11月6日の日曜日、少々風か強いが天気は良いので昼過ぎから高崎市・新町に
向かった。2年ぶりの新町のイベントを見物だ。
駅北側の某所に駐車して駅脇から歩道橋で高崎線を跨いで南側に移れば
こんな道案内に従って
一直線で会場の「いちょう並木通り」に着く。
この高崎市新町は中仙道・新町宿として発展していたが、2006年1月に群馬郡群馬町・
箕郷町・倉渕村と共に高崎市に編入された。当時の人口は . . . 本文を読む
快晴の日曜日(10/30)、例年の通り箕輪城祭りの見物。駐車場確保の為にやや早めの
出発。昨年と同じく城址と箕郷支所の中間に場所を借りて出陣の起点に向かう。
支所に設けられた本部でポスターやパンフレットをゲットして出てくると早くも
一団が揃い踏みで記念撮影の最中だったので割り込みで一枚。うっかりして
団体名の確認をしなかったが扮装の揃い方から玉村の愛好会?
定刻近くになると出陣式会場に段 . . . 本文を読む
10/16の日曜日、快晴の秋晴れに恵まれたが近場の紅葉狩りには一寸
時期が早いので午後から高崎・井出町「かみつけの里」で毎年催される
「王の儀式」の見物に出かけた。
今年は行事のナレーションを拾った動画を撮ることに専念の積り。
現地に着くと既に博物館駐車場は満車で少し離れた遊休畑地に設けられた
臨時駐車場に誘導される。
こんな案内に従って公園内を横断して会場へ
会場も観客が一杯、用意され . . . 本文を読む
第四十二回の高崎祭りが今年も猛暑の中、八月六日・七日に開催された。
例によって耐暑訓練と称して二日とも見物に出かけたが年寄りには
一寸ばかり厳しい熱気で両日とも一時間半が限度だった。
その様子をカメラに収めたので記録しておく。
第一日の始まりはあら町交差点での開会式、テレビで御馴染みの顔が前列に
座ってセレモニー。
その東側、駅よりの車道には山車の一部が待機中。祭りに参加する山車は
毎年、 . . . 本文を読む
春の恒例行事、城下町小幡の桜祭りのメインイベント・武者行列を今年も見物。
雨も心配された曇り予報なので心配していたが良い方に外れて晴れ間も多い。
小幡では何時も、駐車場探しに苦労するので開会一時間前に小幡の街中に来たが
近くの駐車場は既に満車で目論見は大ハズレ。「小幡信号」から北へ右折して
物産センターか道の駅を狙ったがここも駄目、更に進んで雄川を渡って
職員さんの誘導で某会社の操車スペースに滑り . . . 本文を読む
七福神めぐり第二段は「麻芋七滝七福神」、ここは麻芋七滝の父滝までの
遊歩道沿いに建てられているので収録は僅かの時間で出来る。
R-18を西進して横川から旧道に入り僅かの距離で道標により滝駐車場。
「麻芋滝不動尊」の標柱の立つ橋で碓氷川を渡る遊歩道入り口。
案内板があるがこれは滝の案内板なので残念ながら七福神の位置は書かれていない。
橋に向かった背後には早くも第一号の「壽老人」。こ . . . 本文を読む
麻芋の滝からR-18に戻り横川「おぎのや」の峠の釜飯で昼食を済ませて鏑川七福神の
第一として妙義・中の岳神社へ移動するが思ったより距離が長い蛇行道には飽きが来る。
(1)大黒天札所 中之嶽神社 群馬県甘楽郡下仁田町上小坂 1248
駐車場から見る表妙義は完全に冬支度。
車道に出ると赤い一の鳥居の先に早くも第一号の剣持ち大黒天が金色に輝いている。
日本一と喧伝されるこの剣持 . . . 本文を読む
早くも12月も第二週、寒気に弱い爺イはそろそろ冬篭りの準備、もう史跡探訪の
種も尽きているので某サイトに出ていた「群馬の七福神めぐり」でも
してみるかな?の心境。そのサイトの情報では県内13ヶ所のものが
リストアップされていた。
1 鏑川七福神(高崎市・富岡市・下仁田町) 2 小幡七福神(甘楽町)
3 銅七福神(群馬県みどり市,栃木県日光市 他) 4 桐生七福神(桐生市)
