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何となく梅雨に入っている。この時期の定番はアジサイなので手始めに
一番近い高崎・清水寺に行って見た。この寺の参道の518段もある石段の
両脇に300株ほどのアジサイが植えられ「アジサイ寺」と云われているから。
因みに808年に坂上田村麻呂の勧請・開基と伝わるこの寺のご本尊は
千手観音、ここの丘陵が観音山と称される元になったのであり
白衣観音があるから観音山と云うのではない。白衣観音は1936年の建立。
清水寺の石段下には駐車場は無いので護国神社脇から羽衣線で台地の上に
登り大駐車場の東端から左への細道を通って霊園近くの駐車場へ。
駐車場からは西へ戻る方向の道を進むと案内板が迎えてくれる。
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直ぐ左に芭蕉句碑が一基。寺内には石段下にもう一つ市指定重文の一基がある。
「草いろいろ 各々花の 手からかな」1688年作。
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遊歩道左右のアジサイを眺めながら少し歩くと左に本堂、右には山門とも
通称する楼門風の舞台があり、高崎市街が見晴らせる様になっている。
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舞台の二階に上がったら見えるのは緑の木々のみ、どうやら落葉の時期で
しか展望台の役は為さない様だ。
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少々、老朽化で痛んでいる二階から降りて正面の大悲閣の名が付く
観音堂。征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の兵士の健勝と武運長久を祈り、
京都東山の清水寺から勧請、開基したと伝わるものだが爺イの大好きな
阿弖流為やその後の藤原清衡との抗争の時代で高橋克彦が連作で描いた世界だ。
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掲額は「観世音」
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堂内を撮影するも広範囲は見えないので狩野常信の筆による大絵馬一対
「龍頭二観音現出ノ図」と「能楽吉野詣ノ図」や、和算の
大家として知られる斉藤宣義奉納の算額は分からなかった。
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資料から画像を拝借すると左から算額・能楽の絵馬・竜頭観音の絵馬。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
観音堂の回廊を左に回ると角にこんな像。最初は北東の鬼門に位置するから
閻魔様が守っているのかと思ったら手の組み方がどう見ても釈迦の禅定印に
見えるので閻魔ではない。深大寺にある「なで仏」のお賓頭盧さま
に雰囲気が似ているので多分十六羅漢第一番の賓度羅跋羅堕闍尊者かも。
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更に回廊を進むと丁度裏手に「千手堂」の表示。
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さっき見た観音堂内部の他にここにも先手観音かなーーと思ったら中は
「愛染明王」でここでご本尊の後方を守っているらしい。
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観音堂の回廊には浮世絵師・一椿斎(いっちんさい1809-1891)芳輝献額十六面が
飾られているが何しろ保存が悪くて殆ど見えなく写真に撮ってみたが成功した
のはこの四枚のみ。市重文指定はおろか、高崎市のHPにすら紹介されていない
という不遇の作品。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
境内の西端には「田村堂」。
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田村堂には下仁田戦争で戦没した高崎藩士の木像が安置されている。
下仁田戦争とは、尊王攘夷を旗印に水戸藩において挙兵した天狗党の残党が、
在京の徳川慶喜(徳川幕府15代将軍)へ進言するため上州を通った折、幕命を
受けて出兵した高崎藩と下仁田で交戦となったもの。この時、高崎藩は
天狗党に敗退し、高崎藩士31名を含む36名が戦没。
この木像は、下仁田戦後、その死を悼んだ清水寺田村仙岳和尚が安置したものだが
当時のお堂は傷みが酷く、現存のお堂は、1914年の下仁田戦争50年祭を機に、
建替えられ、その折、征夷大将軍坂上田村麻呂に因んで「田村堂」と命名。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
巷の噂ではここには坂上田村麻呂の木像があるとされるので今回ガラス戸の
中を探したら一番上にそれらしきもの発見。

さて、漸く本来のアジサイ観賞を始めるため石段の上から見下ろすと
何たることか盛り上がっている筈のアジサイが殆ど見られない。
近くで整備していた人に聞いたら「今年の花付きは極端に悪くてーー」と。
まあ、それでも一巡するためにまず518段の石段を下る。
舞台と称する楼門を潜って振り返り。
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中間点まで殆ど花に出合わずに「馬頭観世音」を通過。
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もう車道が見える高さで山門を潜る。この辺から花が少し見られる。
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この山門は仁王門で仁王様が入っているが角度が悪く防護網が邪魔で
こんな姿のみ。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
石段下には芭蕉の句碑。「観音の いらかみやりつ はなの雲」1686年作。

参道の石段途中で出会った石仏たち。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
そして再び石段を登りながらの数少ないアジサイを撮って終了。
これでは又口直しが必要だな。差し当たり吉井の牛伏山と
下仁田アジサイ園にでも近日の内に訪問しよう。
