平成29年度の市民展出品作品は 「早発白帝城 李白」 の詩を下記のように3行書に決めました。
「早発白帝城 李白」についてHPより転載して学びたく思います。
朝辞白帝彩雲間千里江陵
一日還両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山 李白詩 ○○書
「読み方」 早に白帝城を発す 李白
朝(あした)に辞(じ)す白帝(はくてい)彩雲(さいうん)の間(かん)千里(せんり)の江陵(こうりょう)一日(いちじつ)にして還(かえ)る両岸(りょうがん)の
猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まざるに軽舟(けいしゅう)已(すで)に過(す)ぐ 万重(ばんちょう)の山
現代語訳
朝焼けの空に五色の雲が美しくたなびく中、白帝城を出発し、千里先の江陵まで一日がかりで戻ってきた。両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに、
私の小さな舟はもう幾万にも重なった山々を通り過ぎてしまう。
【白帝城】について
後漢の頃、公孫述が白帝と称して築いた城。現重慶市奉節県。
その後、三国志の劉備元徳が亡くなったことで有名になりました。
呉の陸遜に追い詰められた劉備軍はこの白帝城にこもり、劉備はそのまま病没します。
現在はダムができたため、浮島になってしまいました。
山頂には劉備を記念する白帝廟があります(「山頂」ていっても船着場から15分くらいで上れますが)。
白帝城は三峡下りの起点であり、三峡は険しい渓谷がつらなり猿が多いことで有名です。
「峨眉山月の歌」と並び、李白が三峡下りを歌った詩の双璧ともいえると思います。
白帝城から江陵までは実際には千里どころか千二百里(600キロ)あり、しかも直線ではなくヘアピン状に蛇行しています。
とても一日では行き着けないのですが、そこを「一日で行った」と言い切るところにスピード感があります。
作詩時期については諸説あり、結論が出ていません。
1.李白が故郷を出る25歳の頃
2.永王李リンの乱に荷担した罪で夜郎に流されかけるが恩赦で許された59歳の頃
3.三峡下流の湖北省安陸に安住していた27-37歳の頃
提出まで僅かに迫りましたが、体調管理に努め、納得できる作品を提出できますように頑張ります。