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日本遺族通信 平成22年3月15日号の遺書と九段短歌

2010年03月26日 09時32分46秒 | 日本遺族通信

 
         平成22年3月 靖国神社社頭に掲示された遺書
         福島県出身 海軍大尉 橋本 光雄 様 26歳
       昭和20年3月11日 インドシナ東方海上にて戦死 合掌

「涙の出る限り泣いてください」とご両親様に宛てた遺書です。
光雄、このたび、海軍予備学生に志願中のところ、採用予定者として1週間の後、家郷を出でんとす。  
                   (中 略)

世人或いは云はん。何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。
されど大学は立身出世の為の大学にあらず。祖国なくして大学なく、祖国なくして家もなし。  
                   (中 略)

光雄が死ぬときは天皇陛下萬歳、 大日本帝国萬歳と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。(中 略)
人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。(中 略)かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。(中 略)
生涯(こしかた)を光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる母が慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん。(中 略)
  昭和18年9月1日
ご両親様

上記に遺書の一部を転載させて戴きました。
お母様を恋しいと慕う24歳(遺書は戦死の2年前のものですので)の青年が「祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。」 と遺された遺書。
ご両親様のお気持ちはいかばかりでございましたでしょうか。 合掌
こんな悲しい事は二度と繰り返してはなりません。私達遺族は、悲惨な戦争の事実を語り継ぐ義務が有ると考えます。
今年は戦後65年を迎えますが、遺族の悲しみが失せることはありません。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたので、ご一読頂ければ幸いに存じます。

  “父戦死”の報に夜毎の母の涙五十年前の忘れぬ面影           滋賀県 女性  
  赤ままを手折りつつ墓処の径夫の知らざる曽孫をともなひ        横手市 女性
  夫を待ち涙流しつ植ゑし田に時代変りて稲穂は見えず          山形県 女性
  音立てて戦地の土に浸みてゆく父の好みしふるさとの酒         青森県 女性
  征く叔父を小旗を振りて見送りき仏間の写真今我を見守る        青森市 男性
  収骨の日々のさまざま偲ばれて昨日の如く眼裏に顕つ        出雲市 女性
  戦友焼きし曠野に炎消ゆるとき沈みゆく日よ草紅葉映ゆ       篠山市 男性
  ひと杓の清き水捧ぐ兵士像に雅楽に和める秋のみたま祭      名古屋市 女性
  戦死せし父を知らねどわが振舞父に似てきしと亡き母の言ふ    うきは市 男性
  亡き兄が最後となりし滞在地母と訪る尾道の宿             横浜市 女性
  波よせる伊良湖岬に浦うらめ海に果てにし兵を悼みぬ        常滑市 女性
  戦地よりの文の末尾に「住所変更」と朱書きせし気遣ひ今も吾を打つ    千葉市 私

コメント (6)
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