毎日の雑事に邪魔されて運動不足。かつてのウォーキング拠点の
一つ、鳴沢湖から蟹沢梅林一回りの足慣らし。
車郷小の脇道から鳴沢湖駐車場(11.46)。ワカサギ釣りの人影が
殆ど見当たらない。今日は榛名湖の解禁だからマニアたちは
そっちに行ってしまったのか?
湖面を見渡すと風が強くかなり波立っている。
反時計回りに北東へ周回開始、西向きになった時この東屋から
竹薮を抜ける。この鳴沢湖周辺の整備は箕郷・上芝の「みさと鳴沢ドリームチーム」の
ボランティアによる奮闘に負う所が大きい。
植物園前で一旦車道に出るが、今は唯の沼で何も無い。
その先左手に瀟洒な建物、「morimoto musuem」の表示、これは
森本氏の個人施設。噂では世界の古美術品が収められているらしい
が一般公開ではない。
その先が湖の西北端東屋、大きな望遠付きカメラを構える御仁。
服装も機材も迷彩色。水鳥狙いらしい。
その下を覗くと強風で波立った湖面に水鳥が数羽、
ここからは湖と離れて蟹沢に向かって西北への車道を延々と。
道端の庚申塔、「富岡邨」と刻まれている。富岡邨は1889年に近隣の
善地・和田山・白川の各村と合併して車郷村、そして1955年に箕輪町と
一緒になって箕郷町、仕上げは平成の大合併で2006-1に高崎市。
大きな道に合流して蛇行道を台地へ登っていく。相当きつい勾配。
途中で数本の紅梅が芳香を放っていた。
やがて台地の梅公園に到着(13.00)。ここは蝋梅。
一般の梅林はまだ剪定前か? 茫々と伸びっばなし。
センターの東屋が展望台だが風の吹き抜け場所。
間近に見える榛名の嶺、上信越の雪雲が乗り越えてきて雲行き
が怪しくなった。
軽食・休憩の後、今度は時計回りで東へ下山開始。正面の
市街地は意外に近く見える高崎市街地。
巨大な丸山沢の橋を渡るが下を見ると目が回りそう。
少し雪をかぶつた赤城も梅の枝越しに。
序のことに一寸寄り道で三角点。四等で点名・原山 284.56m。
もう一つ寄り道で長野業政菩提寺の長純寺。
入り口の奪衣婆と
閻魔様には間もなくお世話になりますと、丁重に御挨拶。
両側に大きな鬼瓦、古いものではない。
勿論、建屋に収まっている不動明王にも神妙に頭を下げる。
と、陽が当たっているのに雪? いや、これは霰だ。急いで
寺の裏手に廻って台地を登ると一番奥に別格で墓所。
業政公の墓。
奥方の墓は刻字が全て埋められている。
予定終了で再び長い車道下りで駐車場所(14.53)。14.600歩。
上り下りが半々で丁度良い足慣らしだつた。
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一つ、鳴沢湖から蟹沢梅林一回りの足慣らし。
車郷小の脇道から鳴沢湖駐車場(11.46)。ワカサギ釣りの人影が
殆ど見当たらない。今日は榛名湖の解禁だからマニアたちは
そっちに行ってしまったのか?
湖面を見渡すと風が強くかなり波立っている。
反時計回りに北東へ周回開始、西向きになった時この東屋から
竹薮を抜ける。この鳴沢湖周辺の整備は箕郷・上芝の「みさと鳴沢ドリームチーム」の
ボランティアによる奮闘に負う所が大きい。
植物園前で一旦車道に出るが、今は唯の沼で何も無い。
その先左手に瀟洒な建物、「morimoto musuem」の表示、これは
森本氏の個人施設。噂では世界の古美術品が収められているらしい
が一般公開ではない。
その先が湖の西北端東屋、大きな望遠付きカメラを構える御仁。
服装も機材も迷彩色。水鳥狙いらしい。
その下を覗くと強風で波立った湖面に水鳥が数羽、
ここからは湖と離れて蟹沢に向かって西北への車道を延々と。
道端の庚申塔、「富岡邨」と刻まれている。富岡邨は1889年に近隣の
善地・和田山・白川の各村と合併して車郷村、そして1955年に箕輪町と
一緒になって箕郷町、仕上げは平成の大合併で2006-1に高崎市。
大きな道に合流して蛇行道を台地へ登っていく。相当きつい勾配。
途中で数本の紅梅が芳香を放っていた。
やがて台地の梅公園に到着(13.00)。ここは蝋梅。
一般の梅林はまだ剪定前か? 茫々と伸びっばなし。
センターの東屋が展望台だが風の吹き抜け場所。
間近に見える榛名の嶺、上信越の雪雲が乗り越えてきて雲行き
が怪しくなった。
軽食・休憩の後、今度は時計回りで東へ下山開始。正面の
市街地は意外に近く見える高崎市街地。
巨大な丸山沢の橋を渡るが下を見ると目が回りそう。
少し雪をかぶつた赤城も梅の枝越しに。
序のことに一寸寄り道で三角点。四等で点名・原山 284.56m。
もう一つ寄り道で長野業政菩提寺の長純寺。
入り口の奪衣婆と
閻魔様には間もなくお世話になりますと、丁重に御挨拶。
両側に大きな鬼瓦、古いものではない。
勿論、建屋に収まっている不動明王にも神妙に頭を下げる。
と、陽が当たっているのに雪? いや、これは霰だ。急いで
寺の裏手に廻って台地を登ると一番奥に別格で墓所。
業政公の墓。
奥方の墓は刻字が全て埋められている。
予定終了で再び長い車道下りで駐車場所(14.53)。14.600歩。
上り下りが半々で丁度良い足慣らしだつた。
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