今年も恒例の御巣鷹の尾根へ日航機事故の慰霊登山。
序に近くの蟻ヶ峰山、別名・「高天ヶ原山」まで足を延す積り。参考にするのは
「あにねこ」さんの去年の記録。あにねこさんは四ヶ月ぶりに復活して目出度し。
下仁田からR-45(下仁田・上野線)で南牧村を南進、湯ノ沢トンネルを目指す。
このトンネルは2003年に開通、南牧・桧沢と上野村・樽原を結ぶ3.3K。
上野村側の出口は綺麗に整備されて小公園風。
丁字路でR-299に合流して左折、僅か1Kの郵便局角を右折して上野ダム方面へ。
ここから登山口まで意外に遠くて17Kもある。
間もなく自然に「ぶどう峠」に向かうR-124に合流し「三岐」地区で左折してダム道路に
入ると直ぐに八つのトンネルが始まる。
先ず「三岐トンネル」と「浜平トンネル」。
その先には日本三百名山になっていると云う上野村・諏訪山の浜平登山口の道標。
次のトンネルは「大神楽1号」に続いて「大神楽2号」。この2号は特殊で地質の関係からか
360度も周ってくるので1号と2号の入り口は100mと離れていない。
その後は「虎王トンネル」「長岩トンネル」「手水トンネル」
最後は「琴音トンネル」と
続くが、これらを潜っているうちに上野ダム湖は通過してしまう。
ダム湖を過ぎると進路は細い村道に替わり、直ぐに「中止の滝」を通過。この滝は
左手の崖を相当登らなくてはならないので今回の大雨のあと、道が保全されて
いるかは不明。
この先の路面は少々荒れ気味、山手から水が染み出して林道を流れ、こぶし位の
落石も多く、小型のショベルカーが土砂の除去作業中で暫く待たされた。
何とか、登山者用の上の駐車場に到着(9.45)。未だ一台も無くひっそり。
整備された登山道入り口からスタート。数年前から設置された丸太の段で大助かり。
表示に依ると登山口は標高1359m、登山路は800m、そして標高差180mで慰霊碑の広場
だから標高1539m。
登山道にはこんな道標が随所にあり、残りの歩行距離を知らせてくれる。
「スゲの沢のささやき」の碑の手前に比較的新しい「山守地蔵」。
何やら急に後方が騒がしくなった。上野ダムの関係者の団体が30名くらい花束持参で
登ってきた。歩行スピードが違いすぎるので先に行ってもらう。作業着の袖に
「TEPCO」とあるから東京電力だな。
やがてかつては「日航の小屋」と言われていた筈の建屋を通過。後ろを見たら
爺イと同じペースの人が二人も付いてきているので思わずニヤリ。
墓名碑が出始める所に何とも優しい地蔵さん。
後続の二人に追い抜かれる事もなく広場着(10.19)。
一休みして拝礼の準備で線香等をザックから出している内に、団体さんのセレモニー
が始まってしまった。序のことなので一緒に一分間の黙祷。
代表者4人さんの献花の間、じっと待つ。
団体拝礼の後、団体さんが自由行動に移ったので此方も線香を手向ける。
蟻ヶ峰に向かうため、直ちに慰霊碑の裏から登り始めるが、遺族が持ち込んだものを
収めた小屋を一寸覗く(10.40)。
直ぐ上に「御巣鷹茜観音」。
山手を眺めると墜落寸前に機体の腹を擦ったという峰が良く見える。
金属の板で作られた階段を経て登山道へ。道の左右に道標が見られるが、右のは
高い樹幹に付けられているので足元を見て登っていれば見逃すだろう。
僅かの距離で進路は凄いことになり、前途多難を思わせる。
傾斜も半端ではなくなる。直線距離は1Kもないのに標高差は350mだから仕方ない。
踏み跡があるとか無いとかのレペルでは無く、目印が頼りだけ。流石に群馬の秘境と
言いたくなる厳しい登りが続く。後ろから二組が迫ってきてあっと言う間に追い抜かれ。
途中で先行の一組は姿は見えなくなったがもう一組に追いついた。何でも片方の
運動靴の中年男性が山は初めてとの事でこの悪路に参っているらしい。
この後は三人でべちゃくちゃ世間話をしながらのんびり登る。
