれる利益を無期限に積み立て、これを親や先祖のための資金共有財産)とした。
また、日用品の一括購入という消費組合制を導入したといわれたいる。
これは、当時の徳川封建体制の下で、現在のJA(農協)を組織したということであり、その企画力、指導力はまさに画期的なことではないだろうか。
先祖株組合は世界で最も早い産業協同組合といわれ、当時多かった潰れ百姓等の救済が目的であったという。
それらの教えは現代の旭市の農業基盤を作り、今も 「幽学先生」 と呼び親しまれ、地域の人々の心の拠りどころとなっている。
(1)大原幽学記念館
記念館は大原幽学および郷土の歴史、民俗等に関する貴重な資料を収集して保管、展示して一般公衆の利用に供し、地域文化
の発展に寄与しています。
(2)旧宅 ~ 国指定史跡 ~
生前の居宅兼教導所。幽学自らの設計で遠藤伊兵衛が提供。後に住居として改築。質素で丈夫な造り。
特徴の一つがすべての用材に6つずつふしが見られる。 屋根はもともと茅葺だったが大正末に銅板に改修された。
大原幽学記念館 旧 宅
会長さんを初め、役員の皆様のおかげで歴史倶楽部始まって以来の大勢の皆様と御一緒に郷土の歴史を学ぶ機会に恵まれ、健康的な有意義な散策が出来ましたことに感謝を申し上げております。
貴重な資料及び会長さんが撮影された素晴らしいお写真を頂き「旅の思い出」が綴れますことも喜びとするところでございます。
未熟なブログですがお読みいただきまして、訂正箇所などご指摘頂けましたら幸いに存じます。
歴史倶楽部の益々のご発展と役員の皆様並びに会員の皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
誠に有り難うございました。