クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

続・撮りこぼし三角点にタッチ H-19-8-6

2007-08-06 21:25:31 | 三角点・宮標石その他標石
ポカリ二本に軽食、カメラ、雨具のみの軽装で先ず、榛名湖東端へ。
榛名富士登山口の目印だつたビジターセンターが見当らない。
夏草の生い茂る中に登山口の道標。


この山は爺イにとつてはハイキングで登った最初の山(10.00)。
下から見るとこんな姿の山。


誰もいない登山道に入ると熊笹の間のジグザグ道、と云うより一辺が長いので
蛇行道の感じだが、荒れている上に時々は急登や滑り易い軽石粒のザラ場が
混じるので楽ではない。標準で40-50分の所を一時間超でケーブル駅。
行楽シーズンにしては観光客は意外に少ない。「富士山神社」の掲額のある
鳥居を潜って社殿のある展望台へ。


途中の左へ入った所に四基の石碑。


右から「石長姫大神イワナガヒメノオオカミ」「榛名富士大神」「保食大神
ウケモチノオオカミ」「饒速日大神ニギハヤヒノオオカミ」。
「榛名富士大神」とは「木花開耶姫神」をまつったもの、云わずと知れた
「天照大御神アマテラスオオミカミ」の孫に当り天皇家の直接の祖先として、
又、「天孫降臨」で名高い「邇邇芸命ニニギノミコト」の后。榛名富士山頂の
「富士山神社」の祭神となっているが元々は富士山・浅間神社ノ祭神。
やがて神社社殿前、ロープウェイ開設のS-39年の建設なのでピカピカ。


その右脇に一等三角点。


因みに群馬の一等三角点は12と言われるが、「一等三角点本点」は地蔵岳(赤城山)
のみであとの11は「一等三角点補点」である。北から言うと「一ノ倉岳」
「沖武尊」「高田山」「子持山」「前袈裟」「東篭ノ登山」「榛名富士」「留夫山」
「唐沢山」「上城山(根小屋城址)」「赤久縄山」。「八風山」は県外。
しかし、ある資料では一ノ倉・東篭ノ登・留夫山は他県扱いで載っていなくて9。

展望は良い筈だったが夏特有の霞みが掛ったような感じで遠くの山は駄目。
東に見える相馬山が立派、其の左に「水沢」「雌岳」「雄岳」が並ぶ。

暫く休んで滑り易いザラ場の多い道を下山。結局、登山者に逢わなかった。
湖畔から掃部ヶ岳(12.00)。


気のせいか、雷雲が湧いてきたようなので次ぎの目標・水沢の森林公園口に急ぐ。
つつじヶ原付近から水沢山。


登山口付近には駐車一台も無し。この時期には低山の為、登山者が少ないのかな。
蝉の声も少ない樹間は何となく湿っぽく爽快とは縁遠い(12.40)。


このコースは見た目と逆で楽そうな中継搭までの方が距離もあるし、登山道も
荒れていて軽石粒が滑るので疲れる。中間の道標。


其の先は高低差はあるが、足場に丁度良い岩場の道で高度を稼げるので
前半よりも楽。
頂上に着くとここも無人。三角点はこんな感じ(13.12)。


霞んでいて展望不良。下には伊香保カントリー、


東から見た二つ岳・榛名富士方面。


近くに大弁の山百合がひっそり。


蝶も多く縄張り争いか動きが激しいが休むのに石の上とは変な習性。



時々、燕の集団が蝶を追って華麗な空中戦を展開する。

本日の爺イ。


のんびりしてから下山開始、途中で少し草臥れたようなクワガタ発見。


「つつじ峰」への看板もある駐車場へは14.03着。


蛇足・
「石長姫大神イワナガヒメノオオカミ」とは「木花開耶姫神」の姉で
延命長寿の神。実は「邇邇芸命ニニギノミコト」は后選びの時、絶世の
美女の「木花開耶姫神」にするか、美人ではないが岩の様に長い寿命を持つ
姉の石長姫大神にするか悩んだが、結局美人の妹を選んだ。其のために
神の子孫である天皇に寿命が生じた、と神話は伝えている。邇邇芸命の
子孫が初代の神武天皇だから。
「饒速日大神ニギハヤヒノオオカミ」は神武天皇が東征の時に武運を
祈った神で古代の武の一族、伝説の物部氏の祖。
「保食大神ウケモチノオオカミ」は「衣」としての蚕と「食」の五穀の種子を
生んだ神。但し、天照大御神の弟で「月の神」と云われる「月夜見尊」に
殺害される。此れに激怒した天照は二度と弟には会わないようになった。
それがこの世に昼と夜が生まれた、とは此れも神話だが、東南アジア全般に
残る「食物起源神話」と同じストーリー。

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