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久し振りに甘楽・天狗山に行くことにした。「上州福島」までは板鼻・下高尾経由でも行けるが吉井経由の方が若干距離が短い。福島駅前の少し西から左折して197線に入り小幡を目指す。
福島から7.5㌔の宝積寺看板を左折して間もなく舗装の切れたところの路傍に駐車して歩き出す。この天狗山、甘楽町唯一の「群馬百名山」である。有名な稲含山は山頂が下仁田町に属するので百名山ではあるが甘楽町の登録ではないそうである。それなのに天狗山という固有の山はないという。通説では地元では旧白倉神社一帯を「お天狗山」とか「お天狗様」と呼んでいるだけと言うが、百名山なのに山頂判らずとはどう言う事なのだろうか。おまけに百名山のリストには690㍍と書いてあるがそれが何処にあるのか、確めることにしたのだ。
(1)山頂へ
ダラダラ登りの林道を15分も行くと桜植樹地帯で道は大きく右折するが、直進して蒟蒻畑の淵を回ると、まるで展望台のような景観に出会う。右手には赤城と手前の前橋市街地には県庁ビルがはっきり見え、真中にはどっしりした榛名が、勿論高崎の町並みが一望である。更に畑を進むと西毛の連山が遠望できる。元の道に戻って少し行くと、「菊ヶ池」と天狗の分岐看板。左折して天狗に向うと間もなく竹薮の近くで関東森林管理局の「南山国有林」の看板があり右手の山に登り上げる。
ここが「大平の峠道入り口」、直ぐに多くのテープに依って左折道に入る。峠道は先に進んでいるがこれは「無名峠」「小柏峠」へ通ずることになる。15分も登ると尾根乗り越えに到着。左に天狗山方向指示板、直進は白倉神社・鳥居清水方面、右は尾根伝いの無名峠。天狗山指示板があるからには其方が山頂と言う事になるが、公的なものか、私的な物かは不明。
取り敢えず数分の登りで北に向うと、樹幹に「天狗山660m」の標識とその前に12㌢角花崗岩の標柱、西側面に「山」と彫られて居る。多くのHPには666.8㍍とあるのにどちらが正しいのか判らない。更に30㍍進むと今度は側面にはっきり「四等三角点」と彫られたコンクリート柱が埋めこまれている。この辺りを山頂とするのだろうか。
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(2)690㍍峰探し
百名山に記載されている690㍍峰は地形上は乗り越え地点を南に行くとされる。乗り越えに戻ってから一つピークを越えて案内にあるウマの背状の露岩ヤセ尾根に来るが、それらしき標識は何もない。
序の事ながら無名峠に行くべく尾根道をひたすら南進、多くの瘤とピークを越えると横からの大平峠道と合さったようであるが標識がないのでさっぱり判らない。小柏との分岐辺りまで行った感じだが左右からの峠道風のものが入り組んで迷いそうになったので乗り越え地点に引き返した。この間、55分の無駄弾。いつか最初から峠道を辿ってみる。
(3)宝積寺見物
白倉神社を見てから菊ヶ池は諦めて車に戻り宝積寺を訪問する。菊ヶ池までは爺イの足では往復二時間近く掛りそうだから。この寺は国峰城主・小幡一族の菩提寺との事であるが、広大な敷地に色々なものがある。
先ず入り口に甘楽銘木十選に入っているという推定樹齢三百年30㍍の大銀杏、正面の「菊女観世音菩薩像」は高さ6㍍、その他「身代わり地蔵」「子宝子育て地蔵」「なで布袋」「お菊親娘の墓」「小幡家累代の墓」等見るもの多数。
説明を見て何故に熊倉山に「菊ヶ池」があるのかが判った。お菊は小幡信貞の腰元、周囲の嫉妬から無実の罪を着せられ、現在の菊ガ池の辺りの石牢に入れられ獄死したが、後々国峰城には不幸な出来事が多く、信貞も秀吉の小田原攻めの時行方不明、そのためお菊の供養をするようになったとの伝承。
