10月16日(水)に執り行われました千葉市戦没者追悼式に卒寿をお迎えに成られました戦没者の妻、小阪田妙子様が「思い出のことば」を奉読されました。
小阪田さまのお許しを頂きましたので大切な記録として保存したく思います。
「思い出のことば」
本日ここに、千葉市長 熊谷俊人様、千葉市議会議長 宇留間又衛門様をはじめ、ご来賓多数のご臨席を賜り千葉市戦没者戦災死没者追悼式が厳粛のうちに挙行されます事は、私ども遺族にとりまして誠に有難く心より厚くお礼を申し上げます。
本日、元気に卒寿を迎えた戦没者の妻として壇上に立てましたことを有難く胸迫る思いです。
思い起こしますと歓呼の声に送られて、夫は愛国心一筋に、生後3ヶ月の娘、2歳の男の子、私を残して出征しました。
国民は総動員、正義の御旗のもと、あらゆる苦難を耐え忍び頑張りました。家の中の金物全て供出、砲弾に変わってゆきました。狂気の沙汰です。
そして、惨めな敗戦、夫は還らぬ人となりました。
敗戦国の日本は無残です。食糧は無く、仕事も無く、皆生きる事に必死でした。他人を思い遣るなどもっての外です。
家業も無く、学歴も無い者がどのように生きればよいか途方にくれました。
死をさえ選ぶ気持ちになりましたが、私が死ねば二人の幼児は親無し子に、いくら貧しくとも生きる事が子に孝行かと考え生き抜く決心をしました。
心無き人は戦死者を犬死にと申しますが、私の心には常に、英霊の妻としての秘めた誇りが有りました。
苦しい時、悲しい時には、戦場で戦っている夫の姿が蘇って私を癒し、励ましてくれました。
弱い立場に生きておりますと、理不尽な言葉は痛く胸に響きます。いたわりの温かい言葉に生きる勇気を戴きました。
幼児も成長し、次第に母親を理解するようになり、世間では母子家庭ですが、常に亡き夫が亡き父親が見守ってくれておりました。
戦後60有余年、戦中、戦後、現代と生きて参りまして、人としての価値観が大きく変わったように思います。
人としての大切な倫理観は遠くなり、生きる為の都合のよい常識へと変わっております。
水を手前に掻き寄せると、水は向側に、向側に掻くと手前に戻って参ります。それが生きる心理かと思います。
苦難の厳しい人生でしたが、尊い教訓を戴いたように思います。
国民を犠牲にした苦い戦争を風化させない様、私たちは肝に銘じなければならないと思います。
終わりに戦争の犠牲になられた方々が永久に安らかに鎮まります事をお祈りいたしますとともに、ご列席の皆々様のご健勝とご多幸を衷心よりお祈り申し上げ、
思い出のことばとさせて頂きます。
平成25年10月16日
千葉市遺族会 遺族代表 小阪田 妙子
以上、「思い出のことば」をご紹介させて頂きました。
いつも素晴らしい文章に達筆な文字のお手紙を頂戴しておりますので、この度のお言葉も勿論ですが、奉書にお書きになられた筆文字の素晴らしさに、年齢を感じさせない
素敵に生きるお姿を学ばせて頂きました。
お目を通して頂けますれば幸に存じます。
「思い出のことば」を奉読の小阪田妙子様 ご家族・友人の皆様に囲まれて
推薦申し上げましてからひたすらご健勝をお祈り申し上げておりました。
長かった厳しい暑さにも耐えられ、御元気に壇上の人と成られましたことに心から有難く又、嬉しく思っておりますところで御座います。
毎日新聞に掲載されましたことを伺い、到着を待ってご紹介したく思っております。