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日本遺族通信 平成29年1月15日号 遺書・九段短歌休載4ヶ月目

2017年01月17日 22時18分11秒 | 日本遺族通信


                  平成29年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

九段短歌 は休載から4ヶ月目を迎えました。
       選者の三井先生のお身体をご案じ申し上げております。

遺   書 日本遺族通信の毎月の「愛しきものへ」の遺書を拝読させて頂きますたびに大きな悲しみに涙が溢れ、戦争を憎みます。
      
父が遺した軍事郵便 には「遺書」らしい文面の軍事郵便が無いことに改めて気づきました。
    もしかして母が・・・
    本日、久々に父の関係書類から何十通もの父の手紙を手に致しました。
       幼い時から父の文字に憧れ真似ては練習しておりましたこと、父からの手紙には必ず私の名前が登場しておりましたこと、母が送った
    写真で私の成長を見守っていてくれこと等にふれながらも年月日の無い手紙に最後の手紙は?に父を偲びました。
      
      
       お手本でした父の文字

(ある時の軍事郵便より)
内地は大変涼しくなったらうね。

此の手紙の届く頃には寒くなるだらう。

當方は相変らずの暑さだ、愈、内地へ歸還出来ないと決まったので落ち着いてゆっくりやって歸へるよ。

最近手紙が少なくなった様だが別に変った事は無いね。

僕の方からも近頃は来た頃に比較して少なくなった様な気がする。

嘉子の寫眞を送ると前に言って来たが、仲々届かないね。嘉子はお父さんを覺えて居る様子が見へるか。

嘉子の寫眞を見る度に早く歸へって抱いてやりたい気がするが、今はそうした平和な時ではないしお互いに一身上の事は後回しだ。

兎に角、僕は毎日愉快に元気にやってゐる。こちらは全く心配ないから嘉子を明るい人に育てなくてはいけないよ。

國を擧げての非常時にお互いが離れて生活する位なんでもない。

元気でやりなさい。                                              三 郎

軍事郵便の一部ですが、父母は8歳の差がありますのでお兄さんのような文面に思います。
私が昭和14年6月呉海軍病院に出生時は父は兵学校の通信の教官として勤務中にそばに居てくれましたことに、「一番幸せな時に生まれたのよ。」と、親戚縁者から聞かされておりましたが残念!私は記憶にありません。
今となっては沢山の軍事郵便に励まされ、父の願った「明るい人」になれました?と父に伝えたく思います。

短歌を始めた頃、九段短歌に掲載頂きました軍事郵便を詠んだ歌     

  平成16年11月15日号 検閲の軍事郵便に父の名のありし手紙保(ふみも)ち六十路過ぎたり

  平成17年 6月15日号 散華せし父の手紙の文字なぞり生きる糧とし導かれ来る

  平成18年 2月15日号 春も過ぎ夏秋も過ぎと父の書く軍事郵便何語りたかりし

  平成18年11月15日号 変色の軍事郵便読みをれば非常時國防銃後と続く

  平成19年 9月15日号 検閲に本意書けざる文のなか吾の成長ひたすら祈れり

私事に多くの皆様にお訪ね頂きまして有り難うございます。
心から御礼申し上げます。 

コメント (4)
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