永平寺・東尋坊・越前海岸 福井県名所めぐりの
日 時 平成19年5月29日(火)~30日(水)
一時小
参加者 15名
集 合 13:00 武生駅
平成12年(2000年)にフィリピン慰霊友好親善事業訪問団、全国から125名の遺児は6斑に分かれ、私たちはセブ島・レイテ島慰霊巡拝班16名でした。
その折の16名は「慰霊巡拝レイテ班」として各県持ち回りで幹事を務め、年1回の旅行を楽しんでおります。
かつての苦労話にも皆様は笑みを浮かべながら今の幸せに感謝をしながら友情の絆を確かめ合いました。
初めて降り立ちました集合場所の福井県の「武生駅」
武生駅 → にて一路、幹事佐野様宅の丹精されたトマトのビニールハウスにご案内いただきました。
美味しい トマト の食べ放題に一同
続いて モロッコインゲン のもぎ取り
奥様がご準備下さいましたモロッコインゲンとトマトをお土産に頂きました
お土産のトマト
お土産を に積み、大本山・永平寺参拝へ
「曹洞宗の大本山として、僧侶の育成と檀信徒の信仰の源になっています」と今春大学を卒業され入門された雲水さんに館内を1時間余丁寧に説明を頂きました。
拝観記念 ご朱印 入り口
仏 殿 鐘 楼 堂
仏 殿 七堂伽藍の中心に位置し、永平寺のご本尊、釈迦牟尼仏が祀られています。
鐘楼堂 「除夜の鐘」で有名な大梵鐘は重さ約5トン。
大梵鐘は1日に朝・昼・夕方・夜の4回修行僧が撞きますが、一撞きごとにお拝をして撞かれる梵鐘の音は、単なる行持の合図というだけではなく、
聞く人全てに清らかな心の安らぎを与えてくれるそうです。
17:00 北陸・あわら 美松 到着
美松 全景 楽しかった懇親会
この度の再会に男女2名の欠席に淋しく存じましたが、幹事役の佐野様の奥様にご一緒していただき、会を盛り上げていただきました。
懇親会では美味しい郷土料理に舌鼓を打ちながら一年ぶりの再会に近況を語り会い、富山県の現役
ガイドの竹腰さんの名司会に
あり、踊りありで再会の
乾杯 が何回も行われ、楽しいひとときを過ごしました。
2日目 (5月30日) 一時小
おわら 8:40 スタート
→ 東尋坊にて遊覧船乗船
→ 越前水仙の里公園見学
越前海岸にて昼食後の記念撮影
→ 福井市へ → 名勝 「養浩館」 庭園 (旧御泉水屋敷) 見学 (希望者のみ)
入 場 券 正門入口
庭園の一部 解散後自由見学をした皆様と
→ 福井駅 14:00 着 ~ 解 散
心配しましたお天気もまあまあの2日間、体調を崩された方もなく、楽しい再会の集いとなりました。
お世話になりました佐野様ご夫妻様に心から感謝を申し上げております。
又、ご丹精された美味しい トマト とモロッコインゲン のお土産まで頂きまして本当に有り難うございました。
来年は 「愛知県の旅」 西脇さん、宜しくお願い申し上げます。
皆様、再会の日を楽しみにしております。
お元気で
永平寺はもう何年も行っていませんので、懐かしく拝見しました。
あの時は、モロッコインゲン頂きましてありがとうございました。小エビと煮付けたと思います。おいしく賞味させていただきました。はじめて味わいました。
あのお菓子は、来客に出しましたら珍しいと言われました。お守りは大切にバックに入れています。いろいろありがとうございます。
お目にかかれました事は時が過ぎましても有り難く、大切な思い出と
懐かしく存じております。
遺族会の皆様にお届けいたしましたり、歴史倶楽部の役員の皆様に
お礼を申し上げたく先に綴りましたが何とか2日目も記録したいと
思っております。
農産物は1000円買えば、大きな荷物になります。
永平寺方面はいつも秋ですが、新緑の旅も又新たな思い出になりました。
ゴマ豆腐は有名ですね。
夕食に頂きました。
旅行は楽しいですが計画的にやらなければとこの度の連続の旅に
反省いたしました。
お店のご繁栄をお祈りいたしております。
私は皆さんが参加された翌年のレイテ班に参加巡拝(その時は3回目の巡拝)。昨年は千葉県の皆さんと(佐倉第57連隊玉の会)7回目の巡拝を果たしました
私たちの班も持ち回りで同じように「想い出の会」と称し亡き父上を偲び慰霊と親睦の会を開催しています(今年は鳥取で開催)
レイテ戦関係のプログには気がつけば私の名前「重松正一」で全てコメントしています
父の属した「独立歩兵第13連隊」のHPもあります
コメント有り難うございます。
「重松大隊の戦記」を拝読させていただきました。
お父上様20年6月10日戦死に心からの合掌をさせていただきました。
実は文章を探しますのにちょっとお時間を戴きましたので
御礼が遅くなりました。
終戦記念日が参りますがただ一言残念の気持ちです。
8/15の全国戦没者追悼式に2回目の参列の機会を戴きました。
私の父は19年10月27日レイテ沖海戦にて巡洋艦「鳥海」と運命を
共に致しました。
ただ一度、休暇の父を迎え、送った記憶がありますが残念ながら
父の声を全く知りません。
レイテに慰霊後、父が恋しく歌に偲んでおります。
浅学未熟な歌ですが「日本遺族通信」に投稿を初めて3年目になります。
今年は父の戦死の19年に想いを致し
平成と年号変へて19年昭和その時レイテに散りき
われ5歳白木の箱に寄り添ふも父の戦死を知るよしも無く
哀悼の「靖國の家」の標識も今や語るも遠くになりき
等の歌を今後投稿したく準備をしております。
今まで千葉市で私だけでしたが、友人も投稿を始めましたので
良い刺激を戴きながら学びたいと思っております。
今後とも宜しくお願い申し上げます。