奈良の前田様から「新沢千塚古墳群」について詳しい説明にお写真を添えて 頂きましたので是非ご覧いただきたくご紹介させて頂きます。
「メールに頂きましたお言葉より」
新沢千塚古墳群は橿原市の西南部【旧奈良県高市郡新沢村】川西町・一町・北越智町に所在し、総数約600基と言われ国史跡に指定されています。
新沢千塚古墳群は橿原市の西南部【旧奈良県高市郡新沢村】川西町・一町・北越智町に所在し、総数約600基と言われ国史跡に指定されています。
昭和30年代に、一町一帯の古墳群は農林省のパイロットファームの助成を受けてミカン畑に造成するため、発掘調査が行われ古墳は無くなりました。
古 墳 公 園 シ ル ク の 杜
橿原市博物館 126号 墳
自生している笹ユリ 前田様が手ぬぐいやハンカチを表装した掛け軸の作品を展示
新沢千塚ふれあいの家
現在は川西町・北越智町にまたがり、300基余りの群集墳を対象に整備が進められています。
新沢千塚古墳群は4世紀の終わりころから始まり、6世紀代に最盛期を迎え7世紀の初めころまで築造されたと考えられています。
昭和50年代に奈良県の柳生出身者で哲学者の由良哲次氏が、新沢千塚古墳群の研究保存に、奈良県に1億円・橿原考古学研究所に3億円を寄付し、由良大和古代文化研究基金を設立されたことから、用地の買収から発掘調査、古墳群の整備と続いています。
現在は県道北側部分の整備が終わり、南側部分の整備が進められています。
すでに発掘調査の終わった北側部分では、126号墳の出土品が最も注目されその大部分は重要文化財に指定され、東京博物館に保管されています。
古墳整備に伴って子供の遊び場を含む公園や、新沢千塚ふれあいの里農産物直売所等も設けられ、休憩スペースやトイレも設けられています。
休憩所には作品展示スペースもあって地元住民が利用できるようになっています。
5月~6月は私が借り受けて、手ぬぐいやハンカチを表装した掛け軸を展示しています。
5月末には万葉歌碑等の拓本の掛け軸に展示替えする予定です。
5月末には万葉歌碑等の拓本の掛け軸に展示替えする予定です。
古 墳 公 園 シ ル ク の 杜
橿原市博物館 126号 墳
前田様から追伸を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
シルクの杜看板の左端に小さく映っている山が、大津皇子の眠る二上山です。
126号墳の後方に見える山が、名勝大和三山の畝傍山です。
126号墳の後方に見える山が、名勝大和三山の畝傍山です。
自生している笹ユリ 前田様が手ぬぐいやハンカチを表装した掛け軸の作品を展示
新沢千塚ふれあいの家