彫刻の部 役員27展 会員15展 公募36展 計78展
彫刻の部展示会場 「想」(理・審)中嶋 知恵子先生(元子供の先生)
書道の部 役員127展 会員72展 公募104展 計303展
審査員の先生方の作品会場 入賞者の皆様の作品会場
「心月輪」(審査員)後藤先生の作品 「心月輪」良寛書 HPより転載させて頂きました
「心月輪」という鍋ぶたの解説 http://www.ac.auone-net.jp/~ryoukan9/Temari/temari409.html
(HPより一部転載)
分水町牧が花の解良家に、良寛の筆で「心月輪」と記した円形の坂がある。これは、昭和29年2月に、新潟県の重要文化財(書跡)に指定されて名高い。
この板は、直径42.2センチ、厚さ9ミリで、上方三分の一弱の所にさけ目が入っている。字の書いてある面から見ると、左から右に向かって入ったさけ目である。
良寛は、右から左に向かって「心」「月」「輪」と書き、左側の中ほどから小さく「良寛書」と、縦に書いている。
良寛の書の由来としては、いくつかの話が伝えられている。
その一つとして、次の話がある。
ある時良寛が解良家を訪れると、桶屋が大きな鍋のふたを作っていた。削り終えた桶屋は、取っ手をつけるために溝を彫ろうとした。
彫りやすいように、板の木目に沿って鑿(のみ)をあてて槌(つち)で叩いた。そのとたん、さけ目が右から左へ走ってしまった。
がっかりして割ろうとした桶屋を見、良寛はその板をもらい、裏に「心月輪」と書いてやった。
解良家では、その板を台所の梁(はり)へ掛けておいたので、すすけて字が消えそうになってしまった。
そこで、字の輪郭を彫って白い墨を入れたものという。
鍋は三升だきの物で、ふたには取っ手が二つ付くはずであったという。そのため、中央より上方に、一本溝が彫られようとしたのである。
今でも鑿の跡が、はっきり残っている。初め、熱い鍋を置いたのか、少し焦げ目のような跡がある。そこで鍋敷きにしたことがあったのではないかという説もある。
市民展会場において市川蘭華先生から良寛さんの「心・月・輪」の説明を頂きました。
この度、良寛さんの歌を学ばせて頂きましたので先生のお話に興味深く、改めてHPにて学ばせて頂きましたのでご紹介させて頂きました。
「高野素十の句」(理・審)師作品 依嘱100名余から1名のみ推薦作品 「山里」 かなの書き方を学ぶ先輩作品
「土方歳三の歌」かなの書き方を学ぶ先輩作品 「良寛の歌二首」 私の作品
以上、ご紹介のほかに出品部門は 日本画 計78展、写真 計64展、グラフィックデザイン 計45展 総出展数1025展の作品が一同に展示され、毎日多くの来訪者を頂いて
おりますことをお伺い致しました。
市民展出展2年目の未熟な作品ですが、良寛さんの優しさ、春の風景が表現できますように墨の色などに注意してお清書致しました。
書道公募者104名の中に加えて頂けましたことに健康に留意して今後も精進して参りたく考えております。
最後までお訪ね頂きまして有り難うございました