クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

二子山古墳 コスモス R-3- 10-18

2021-10-19 10:43:23 | 高崎・甘楽・藤岡方面
保渡田古墳群散策を兼ねてコスモス見物。

保渡田古墳群とは二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の
総称、1985年に国の史跡に指定されている。

古墳配列



爺イの古いブログ記事から抜粋すると
「三世紀の頃、高度な農業技術を持った大集団が東海地方
から海路で東京湾に上陸、利根川を遡上して高崎周辺の
低湿地帯に至り、その灌漑技術によって現地の弥生人たち
が為し得なかった湿地の水田化を実現した。不毛の地が
「毛野」に変貌した瞬間である。
彼らの頭領たる王はその死後、高崎・元島名町の
「将軍塚古墳(県内最古)」に葬られた。それが四世紀の事。

そして五世紀の後半、榛名山東南麓を開発する豪族が活躍。
彼らは周到な計画を以って渡来人を多数招聘して先進技術
を導入、農業・馬生産・手工業を興す。その大王たちは
井出から保渡田に至る古墳群に眠っている。それがこの
古墳群。
だがこの地域はその絶頂期の五世紀末に火砕流を伴う
第一回の榛名山大爆発に見舞われる。火砕流は広範囲の
森林・耕地・村々を焼き払い、せき止められた自然ダムが
決壊して土石流が山麓を埋め尽くした。六世紀中期には
第二回の爆発で大量の軽石が山麓に数メートルも降り
積もる。そして、高崎に文明を開いたこれら豪族達は
古墳を残して忽然と消息を絶つ」ーーーという訳。


コスモス畑は西側の二子山古墳の周囲にあるので
公園内を西に進むと大きな古墳の石碑の彼方に
古墳とコスモス畑が見える。



近づくと古墳周囲のコスモスは最盛期を終了したようで
元気なく萎れ加減。



北の榛名方面も同様だが景観としては中々のもの。



集めた画像でyoutube。



コスモス畑から離れて「八幡塚古墳」の石碑。



八幡塚古墳の全景。



古墳の周囲は土器と盾持ち人のレプリカが
ぐるりと取り囲み内側に当時を偲ばせる
レプリカが配列されている。






観客に混じってのブラブラ歩きで本日の
ウォーキングは終了。
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