毎日、「今日も大気の状態は不安定」の一言で六月の山行きは遂にゼロの記録。
七月になったので少し足慣らしのため市内徘徊と決めて二日間に亘って史跡探訪。
狙いは市内に二十箇所あると云われる「芭蕉句碑」を訪ねる事。
(1)八幡町・ 八幡宮の句碑
市内と言っても平成の大合併後の高崎は極めて広いので第一日は西部と北部。
R-18で西進して「八幡大門」信号を右折すれば正面が八幡宮。
駐車場は石段 . . . 本文を読む
二年振りに四回目の箕輪城まつりの見物。何時も駐車場所に苦労するので整備のため
休館中の箕郷町図書館に車を置かせて貰う。
近道をして武者行列出発点の箕郷支所へ裏から入ると既に多くの参加者が集まっていた。
最初は箕郷町弓道愛好会の三人による「和弓礼射」。
それが終わると出陣式で支所長挨拶の後、武者たちが抜刀して気勢を挙げる。
出口近くの大砲で祝砲、予想外の轟音と発煙に観 . . . 本文を読む
昨晩の花火見物に続いて午後から高崎まつりの見物。各種の説明資料を
要約すると
明治維新以前 から旧高崎藩主大河内家が祀る頼政神社の祭典が高崎の人々にとっても
最大の祭りだったらしく既に山車数6台巡業 と記録されていた。
その後、衰退と盛り上げを繰り返すが昭和40年代までは神社祭礼を中心とした
商業、観光目的の祭りで行政主導のイベントであった。
1975年 の市制75周年の時、折からのオイルショック . . . 本文を読む
榛名神社西稜線縦走に失敗して気分転換に神社の見学。
参拝者用の無料駐車場に車を留めて折からの団体客に混じって参道へ。
神社の遠景。この神社は維新前は満行宮大権現、明治元年(1868)から榛名神社ーと
言うより神仏分離で仏教色が一掃され神社として復活した。唯一の例外は三重の塔が
残されたことであり1872年に郷社、縣社への昇格は1884年の事。
入り口には見事な八重桜が満開。
正面には . . . 本文を読む
昨年に引き続いて今年も小幡・武者行列見物の野次馬となるべく もうすっかり
散ってしまった桜並木の小幡に急ぐ。遅くなると 交通規制で駐車場探しに苦労するから。 甘楽総合公園の西端の大駐車場を目指したが入り口で混雑していたので
隣の関係者駐車場にそれなりの顔して滑り込み。
公園の中を出陣式会場の楽山園に向かう桜並木の遊歩道も葉桜の風情。
既に沢山集まっている観衆に混じってブラブラしている . . . 本文を読む
高崎の紅葉名所の一つ石原町の徳明園を訪ねた。ここは故・山田徳蔵氏が1827年に
着工し(1919年説も)1964年に完成した洞窟観音に併設されている庭園で園内には
山徳記念館もある。
市内から和田橋を渡り護国神社脇から左折して通称・羽衣線に入り道なり。
高崎観音表参道と大駐車場の間を抜けて台地を下りこの道標で右折すれば
直ぐに専用駐車場。
入り口近くで早くも紅葉の気配。
駐車場は . . . 本文を読む
群馬県内の河川で正式名称として「三途川」と付けられているのは甘楽町だけとの情報を得た。かつて楚巒山楽会さんから赤城の山中に三途川と称するのが三箇所もあると聞いて訪ねたことがあるが、それらは何れも俗称で正式名称ではなかった。それは次の概念図の三箇所。吉井の町を南進してR-254から上信電鉄の「上州新屋駅」の広場に駐車。この辺のかっての地名は新屋村の大字で県道の交差点名に名が残る金井。線路の北側に見え . . . 本文を読む
日曜日の午後、高崎祭り見物のため酷暑の中へ出かけた。交通規制のため車では
不便なのでバスで「もてなし広場」。丁度、神輿最終組の「勇姿会」が
スタートするところ。
既に東に向かって進行している組を追いかけるが大手前通りはびっしりの観客で
中々前進できないし舗装道路の照り返しが強くて猛烈な暑さ。