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福島から7.5㌔の宝積寺看板を左折して間もなく舗装の切れたところの路傍に駐車して歩き出す。この天狗山、甘楽町唯一の「群馬百名山」である。有名な稲含山は山頂が下仁田町に属するので百名山ではあるが甘楽町の登録ではないそうである。それなのに天狗山という固有の山はないという。通説では地元では旧白倉神社一帯を「お天狗山」とか「お天狗様」と呼んでいるだけと言うが、百名山なのに山頂判らずとはどう言う事なのだろうか。おまけに百名山のリストには690㍍と書いてあるがそれが何処にあるのか、確めることにしたのだ。
(1)山頂へ
ダラダラ登りの林道を15分も行くと桜植樹地帯で道は大きく右折するが、直進して蒟蒻畑の淵を回ると、まるで展望台のような景観に出会う。右手には赤城と手前の前橋市街地には県庁ビルがはっきり見え、真中にはどっしりした榛名が、勿論高崎の町並みが一望である。更に畑を進むと西毛の連山が遠望できる。元の道に戻って少し行くと、「菊ヶ池」と天狗の分岐看板。左折して天狗に向うと間もなく竹薮の近くで関東森林管理局の「南山国有林」の看板があり右手の山に登り上げる。
ここが「大平の峠道入り口」、直ぐに多くのテープに依って左折道に入る。峠道は先に進んでいるがこれは「無名峠」「小柏峠」へ通ずることになる。15分も登ると尾根乗り越えに到着。左に天狗山方向指示板、直進は白倉神社・鳥居清水方面、右は尾根伝いの無名峠。天狗山指示板があるからには其方が山頂と言う事になるが、公的なものか、私的な物かは不明。
取り敢えず数分の登りで北に向うと、樹幹に「天狗山660m」の標識とその前に12㌢角花崗岩の標柱、西側面に「山」と彫られて居る。多くのHPには666.8㍍とあるのにどちらが正しいのか判らない。更に30㍍進むと今度は側面にはっきり「四等三角点」と彫られたコンクリート柱が埋めこまれている。この辺りを山頂とするのだろうか。
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(2)690㍍峰探し
百名山に記載されている690㍍峰は地形上は乗り越え地点を南に行くとされる。乗り越えに戻ってから一つピークを越えて案内にあるウマの背状の露岩ヤセ尾根に来るが、それらしき標識は何もない。
序の事ながら無名峠に行くべく尾根道をひたすら南進、多くの瘤とピークを越えると横からの大平峠道と合さったようであるが標識がないのでさっぱり判らない。小柏との分岐辺りまで行った感じだが左右からの峠道風のものが入り組んで迷いそうになったので乗り越え地点に引き返した。この間、55分の無駄弾。いつか最初から峠道を辿ってみる。
(3)宝積寺見物
白倉神社を見てから菊ヶ池は諦めて車に戻り宝積寺を訪問する。菊ヶ池までは爺イの足では往復二時間近く掛りそうだから。この寺は国峰城主・小幡一族の菩提寺との事であるが、広大な敷地に色々なものがある。
先ず入り口に甘楽銘木十選に入っているという推定樹齢三百年30㍍の大銀杏、正面の「菊女観世音菩薩像」は高さ6㍍、その他「身代わり地蔵」「子宝子育て地蔵」「なで布袋」「お菊親娘の墓」「小幡家累代の墓」等見るもの多数。
説明を見て何故に熊倉山に「菊ヶ池」があるのかが判った。お菊は小幡信貞の腰元、周囲の嫉妬から無実の罪を着せられ、現在の菊ガ池の辺りの石牢に入れられ獄死したが、後々国峰城には不幸な出来事が多く、信貞も秀吉の小田原攻めの時行方不明、そのためお菊の供養をするようになったとの伝承。
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