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今年も第13回の箕輪城祭りの見物。この地は現在、高崎市箕郷町だが歴史を辿ると
1889年に周辺の7村が合併して「箕輪村」、1921年に町制で「箕輪町」となり
1955年に隣の「車郷村」の吸収に際して一字づつとって「箕郷町」、そして
2006年の平成の大合併で高崎市箕郷町。だから城の名前は箕郷城ではなく箕輪城。
この城は1512年に 当地を支配する長野業尚によって築かれた。(1526年業尚の子の
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秋晴れの10月12日、久しぶりに第28回鎌倉街道武者行列の見物に出かけた。
「高崎新聞」の記事をそのまま引用すれば「城南地区には、烏川に沿って、
鎌倉街道が残されている。この事業は、鎌倉街道や、謡曲「鉢の木」の
佐野源左衛門の物語に伝わる「いざ鎌倉」などの歴史を、後世に伝える
地域づくりイベント」と云う事で城南小学校関係者・竜見町・下和田町・
新後閑町の皆さんとゲストの団体さんが参加している。
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今日は爺イの82歳誕生日、東京から来た息子たちを含めて家族で会食予定、その序に
下滝町の慈眼寺へ今が見頃と評判の枝垂桜の見物。
自宅から田町北信号を左折すれば一本道、多少の曇りがちの天気だが気温は四月並で
絶好の行楽日和。
慈眼寺前は駐車場満杯で路傍駐車が多数だったが運よくスペースが空いたので滑り込み。
駐車場から庭園に向かう木戸口に早くも豪華な枝垂桜のお出迎え。
庭園の中に入ると黄色の花を . . . 本文を読む
昨年に引き続いて箕輪城まつりの見物。今年で第十二回、何時も天候には恵まれなかったのに
今日のような好天に当たるとは珍しい。
城址と箕郷支所の中間に適当な駐車場所があるので今年も利用させてもらう。支所に近づくと
既に28団体350名とされる出場者の皆さんが整列しようとしている。
出陣式は箕郷町弓道愛好会による「和弓礼射」。古来からの礼法をきちんと守る演技は
昔の事を忘れがちな風潮の中、新鮮に見える . . . 本文を読む
五世紀の頃、ここ高崎の北部には巨大な館に住み、榛名山東南麓
・井野川流域を治めた豪族が居た。大和政権の成立を四世紀末の応神天皇から
と見ればそれから一世紀を経たに過ぎないころで大まかには古墳時代と云われる
時代である。
彼らはこの地方に水田を開発、当時の高度技術者集団である渡来人を招聘して
産業の振興に力を注いだ開明の王を戴いて繁栄し5世紀後半に、二子山古墳→
八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で相 . . . 本文を読む
先日来、梅雨の合間を縫って市内の芭蕉句碑と万葉歌碑を訪ね歩いたので〆は
市内文学碑となった。
但し、小生は「文学碑」なる範疇の正確な定義が判っていないので、漠然では
あるが明治以降の地元関連の文人・文学者の句碑や歌碑と言う事と勝手に
決め込んで市内を回って探すことにした。
手始めに自宅近くの飯塚町北部児童公園に向かった。ここは遊具の形から
通称で「タコ公園」、40数年前には我が家の子供たちもここ . . . 本文を読む
突然に梅雨の晴れ間、山は水が染み出していると思われるので今日も散策の類。
三角点・道しるべはもう良いし芭蕉句碑もやったので今回は万葉歌碑訪問。
高崎の万葉歌碑は「石碑の路」に集中しているが数年前に商科大学の有志に
よって埋もれていた五基が再建されたとのことなのでそれを含めて総ざらい。
かって爺イも石碑の路で拓本の練習をしたり写真を撮り捲ったことがあったが当時は
碑文・原文も確認していない為、今回全 . . . 本文を読む