漸く県境尾根分岐に到着。先行者はもう昼飯も終わっているらしい(12.10)。
何時もの通り所要時間は「あにねこさん」の二倍。
この県境の前面(西側)は長野県南佐久郡南相木村、ダムによる固定資産税の増収に
よって地方交付税の不交付自治体、人口は僅かに1100人とか。ゆっくり昼食・休憩。
休憩後、キノコ探しをすると言うお二人さんと別れて蟻ヶ峰に向かって南稜線へ。
ここから緩やかに等高線を四本下るのが手始め(12.40)。
と、岩場出現。御親切にも補助ロープが付けられているので短足爺イも何とか岩角を
踏んで通過。
その先は暫く平坦路で楽をする。
途中で周囲を気をつけていたがキノコなんてこんな物しかない。
やがて僅かに上り加減で前面の稜線を目指すが、足元は羊歯がいっぱいで踏み跡も
ハッキリしない。
等高線6本ほどで新しい北西・南東稜線に北東から到着。
踏み跡を辿ると子尾根を乗り越えて稜線の西側を行く事になったようだ。
直ぐ左手に稜線があるが踏み跡は絶対にそこには入っていかない。
やがて深い林の彼方が木々で盛り上がっているので多分あれが目標の山。
やや下って鞍部の様なところ。ここからは等高線で7本だが踏み跡は直登せずに
ぐっと左に回りこみ、頂上の横にまで進む。
適当なところから急斜面を這い登ったらポンと台地に飛び出した。
目の前に何やら境界杭の様な漢数字の入ったコンクリート柱。
そこから数メートル南は広場風の頂上。三角点や標識が見えて到着(13.39)。
標識はMHCさんの物と細いリボン風のもの。今後はこのリボン風が流行るかな?
三角点は二等で1978.6m、点名・蟻ヶ峠。ここは南相木村・上野村・川上村の交点。
川上村は八ヶ岳の裾野の感じで、村役場の標高1185mは行政機関としては日本一高い。
空気が澄んでいれば相当な展望との事だが、生憎なことにこんなものしか。
若しかすると南八ヶ岳方面か?
本日の爺イ。
一応の目的も達したので軽食を腹に詰めて下山開始(14.10)。気付いたら台地からの
降り口にはチャンと目印も付けられているし、踏み跡もあるのて気楽。
軽い気持ちでずんずん進んだが、登り返しが無いな? と気づいた時は遅かった。
あにねこさんの復路と同じルートを長野側に下りかけている。位置を確認すると
既に県境分岐の真西。戻るも無駄なので目の前の斜面を登る。脚力が無いので
大きく蛇行進路を採るが大苦戦。等高線7本。
漸く両足を突っ張らして県境分岐の標識から50m程南に這い上がり。
一寸右足の腿の痛みを庇いながら分岐着。大休止、年寄りが途中で歩けなくなるという
事はこんな具合で発生するのかと実感。何しろ、一人旅だから無事に帰るために
時間を取る(15.10)。
そろりそろりと下山開始。何とも足場の悪い急降なのでガクンというショックが
腿に伝わるので休止回数無数。途中で「こんちわー」と声が掛かった。脇の大岩の
上に男性が一人胡坐をかいている。「この先、道がありますか?」と聞かれたので
道はハッキリしないこと、目印頼りであること、今からでは林の中が暗くなって
無理」と伝えた。実は下山後に爺イ以外の車がなかったのが後で気がかり。
普通の二倍も時間を掛けて慰霊碑に到着。気が付いたら風車の位置が変っている。
(16.01)
此処からの丸太段がドスンと足に響いて大弱り、漸く駐車場には16.28。
帰路は富岡辺りで暗くなり19時過ぎに帰宅。既に横浜戦が始まっていて1-1。
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序に近くの蟻ヶ峰山、別名・「高天ヶ原山」まで足を延す積り。参考にするのは
「あにねこ」さんの去年の記録。あにねこさんは四ヶ月ぶりに復活して目出度し。
下仁田からR-45(下仁田・上野線)で南牧村を南進、湯ノ沢トンネルを目指す。
