今日は爺イの誕生日、家族とのお祝い会食の前に昨年と同じく
高崎・慈眼寺の枝垂れ桜見物。予想通り駐車場は満杯で
仕方なく路傍駐車。境内は大きな三脚や高級そうなカメラ持参の
愛好家を含めてやや混雑。平日のせいか、お年より多数で子供の
姿は少なかった。
桜模様は一番最後にデジブックで。
この境内には桜のほかに見ものが多いのでそれらを幾つか。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
クリックで元に戻る)
寺院のHPより施設の解説をそのまま載せると
本堂
現在の本堂は昭和58年、52世良雄代に落慶した。間口11,5間、奥行8間、92坪。
本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音。
前仏はこれまで観音堂に納められていた聖観音。
観音堂
詳細は不明、堂前の灯篭に元禄6年奉納とあることから、その頃の建立。
昭和31年に堂全体の解体修理、平成18年に回廊修理が為されている。
現在はかつての本堂前仏である、故松久宗琳氏作の聖観音が祀られている。
大師堂
観音堂と同じく詳細は不明、同時期の建立とされる。
堂内には数体の弘法大師像。
弁天堂
昭和初期、50世良清代に高崎田町より移転した。本堂裏山林内の小塚上。
山門
文政元(1818)年、36世良恵代に造立。格天井の絵画は平成5年に奉納。
山門より南方に参道が伸びており、表門(石門)へと繋がる。
参道両脇にはかつて九ヶ寺が塔頭寺院としてあった。
鐘楼
天保12(1841)年、37世覚信代に造営。梵鐘は昭和19年に応召され、昭和50年に再鋳。
毎日6時12時18時に衝かれる。
大晦日には参拝者による除夜の鐘を行っていたが、東日本大震災による損傷のため、
現在では中止している。
少将桜
前橋城主少将酒井忠清公遺愛の枝垂れ桜。公が慈眼寺の桜を愛し、
ご自身の位階を取ってこの桜を「少将桜」と名付けた。
別名「夜泣き桜」とも言われる。
歴代先師墓
1世中興開山乗弘大徳より30世慶範までの歴代住職が祀られた墓所。
平成19年53世良弘代に修復、整備。
芭蕉句碑
文政7(1824)年の造立。高さ3尺2寸。
「木の下は しるもなますも さくらかな 翁」
江原源左衛門重久の墓
市指定史跡。
源左衛門は江戸時代初期に滝川地方の新田開発の中心人物で、先祖は武田勝頼の遺臣と
され、父の代より滝川村に土着。この地域を開発するために代官伊奈忠次に
進言して天狗岩堰の末流を改修し、慶長15(1610)年に竣工にこぎつけた立役者。
寛永14(1637)年4月14日寂。
隠れキリシタンの墓
「延宝元(1673)年7月29日 妙霊禅定尼」と刻まれている。
旧境内地(現・天田氏屋敷)にあった多数の墓石を現在の場所に移した
際に発見された。
境内に隣接して椿園があるので一寸覗いてみた。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
クリックで元に戻る)
帰り道で文化会館の桜が綺麗だったので数枚。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
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デジブック 『慈眼寺しだれ桜』
今度は今週末の小幡武者行列で桜が見られるかな?
高崎・慈眼寺の枝垂れ桜見物。予想通り駐車場は満杯で
仕方なく路傍駐車。境内は大きな三脚や高級そうなカメラ持参の
愛好家を含めてやや混雑。平日のせいか、お年より多数で子供の
姿は少なかった。
桜模様は一番最後にデジブックで。
この境内には桜のほかに見ものが多いのでそれらを幾つか。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
クリックで元に戻る)
寺院のHPより施設の解説をそのまま載せると
本堂
現在の本堂は昭和58年、52世良雄代に落慶した。間口11,5間、奥行8間、92坪。
本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音。
前仏はこれまで観音堂に納められていた聖観音。
観音堂
詳細は不明、堂前の灯篭に元禄6年奉納とあることから、その頃の建立。
昭和31年に堂全体の解体修理、平成18年に回廊修理が為されている。
現在はかつての本堂前仏である、故松久宗琳氏作の聖観音が祀られている。
大師堂
観音堂と同じく詳細は不明、同時期の建立とされる。
堂内には数体の弘法大師像。
弁天堂
昭和初期、50世良清代に高崎田町より移転した。本堂裏山林内の小塚上。
山門
文政元(1818)年、36世良恵代に造立。格天井の絵画は平成5年に奉納。
山門より南方に参道が伸びており、表門(石門)へと繋がる。
参道両脇にはかつて九ヶ寺が塔頭寺院としてあった。
鐘楼
天保12(1841)年、37世覚信代に造営。梵鐘は昭和19年に応召され、昭和50年に再鋳。
毎日6時12時18時に衝かれる。
大晦日には参拝者による除夜の鐘を行っていたが、東日本大震災による損傷のため、
現在では中止している。
少将桜
前橋城主少将酒井忠清公遺愛の枝垂れ桜。公が慈眼寺の桜を愛し、
ご自身の位階を取ってこの桜を「少将桜」と名付けた。
別名「夜泣き桜」とも言われる。
歴代先師墓
1世中興開山乗弘大徳より30世慶範までの歴代住職が祀られた墓所。
平成19年53世良弘代に修復、整備。
芭蕉句碑
文政7(1824)年の造立。高さ3尺2寸。
「木の下は しるもなますも さくらかな 翁」
江原源左衛門重久の墓
市指定史跡。
源左衛門は江戸時代初期に滝川地方の新田開発の中心人物で、先祖は武田勝頼の遺臣と
され、父の代より滝川村に土着。この地域を開発するために代官伊奈忠次に
進言して天狗岩堰の末流を改修し、慶長15(1610)年に竣工にこぎつけた立役者。
寛永14(1637)年4月14日寂。
隠れキリシタンの墓
「延宝元(1673)年7月29日 妙霊禅定尼」と刻まれている。
旧境内地(現・天田氏屋敷)にあった多数の墓石を現在の場所に移した
際に発見された。
境内に隣接して椿園があるので一寸覗いてみた。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
クリックで元に戻る)
帰り道で文化会館の桜が綺麗だったので数枚。
(サムネイル写真を左クリックで拡大、画面左上の左向き「戻る矢印」を
クリックで元に戻る)
デジブック 『慈眼寺しだれ桜』
今度は今週末の小幡武者行列で桜が見られるかな?
これからも近郊の山ルートを紹介してください。大変参考になります。
2日前に慈眼寺の桜を私も見てきました。昔よりも花付きが悪くなった感じです。
爺さんといつかどこかでお会いするような気がします。そのときは声をかけられるでしょうか。
榛名山の季節になりましたが、この春はことのほか花粉症の症状が重く、なかなか腰が上がりません。このぶんだと4月下旬にならないと山に入れないのではないか。
今晩は! 小生も花の勢いがないのでベテランらしい
写真家の人に聞いたら「花びらが落ちていないから
最盛期の筈だが樹齢のせいかな?」と言ってました。
今日、個人カードの受け取りで市役所に行ったら
周辺の桜は満開に近づいています。