平成21年5月靖国神社社頭に掲示された遺書
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美様 (26歳)
昭和19年7月18日 マリアナ諸島にて戦死 合掌
伊藤様の遺書「よき同伴者を求めて下さい」より一部転載させていただきます。
季代子、かう呼びかけるのが最後になりました。
短かったけれど優しい妻でした。有難く御礼を申し上げます。
(中 略)
未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思います。
(中 略)
幸福な生活をして頂けますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して哀しみません。
(中 略)
どうぞ御健やかに御活(おくら)し下さいます様お祈り致してゐます。
さやうなら
この遺書をしたためられましたお気持ちはいかばかりかと、ただただ心からご冥福をお祈り申し上げるばかりでございます。
哀悼の「靖国の家」の標識も語るも今や知る人少なし
上記は私の拙い歌ですが、遺族の皆様の玄関先に掲げられた 「靖国の家」 の標識をご覧になったお方がいらっしゃいますでしょうか。
私は微かな記憶の中に蘇って参ります。
戦争を知らない世代の方が多くなって参りましたが、私達遺族にとりましては生涯忘れることの出来ない大きな悲しみです。
過去の悲しみを誰に訴えたらいいのでしょうか。 その術を知りません。
私達は過去の悲しみを記憶し、戦争の悲惨さと、散華された尊い犠牲を風化させることのないように語り継ぐ使命があると考えます。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたので、ご一読頂ければ幸いに存じます。
あらためて牛歩で行こう振りかへり忘る事なく戦体験 米子市 女性
国難に殉ぜし父の死地訪ね行くさの愚かさしみじみ思ふ 宇和島市 男性
戦没者に追悼のことば捧げきてわが裳にひそむ菊の移り香 横手市 女性
「今度こそ」と復員船の記事読みてわれに聞かせり父待つ母は 青森県 女性
シベリアの留地で迎へし父の死を知るすべも無く早六十四年 大阪市 女性
ひたすらに亡父に代りて家の為働きし友母のこし逝く 南相馬市 男性
東洋のガラパゴスとふ硫黄島の植生乱るるギンネム繁茂し 富山県 男性
厳しさの立春に立つ大鳥居国を護りし御霊安かれ 篠山市 男性
初詣で護国の御神籤大吉に心のままに驕るなかれと 名古屋市 女性
遺児吾は父が戦死の桂林を訪ねし街は華やぎてやさし うきは市 男性
兄をれば九十八歳節分に軍服の遺影に豆を供へり 京都市 男性
三月十日の映像いく度もくり返す焼夷弾の雨と焼け跡の叫び 千葉市 私
三月十日とは 東京大空襲 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm です。