「ネット報道より転載」
76年前の沖縄戦で、旧日本海軍が陣地を構えた海軍司令部壕で、戦没者慰霊祭が行われました。
6月13日は、沖縄戦で旧日本海軍を指揮した大田実司令官らが海軍司令部壕内で自決し、海軍の組織的戦闘が終結した日から76年となる節目の日です。
豊見城市の海軍壕公園では13日、犠牲となった人々を悼む慰霊祭が行われました。
新型コロナウイルスの影響で去年に続いて遺族らは参列できず、山川豊見城市長ら関係者20人が慰霊塔の前で焼香しました。
「人類普遍の願いである世界の恒久平和をこの号から絶え間なく発信し続けることをお誓い申し上げ哀悼の言葉と致します」(海軍壕公園を運営するOCVB下地芳郎会長)
海軍壕公園では新型コロナウイルスの影響で修学旅行など教育目的での利用者が激減していて、例年と比較すると昨年度の来館者総数はおよそ4分の1以下にまで減り、運営に影響が出ていると
報道されました。
下記の は平成18年11月23日~25日 千葉県南方諸地域戦没者追悼式・戦跡巡拝に参加して の折に撮影した写真です。
海軍慰霊塔 大田中将自決の部屋(平成18年慰霊の折に撮影。現在は撮影不可)
司令官室の壁面には 「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」と大田中将の歌が鮮やかに残されていました。
昭和20年6月6日、決別電報と辞世の句を打電。
同日夜、沖縄県民の献身的な戦い振りを述べ、後世にわたる国の配慮を訴えた世界史上不朽の 電文 「沖縄県民斯く戦へり」 を打電。
6月13日幕僚6人とともに自決、54歳の仁愛と波乱に満ちた生涯を終える。
辞 世 身はたとへ沖縄の辺に朽つるとも守り遂ぐべし大和島根は、平成18年には撮影出来ましたが、現在は近くまで行かれず、撮影も不可と聞いております。
平成18年追悼式参列の折りに、バスガイドさんが「千葉県の方に足を向けて眠れません。」とお話下さいましたことが思い出されます。
千葉県民の一人としても大切なお方を偲んで参りたく考えております。
大田實中将の顕彰碑
(写真とお言葉はHPより頂きました)
「顕彰碑」
昭和48年6月千葉県長柄町高山にある生家の長屋門入り口左側に有志により顕彰碑が建てられています。
太平洋戦争末期の沖縄戦で自決した海軍部隊司令官、大田實中将の命日にあたる6月13日、長柄町高山の生家に隣接する顕彰碑前では
毎年慰霊と供養の集いが行われておりますことが報道されますが、今年は新聞紙上に探すことができませんでしたので顕彰碑のみご紹介させて頂きました。