平成12年度(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団 全国遺児125名の一員としてご一緒させて頂きました埼玉県の友人より素敵な を頂きました。
Kさんはとても器用なお方で毎年お会いするたびにいろいろと手作りの を頂いておりました。
2001年より各県持ち回りの「思い出の会」を続けて平成29年は16回目の一泊旅行を迎えました。
しかし、私たちも高齢化には勝てず、平成29年「神奈川県の旅」を最後に「慰霊巡拝レイテ班 思い出の会」を終了することとなりました。残念
皆様には3年間のご無沙汰、今年はコロナ禍の折に皆様いかがお過ごしかと思っておりました折に の3点の をお送り頂き、ご厚意の程に感謝を申し上げました。
大変なお心遣いを頂きましたので早速お電話をさせて頂き、御礼を申し上げましたら、「コロナの関係でお稽古ごとも全てお休みに時間が出来ましたので、ボケ防止にさせて頂きました。」と、お元気なご様子をお伺い致しとても嬉しく存じました。K様、本当に有り難うございました。
折り鶴 名前が?です お手製マスク6枚、左側3枚は夏用とお書きくださいました
埼玉県の最後の旅に思いを致しご紹介させて頂きます。
フィリピン慰霊巡拝レイテ班 埼玉県の旅
平成23年6月2日(木)気温は日中でも17度~3日(金)気温は日中29度まで上がりました
懇親会場 「川越プリンスホテル」 にて 五百羅漢様を参拝して
私達は、平成12年度(2000年)フィリピン慰霊友好親善事業訪問団 全国遺児125名の一員として参加をさせていただきました。
多くの慰霊先がありますことに、A班からF班に分かれ、私たちF班はレイテ島内のマハンラグ、タクロバンなどを慰霊巡拝いたしました。
後に「慰霊巡拝レイテ班」と名付け、各県持ち回りで、年一回の親睦の旅を続けております。
今年は静岡県の男性1名、女性2名のお方が幹事を努められ 「川越の旅」 を企画して頂き、新たな再会の旅を楽しみました。
この度の「埼玉県の旅」のご案内に今後、再び訪ねる事が出来ないと思います「丸木美術館」の見学が出来ましたことに埼玉県の幹事さんに御礼を申し上げたく存じます。
見学の折り撮影しました「丸木美術館」の様子をふり返ってみました。
「原爆の図丸木美術館」
埼玉県護国神社参拝から観光 で約1時間半、40km?のドライブを楽しみながらかなり遠くに所在しておりました
「丸木美術館」 https://marukigallery.jp/
を降りてから約15分、爽やかな鶯の声を楽しみながら農道?を散策、案内板に到着しました。
原爆の図 について (HPより)
1950年に丸木位里・丸木俊の共作により、「第1部・幽霊」が発表された。
最後は1982年の「第15部・長崎」であり、この作品のみ長崎原爆資料館が所蔵。残りの14作品が原爆の図丸木美術館に所蔵され、巡回展に出る以外は常設展示されている。
それは幽霊の行列。一瞬にして着物は燃え落ち、手や顔や胸はふくれ、むらさき色の水ぶくれはやがて破れて、皮膚はぼろのようにたれさがった。
手をなかばあげてそれは幽霊の行列。
ー (原爆の図第1部 幽霊 より) ー と記述されておりました。
以前 では拝見したことがありましたが館内のあまりにも悲惨な作品に言葉を失いました。
しかし、再び訪ねることの難しさに貴重な資料館を見学できましたことに感謝を申し上げております。
都幾川のせせらぎに耳をすまし、鶯の優しい鳴き声に癒されたこの環境は丸木位里の故郷に似ていることからご夫妻はこの地を選ばれましたことを伺いました。
丸木美術館全景 都幾川のせせらぎに耳をすまして
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