Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#24 コミッショナー裁定

2009年05月02日 | 1978 年 
大リーグ アスレチックスのバイダ・ブルー投手がトレードされました。このトレードは成立するまでに
ドタバタがありました。ブルー投手は当時28歳、過去に20勝以上が2回・ノーヒットノーランも達成し
MVPや投手としての最高賞であるサイ・ヤング賞も受賞するなど大リーグを代表する左腕でした。
そんな投手をトレードすると発表したのは'77年オフのこと、しかも主力選手との交換ではなく金銭
(当時で5億円と言われていた) トレードであると。A'sのフィンリーオーナー 曰く 「オレは大変な赤字
なんだ、自分の所有する選手を売って赤字を埋めてどこが悪い!」と開き直りました。

このトレードにコミッショナーは「待った」をかけましたが、それにはワケがありました。実はこの一件の
前にも「公正とは思えない」トレード話をオーナーがぶち上げてコミッショナーに却下されていたのです。
それは'76年のシーズン終盤、優勝争いをしていたヤンキースとレッドソックス両球団にそれぞれ主力
選手を「売る」ことを持ち掛けたのでした。コミッショナーは「スポーツマンシップに欠ける」「選手を道具に
トレードを金儲けの手段にしている」として認めませんでした。

需要と供給の資本主義の下、アメリカでは何事も自由であると思いがちですが、「公正」でない事は
認めないという気質が当時はまだ健在でした。日本ではドラフトやFAをアメリカを真似て導入しましたが
不正の温床となっています。有力アマ選手に数球団が"栄養費"を渡していたことが露呈しましたが、
それ以前から公然の秘密であったにも拘らず追求の声は球界内からは勿論、批判すべきメディアからも
出ませんでした。FAにしても球団によるタンパリングは禁止されていますが、球団関係者の意を受けた
記者らが接触して事実上の交渉することは黙認されているのが現状です。日米のコミッショナー権限の
差は明らかです。そもそも日本のコミッショナーは近鉄球団 解散騒動以降しばらくの間 代行でいても、
誰も問題視しないほど軽い存在なのでしょう。

結局、このトレードは両リーグにまたがるトレード期限 3月15日のギリギリ午後11時55分に成立しました。
レッズに5億円で売ることが認められなかった事を教訓にしたのか今回はジャイアンツ相手にブルー1人に
6人のマイナー選手を申し訳程度に付けての、事実上の金銭トレードでした。

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