このトンネルは2003年に開通、南牧・桧沢と上野村・樽原を結ぶ3.3K。
上野村側の出口は綺麗に整備されて小公園風。
丁字路でR-299に合流して左折、僅か1Kの郵便局角を右折して上野ダム方面へ。
ここから登山口まで意外に遠くて17Kもある。
間もなく自然に「ぶどう峠」に向かうR-124に合流し「三岐」地区で左折してダム道路に
入ると直ぐに八つのトンネルが始まる。
先ず「三岐トンネル」と「浜平トンネル」。
その先には日本三百名山になっていると云う上野村・諏訪山の浜平登山口の道標。
次のトンネルは「大神楽1号」に続いて「大神楽2号」。この2号は特殊で地質の関係からか
360度も周ってくるので1号と2号の入り口は100mと離れていない。
その後は「虎王トンネル」「長岩トンネル」「手水トンネル」
最後は「琴音トンネル」と
続くが、これらを潜っているうちに上野ダム湖は通過してしまう。
ダム湖を過ぎると進路は細い村道に替わり、直ぐに「中止の滝」を通過。この滝は
左手の崖を相当登らなくてはならないので今回の大雨のあと、道が保全されて
いるかは不明。
この先の路面は少々荒れ気味、山手から水が染み出して林道を流れ、こぶし位の
落石も多く、小型のショベルカーが土砂の除去作業中で暫く待たされた。
何とか、登山者用の上の駐車場に到着(9.45)。未だ一台も無くひっそり。
整備された登山道入り口からスタート。数年前から設置された丸太の段で大助かり。
表示に依ると登山口は標高1359m、登山路は800m、そして標高差180mで慰霊碑の広場
だから標高1539m。
登山道にはこんな道標が随所にあり、残りの歩行距離を知らせてくれる。
「スゲの沢のささやき」の碑の手前に比較的新しい「山守地蔵」。
何やら急に後方が騒がしくなった。上野ダムの関係者の団体が30名くらい花束持参で
登ってきた。歩行スピードが違いすぎるので先に行ってもらう。作業着の袖に
「TEPCO」とあるから東京電力だな。
やがてかつては「日航の小屋」と言われていた筈の建屋を通過。後ろを見たら
爺イと同じペースの人が二人も付いてきているので思わずニヤリ。
墓名碑が出始める所に何とも優しい地蔵さん。
後続の二人に追い抜かれる事もなく広場着(10.19)。
一休みして拝礼の準備で線香等をザックから出している内に、団体さんのセレモニー
が始まってしまった。序のことなので一緒に一分間の黙祷。
代表者4人さんの献花の間、じっと待つ。
団体拝礼の後、団体さんが自由行動に移ったので此方も線香を手向ける。
蟻ヶ峰に向かうため、直ちに慰霊碑の裏から登り始めるが、遺族が持ち込んだものを
収めた小屋を一寸覗く(10.40)。
直ぐ上に「御巣鷹茜観音」。
山手を眺めると墜落寸前に機体の腹を擦ったという峰が良く見える。
金属の板で作られた階段を経て登山道へ。道の左右に道標が見られるが、右のは
高い樹幹に付けられているので足元を見て登っていれば見逃すだろう。
僅かの距離で進路は凄いことになり、前途多難を思わせる。
傾斜も半端ではなくなる。直線距離は1Kもないのに標高差は350mだから仕方ない。
踏み跡があるとか無いとかのレペルでは無く、目印が頼りだけ。流石に群馬の秘境と
言いたくなる厳しい登りが続く。後ろから二組が迫ってきてあっと言う間に追い抜かれ。
途中で先行の一組は姿は見えなくなったがもう一組に追いついた。何でも片方の
運動靴の中年男性が山は初めてとの事でこの悪路に参っているらしい。
この後は三人でべちゃくちゃ世間話をしながらのんびり登る。
漸く県境尾根分岐に到着。先行者はもう昼飯も終わっているらしい(12.10)。
何時もの通り所要時間は「あにねこさん」の二倍。
この県境の前面(西側)は長野県南佐久郡南相木村、ダムによる固定資産税の増収に
よって地方交付税の不交付自治体、人口は僅かに1100人とか。ゆっくり昼食・休憩。