山車の「曳行」に対して神輿は「渡御」と云うのだそうだ。
「右京会」
「東会」
「粋心睦」 . . . 本文を読む
梅雨の合間に数日の晴れ間、気温は真夏並みで湿度は梅雨並みだから500m以下の低山
歩きにはもう適さないが本格的な夏では無いので高い山はもう少し我慢で史蹟訪問と
序の事に三角点と言う事で先日同様に安中地区へ。
(1)四等三角点・門能 上秋間字門能 477.1m N-36-21-48-5 E-138-48-36-8
場所は安中・茶臼山南麓の秋間川を挟んだ南に位置する山。
R-18・R-211・ . . . 本文を読む
かって六年ほど前、「高崎広報」に若狭徹氏の「高崎千年物語」が53回に亘って
連載された事があるがそれらは纏められて一年前に単行本として刊行されている。
其れを読むと過去数回のここのブログ記事に不足が目立つので補足。
昨晩NHKから放映された五千年前から三千年も続いた「古代エジプト文明」を
見てしまった眼では如何にも落差を感ずるが、それが我々の置かれた現実なの
だから仕方が無い。
但し、五千年の歴 . . . 本文を読む
爆弾低気圧の余波も大分静まった。気温は余り上がらないが強風予報も
無いので再び甘楽町・小幡へ。二年ぶりの「城下町小幡さくら祭り・武者行列」
の見物だがついつい雑用で出足が遅れてしまった。
案の定、どこの駐車場も満車、おまけに街中心の「小幡信号」から早くも交通規制。
仕方なく右折して楽山園方面に裏から接近、公園内に紛れ込んでトイレ脇に駐車。
石段を上がったところが楽山園の裏木戸。先日、開園式に来た . . . 本文を読む
健大高崎の惜敗を見届けてからブラッと榛東村に向かう。
先日、「山はこれから」さんからの情報で榛東村・広馬場に
爺イがかってその事跡を追いかけた「小野関三太夫」に
関連するらしい、地元の通称・三太夫公園なるものがある
と聞いたのでその探訪。
結論から言うと、これは史蹟とまでは行かず榛東村の
公式記録にも載っていない。
強いて言うなら小野関一族がその広大な所有地の一角に
建設した私的な記念物だ。
だが . . . 本文を読む
そろそろ年寄りも山歩きできる陽気になりつつあるので一寸足慣らし。
先日、「隠居の思ひつ記」なる素晴らしいHPで「烏川の三石」なるものがあると知り
現地を訪ねる事にした。「和田の三石」は尋ねたことがあるが、爺イは永年高崎に
住んでいながら迂闊な事に烏川三石の中で誰でも知っているだろうと思われる
「聖石」でさえ、現物を確認した事が無いし、まして「赤石」や「川籠石」
などは全くの初耳。
自宅から一旦、 . . . 本文を読む
今日も雨かと思っていたら九時頃から陽が差してきた。
で、予定していた甘楽町に行くことにした。
甘楽町の「楽山園」が10年の歳月を懸けた工事を経て開園するからだ。
此処の名の由来は『論語』の「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」の一文から
採ったものであるらしく国指定名勝で群馬県では初の名勝指定庭園との触れ込み。
読みはラクサン、松江の「楽山焼」はラクザンだが。
自宅から甘楽町へは吉井廻りより富岡 . . . 本文を読む
榛名の南面の雪が貼り付いたように一向に消えない。いよいよ厳冬の到来か。
牛伏山岳会さんのフロント画像で見たが牛伏山の様な低山も雪化粧している。
暫く山は休みになってしまったので運動がてら2k離れた市立図書館まで歩く。
書庫の隅の田島文庫のコーナーで磯部在住の作家の「小説・大野九郎兵衛」を
見つけた。1702年の赤穂義士事件以来、300年以上の間も卑怯者として扱われた
九郎兵衛が実は密命によって吉良 . . . 本文を読む