清水寺 セイスイジ
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一番近い高崎・清水寺に行って見た。この寺の参道の518段もある石段の
両脇に300株ほどのアジサイが植えられ「アジサイ寺」と云われているから。
因みに808年に坂上田村麻呂の勧請・開基と伝わるこの寺のご本尊は
千手観音、ここの丘陵が観音山と称される元になったのであり
白衣観音があるから観音山と云うのではない。白衣観音は1936年の建立。
清水寺の石段下には駐車場は無いので護国神社脇から羽衣線で台地の上に
登り大駐車場の東端から左への細道を通って霊園近くの駐車場へ。
駐車場からは西へ戻る方向の道を進むと案内板が迎えてくれる。
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直ぐ左に芭蕉句碑が一基。寺内には石段下にもう一つ市指定重文の一基がある。
「草いろいろ 各々花の 手からかな」1688年作。
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遊歩道左右のアジサイを眺めながら少し歩くと左に本堂、右には山門とも
通称する楼門風の舞台があり、高崎市街が見晴らせる様になっている。
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舞台の二階に上がったら見えるのは緑の木々のみ、どうやら落葉の時期で
しか展望台の役は為さない様だ。
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少々、老朽化で痛んでいる二階から降りて正面の大悲閣の名が付く
観音堂。征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の兵士の健勝と武運長久を祈り、
京都東山の清水寺から勧請、開基したと伝わるものだが爺イの大好きな
阿弖流為やその後の藤原清衡との抗争の時代で高橋克彦が連作で描いた世界だ。
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掲額は「観世音」
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堂内を撮影するも広範囲は見えないので狩野常信の筆による大絵馬一対
「龍頭二観音現出ノ図」と「能楽吉野詣ノ図」や、和算の
大家として知られる斉藤宣義奉納の算額は分からなかった。
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資料から画像を拝借すると左から算額・能楽の絵馬・竜頭観音の絵馬。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
矢印をクリック)
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観音堂の回廊を左に回ると角にこんな像。最初は北東の鬼門に位置するから
閻魔様が守っているのかと思ったら手の組み方がどう見ても釈迦の禅定印に
見えるので閻魔ではない。深大寺にある「なで仏」のお賓頭盧さま
に雰囲気が似ているので多分十六羅漢第一番の賓度羅跋羅堕闍尊者かも。
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更に回廊を進むと丁度裏手に「千手堂」の表示。
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さっき見た観音堂内部の他にここにも先手観音かなーーと思ったら中は
「愛染明王」でここでご本尊の後方を守っているらしい。
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観音堂の回廊には浮世絵師・一椿斎(いっちんさい1809-1891)芳輝献額十六面が
飾られているが何しろ保存が悪くて殆ど見えなく写真に撮ってみたが成功した
のはこの四枚のみ。市重文指定はおろか、高崎市のHPにすら紹介されていない
という不遇の作品。
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境内の西端には「田村堂」。
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田村堂には下仁田戦争で戦没した高崎藩士の木像が安置されている。
下仁田戦争とは、尊王攘夷を旗印に水戸藩において挙兵した天狗党の残党が、
在京の徳川慶喜(徳川幕府15代将軍)へ進言するため上州を通った折、幕命を
受けて出兵した高崎藩と下仁田で交戦となったもの。この時、高崎藩は
天狗党に敗退し、高崎藩士31名を含む36名が戦没。
この木像は、下仁田戦後、その死を悼んだ清水寺田村仙岳和尚が安置したものだが
当時のお堂は傷みが酷く、現存のお堂は、1914年の下仁田戦争50年祭を機に、
建替えられ、その折、征夷大将軍坂上田村麻呂に因んで「田村堂」と命名。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き
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何たることか盛り上がっている筈のアジサイが殆ど見られない。
近くで整備していた人に聞いたら「今年の花付きは極端に悪くてーー」と。
まあ、それでも一巡するためにまず518段の石段を下る。
舞台と称する楼門を潜って振り返り。
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中間点まで殆ど花に出合わずに「馬頭観世音」を通過。
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もう車道が見える高さで山門を潜る。この辺から花が少し見られる。
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矢印をクリック)
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参道の石段途中で出会った石仏たち。
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そして再び石段を登りながらの数少ないアジサイを撮って終了。
これでは又口直しが必要だな。差し当たり吉井の牛伏山と
下仁田アジサイ園にでも近日の内に訪問しよう。
清水寺 セイスイジ
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