休憩後、キノコ探しをすると言うお二人さんと別れて蟻ヶ峰に向かって南稜線へ。
ここから緩やかに等高線を四本下るのが手始め(12.40)。
と、岩場出現。御親切にも補助ロープが付けられているので短足爺イも何とか岩角を
踏んで通過。
その先は暫く平坦路で楽をする。
途中で周囲を気をつけていたがキノコなんてこんな物しかない。
やがて僅かに上り加減で前面の稜線を目指すが、足元は羊歯がいっぱいで踏み跡も
ハッキリしない。
等高線6本ほどで新しい北西・南東稜線に北東から到着。
踏み跡を辿ると子尾根を乗り越えて稜線の西側を行く事になったようだ。
直ぐ左手に稜線があるが踏み跡は絶対にそこには入っていかない。
やがて深い林の彼方が木々で盛り上がっているので多分あれが目標の山。
やや下って鞍部の様なところ。ここからは等高線で7本だが踏み跡は直登せずに
ぐっと左に回りこみ、頂上の横にまで進む。
適当なところから急斜面を這い登ったらポンと台地に飛び出した。
目の前に何やら境界杭の様な漢数字の入ったコンクリート柱。
そこから数メートル南は広場風の頂上。三角点や標識が見えて到着(13.39)。
標識はMHCさんの物と細いリボン風のもの。今後はこのリボン風が流行るかな?
三角点は二等で1978.6m、点名・蟻ヶ峠。ここは南相木村・上野村・川上村の交点。
川上村は八ヶ岳の裾野の感じで、村役場の標高1185mは行政機関としては日本一高い。
空気が澄んでいれば相当な展望との事だが、生憎なことにこんなものしか。
若しかすると南八ヶ岳方面か?
本日の爺イ。
一応の目的も達したので軽食を腹に詰めて下山開始(14.10)。気付いたら台地からの
降り口にはチャンと目印も付けられているし、踏み跡もあるのて気楽。
軽い気持ちでずんずん進んだが、登り返しが無いな? と気づいた時は遅かった。
あにねこさんの復路と同じルートを長野側に下りかけている。位置を確認すると
既に県境分岐の真西。戻るも無駄なので目の前の斜面を登る。脚力が無いので
大きく蛇行進路を採るが大苦戦。等高線7本。
漸く両足を突っ張らして県境分岐の標識から50m程南に這い上がり。
一寸右足の腿の痛みを庇いながら分岐着。大休止、年寄りが途中で歩けなくなるという
事はこんな具合で発生するのかと実感。何しろ、一人旅だから無事に帰るために
時間を取る(15.10)。
そろりそろりと下山開始。何とも足場の悪い急降なのでガクンというショックが
腿に伝わるので休止回数無数。途中で「こんちわー」と声が掛かった。脇の大岩の
上に男性が一人胡坐をかいている。「この先、道がありますか?」と聞かれたので
道はハッキリしないこと、目印頼りであること、今からでは林の中が暗くなって
無理」と伝えた。実は下山後に爺イ以外の車がなかったのが後で気がかり。
普通の二倍も時間を掛けて慰霊碑に到着。気が付いたら風車の位置が変っている。
(16.01)
此処からの丸太段がドスンと足に響いて大弱り、漸く駐車場には16.28。
帰路は富岡辺りで暗くなり19時過ぎに帰宅。既に横浜戦が始まっていて1-1。
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JAL123の事故からもう25年以上経ちましたが、
御巣鷹の尾根を訪れたときは記憶が生々しく蘇る気がしました。
県境稜線までの道は、なかなか急ですね。写真を見ると、
私が昨年登ったときよりも、少し荒れているような気がしました。
台風の影響かも知れません。
急に涼しくなって、県内の山に登るには適した季節になってきましね。
この山域にもまた行きたくなってきました。
今回も資料を参考にさせて戴きました。特に
経路図の軌跡をインプットして辿るので
初めてのコースは楽をさせてもらっています。
病後と聞いておりますので無理をされないように。