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岩櫃
145号線で中之条を過ぎると妙義が引越ししてきたかの様な何とも奇怪な形をした岩峰が見えるがこれが「岩櫃山」である。この山は大戸の辺りから見るのが最高とされるが、吾妻川沿線からでも見応えがある。原町駅の次ぎの無人駅「郷原」に駐車させてもらい、
ホームからショートカットして線路を渡って北に向った。因みにこの吾妻線には郷原同様の無人駅が11もあり、無人駅率は73%というから驚き。突き当たって左に行き、閉店中のような寂しい雑貨屋さんの角を右折すれば登山口まで真っ直ぐ。面白いのはこの道から岩櫃が色々形を変えて眺められるので違った楽しみでもある。丁字路に左・健脚向き密岩通り、右・赤岩通りとあったので迷った末に、密岩コースへ。直ぐに右折すると畠の中に登山口。10分も行くと通行止めの密岩神社への道があるが当然パス、その先から早くも一寸長い鎖場と梯子がある。爺イは未だこんな鎖は馴れていないので極度の緊張。
頂上へ0.8㌔との道標のある西尾根鞍部からも大分怖い思いをしながら進むと暫くで細い岩稜の「天狗の掛け橋」に来た。これが名物らしが回り道があったので其方を選んだ。
それから良く覚えていないが、岩門を潜ったり鉄柵に掴まったりして頂上直下。鎖を登って「風の山」とも言われている頂上。南が崖で展望をゆっくり楽しむ余裕もない。
周辺の人は鎖で隣の見晴らしみたいな岩に次々と行くが爺イは目が回りそうでパス。
下山に掛ると大岩の前、「櫃の口」と言うのだそうだ。更に名物の「天狗の蹴上げ岩」の梯子を乗り切ると分岐に出た。「沢通り」とか「尾根通り」とかあって城址に行くらしい。
赤岩への道を降りると何と完璧に整備された木段である。少々ヒザに堪えるが密岩の鎖を下るより遥かに気楽。途中の岩場では岩シバの群落が目立つ。気が付くと採取禁止の立て札も多い。よく路傍や農産物直売所で売っているのは、こう言うところから持ってくるのであろうか?やがて突然に畠の道に飛び出し、右折すると先程の密岩との分岐に出るが、
「旧赤岩通り」というのも在るとのことで何時か辿ってみる。
駅までは岩櫃山を振り返り振りかえりして景観を楽しんでのんびり。
資料によると岩櫃東面の中腹に在る岩櫃城は武田領内の三大名城といわれたそうで、その昔の吾妻太郎の築城が始まりとの伝承があり、家康の一国一城令で廃城となるまで400年間を行き抜いたそうである。
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頂上へ0.8㌔との道標のある西尾根鞍部からも大分怖い思いをしながら進むと暫くで細い岩稜の「天狗の掛け橋」に来た。これが名物らしが回り道があったので其方を選んだ。
それから良く覚えていないが、岩門を潜ったり鉄柵に掴まったりして頂上直下。鎖を登って「風の山」とも言われている頂上。南が崖で展望をゆっくり楽しむ余裕もない。
周辺の人は鎖で隣の見晴らしみたいな岩に次々と行くが爺イは目が回りそうでパス。
下山に掛ると大岩の前、「櫃の口」と言うのだそうだ。更に名物の「天狗の蹴上げ岩」の梯子を乗り切ると分岐に出た。「沢通り」とか「尾根通り」とかあって城址に行くらしい。
赤岩への道を降りると何と完璧に整備された木段である。少々ヒザに堪えるが密岩の鎖を下るより遥かに気楽。途中の岩場では岩シバの群落が目立つ。気が付くと採取禁止の立て札も多い。よく路傍や農産物直売所で売っているのは、こう言うところから持ってくるのであろうか?やがて突然に畠の道に飛び出し、右折すると先程の密岩との分岐に出るが、
「旧赤岩通り」というのも在るとのことで何時か辿ってみる。
駅までは岩櫃山を振り返り振りかえりして景観を楽しんでのんびり。
資料によると岩櫃東面の中腹に在る岩櫃城は武田領内の三大名城といわれたそうで、その昔の吾妻太郎の築城が始まりとの伝承があり、家康の一国一城令で廃城となるまで400年間を行き抜いたそうである。
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