比企の丘様のご紹介 2008-07-30 | 語り継ぐ責任 あの戦争
湯川れい子さんのお話から・・・兄の遺した口笛「Sleepy Lagoon」
先々週の7月20日(日曜日)、音楽評論家・湯川れい子さんのお話を聞きました。某町の某グループの企画した講演会です。
そのときの話は7月21日にエントリーしましたが今日はそのときの話と重複する話です。
7月27日深夜(正しくは28日早朝)、某テレビ局の「わたしが子どもだったころ」というシリーズ。
深夜番組ですから録画してあとからの視聴しました。子ども時代の湯川れい子さんの話です。
18歳年齢の違う兄が徴兵で戦争に向かう前、母や妹のために口笛を吹きながら防空壕を掘っていってくれました。
戦地に向かう前に小さかった湯川さんを抱いて兄は宵の明星を指差しながら
「おぼえていてね、あれが兄ちゃまだよ」といったことが最後となったそうです。
兄はフィリピン・ルソン島で戦死。この兄が吹いていた口笛の曲が「Sleepy Lagoon」というアメリカの
スイング・ジャズであることがわかったのは終戦後、ラジオでFEN放送を聞いているときだったそうです。
戦争はすべての環境をガラッと変えます。日本が大戦に突入しなければ湯川さんは裕福な高級軍人のお嬢様として過ごしたかもしれません。
人の思想は学問からではなく環境に大きく作用されるものかもしれません。靖国神社に祀られている軍神の妹が「女性九条の会」会員として活動している、わかります。
たいへん優秀なかたです。大学や語学、音楽の学校で学んでないようですが作詞家として数々の名曲を作詞、外国の名曲を訳詞、評論家として海外のポップスを日本に紹介
しています。兄の遺していった口笛の曲が音楽活動の原点になったのでしょうか。
その6日後の1月19日(水)偶然にも湯川れい子さんが「徹子の部屋」に出演されました。
テレビでは親族が戦死と言う共通の話題でしたので湯川さんのお話に耳を傾けさせていただきました。
作詞家 湯川れい子さんが「徹子の部屋」で語る、「26歳でルソン島で戦死した兄と洋楽と平和への思い」を紹介させて頂きます。
お話は作詞・おしゃれ・戦死のお兄様の事と紹介されました 20代の頃から作詞活動をされましたと
初めての大ヒット曲、安西マリアさんが歌って下さった「涙の太陽」と、 それから15年目に「ランナウェイ」がヒットしましたと
長兄は戦地に向かう前の休暇の3日間、防空壕を掘りながら素敵な口笛を吹いていたので湯川さんが誰の曲?「自分が作った曲」と戦後に「スリーピー・ラグーン」は
アメリカの有名な曲と判明。敵国の曲なので言えなかったお兄様を偲ばれました。
戦地に向かう前に小さかった湯川さんを抱いて兄は宵の明星を指差しながら 『時代のカナリア』(今こそ女性たちに伝えたい)
「おぼえていてね、あれが兄ちゃまだよ」といったことが最後と お兄様の戦死に「平和」を願い執筆されたそうです