沖縄県 戦没者追悼式 沖縄戦から79年 「慰霊の日」合掌
沖縄は23日、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」で、平和の祈りがささげられています。
最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。
・正午 黙とう
平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、岸田総理大臣や沖縄県の玉城知事のほか一般の人も参列し正午には全員で1分間の黙とうを捧げました。
・玉城知事 「平和宣言
玉城知事が「平和宣言」を読み上げ「いわゆる安保3文書により自衛隊の急激な配備拡張が進められており悲惨な沖縄戦の記憶と相まって私たち
沖縄県民は強い不安を抱いている。今の沖縄の現状は無念の思いを残して犠牲になられたみ霊を慰めることになっているのか」と述べました。
そして沖縄が本土に復帰する際に政府が出した声明に触れた上で「沖縄県民が願う平和の島の実現のため在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場
の1日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきだ」と政府に対し訴えました。
・平和の詩「これから」朗読 宮古高校3年 仲間友佑さん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/14/4b2db2da548650fc2a7741843d884100.jpg)
式典では県立宮古高校3年の仲間友佑さんがことしの「平和の詩(し)」に選ばれた「これから」を朗読しました。
・平和の礎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/06/44789c4ed71d89f6795c0d31c190146b.jpg)
20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎え、戦没者を追悼し、平和への願いを新たにする一日となりました。
糸満市の「平和の礎(いしじ)」や「魂魄の塔」では、朝早くから遺族などが訪れ、静かに手を合わせて平和への祈りをささげました。
以上はNHK報道から転載させて頂き保存させて頂きました。
沖縄の戦跡慰霊巡拝に過去4度訪れてそれぞれの地に手を合わせてまいりましたが、見るも、聞くもとても堪えがたいことばかりでした。
特に「ひめゆり平和祈念資料館記」の見学は女性として言葉に言い尽くせない悲しみに涙が止まりませんでしたことを思い出しております。
沖縄戦に犠牲になられました多くのみ霊のご冥福を心からお祈り申し上げまして大切な日の記録とさせて頂きました。
ここに2006年11月最初の沖縄戦跡慰霊巡拝のブログを振り返ってみました。
年を追う毎に認知されて来ましたことを嬉しく思います。
本土決戦の時間稼ぎ 沖縄県民間人の死者が半数に及んだことを
思いますと捨て石にされたのだと強く感じました。
たった一人の誤りが多くの人の命を奪い感情が理性を抑制した結果が命を粗末にしてしまったのではと思います。
高校生の平和の詩「これから」を聴きながら彼の母方の祖父母が戦後生まれという
其れだけの年月を過ぎて尚戦いの止まぬ世界を憂い
平和の大切さを訴えていました。
理性の勝った彼の言葉ひと言ひと言が胸に迫り
平和のバトンを引き継いで言っていることを感じました。
いま生かされているのは先人達の犠牲の上に成り立った平和であると言うことを
忘れてはならないと強く感じました。
「高校生の平和の詩「これから」・・・」↑の感想を伺い、遅ればせながらPCの
動画で彼の朗読を聞くことができましたので、全文を紹介させていただきました。
「平和のバトンを引き継いで言っていることを感じました。」↑ですね。
さすが沖縄の高校生、素晴らしい訴えでした。
旅した20年前まで知りませんでした。
あの旅行から沖縄の犠牲者を思いますと、
沖縄に足を向けて眠れないと思うようになりました。
あまりにも犠牲者が多すぎて。
「20年前まで知りませんでした。」↑
私も遺族会のお役を受けます前までは知りませんでしたので20年前頃です。
「沖縄に足を向けて眠れない・・・」↑です。
沖縄の慰霊の折に見聞きしましたことにあまりにも残酷で言葉がありませんでした。