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旧九段会館が「九段会館テラス」に令和4年7月29日竣工されました

2022年09月14日 03時11分04秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

東日本大震災で天井が崩落するなどしておよそ30人が死傷、被災し閉館した九段会館が、歴史をしのばせる重厚なたたずまいを残しながら、テクノロジーを活用してスマートに生まれ変わった。
今回の立て替えで、耐震性を大きく向上させ、地震の際には、構造が異なる新築オフィスと、保存棟の境界線に隙間ができる工夫をするなど、免震化が図られている。
玄関ホールは、創建当時(1934年)の扉や金属製の装飾が活用された他ゲストルームの壁には、解体前に塗装をはがす際に見つかった、金糸刺しゅうのクロスが使用されている。
登録有形文化財建造物である旧九段会館を一部保存しながら建て替えるプロジェクト、東急不動産と鹿島建設が推進中のプロジェクトは「九段会館テラス・(KUDAN-KAIKANTERRACE)」と名前を
新しく変えて7月29日に竣工した。
歴史的建造物の創建当時の技術を活かして保存・復原を行なった保存部分と、IoTを活用したお濠を臨む地上17階建ての最新鋭のオフィスとなる新築部分の新旧が融合した施設として開業する。
開業は、10月1日(土)の予定。(ネットより)


             九段会館テラスを九段下交差点より見る                        九段会館テラスを田安門より見る
                               上記の文・写真はネットより転載させて頂きました

以下はNHK首都圏ネットワークより撮影させて頂きました。
                         東京「九段会館」高層ビルに建て替えられました


                                                     3万枚の瓦を1まいずつ点検
「よみがえった約90年前の「幻の瓦」 旧九段会館の復元、竣工へ。」
2・26事件の舞台にもなった旧九段会館東京都千代田区)の屋根をふいていた瓦を、愛知県碧南市の会社が再現した。
90年近く前の「瀬戸瓦」で、すでに製造技術は途絶えていたが、保存・復元工事に伴って新しい瓦が必要になり、職人たちが一肌脱いだ。
瓦製造販売会社「碧南窯業」の営業企画部長、長田(おさだ)朋和さん(50)は、旧九段会館の深緑色の瓦を一目見て「瀬戸瓦だ」とピンときた。
陶磁器産地の愛知県瀬戸市で戦前から作られてきたが、1960年ごろに生産が途絶えた「幻の瓦」という。

瀬戸の陶器の特徴として知られる織部の釉薬(うわぐすり)がかけられ、白色の土が使われていた。瓦の三大産地の一つで、同社が立地する三州(愛知県三河地方)の瓦は土に鉄分が多く、
酸化焼成すると朱色に変わるが、文献などから、瀬戸瓦は主に白土を使っていたことがわかっている。


                 ゲストルームの壁には、解体前に塗装をはがす際に見つかった、金糸刺しゅうのクロスが使用されている  

私たち遺児・遺族たちが会議・宿泊・懇親会等に利用させて頂いておりました九段会館が先の東日本大震災で天井が崩落するなどしておよそ30人が死傷されました。合掌
その後、閉館され、建て替え工事開始から約10年を経て素晴らしい高層ビルが竣工されました。
初めて九段会館に宿泊しましたのは フィリピン慰霊巡拝友好親善訪問団 2000年(平成12年)12月3日(日)~12月9日(土)のために12月2日(金)夕刻に全国遺児125名が
九段会館に集合して結団式を行いました時でした。
その夜、班編成がおこなわれ  レイテ島方面は F班  16名 と発表がありました。一番人数が少ないこともあり、初めての出会いにも関わらず遺児と言う境遇からその夜の内に打ち解けて翌日からの
初めての慰霊巡拝は?に様々なことが去来してなかなか眠れなかったことが思い出されます。
そして翌日12月3日(日)は九段会館を確か早朝うす暗い6時頃?バスに乗車して成田空港に向かい、朝食は勿論バスの中で頂き、マニラ空港へと旅立ちました。
マニラ空港着~セブ島・オルモック・リモン峠・マハンラグ・タクロバン等を慰霊巡拝しましたが、ある男性は「こんなひどいところで亡くなった父があまりにもかわそう」と号泣されながら
「来なければよかった」等等、涙・・・の慰霊巡拝でした。
一方、友好親善事業としてマニラ市内の小学校を訪問してサッカーボール・学用品・Tシャツなどをプレゼントしました。
12月8日(金)には上皇上皇后陛下も慰霊にお出かけ頂きましたカリラヤの日本人墓地にて合同慰霊祭を行い、夜には合同懇親会を開催して頂きました。
12月9日(土)成田空港着19:45全員無事の帰国でした。
私ごとですが子ども達全員が空港に迎えに来てくれておりましたことに今でも幸せに思いだします。

あれから22年、ずいぶん昔のことになってしまいましたが、毎年各県持ち回りの旅行会を実施して親睦を深めておりました。
時々  2000年12月のフィリピン慰霊巡拝に想いを寄せて    などを紐解いております。

しかし、高齢化には勝てませんで2017年(平成29年)神奈川県の旅を最後に終了することにいたしました。
長い間「レイテ班の旅」を綴ることができましたことに各県の遺児の友人の皆様に心から感謝を申しあげております。
昨今、お仲間の訃報が届くようになりまして16名のお仲間が現在は残念!8名になってしまいました。
九段会館が完成したら「集まりましょうね。」も淋しくなりましたがお元気な皆様とのお目もじを実現させたく思います。

コメント (5)
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