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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 612 移籍男のドラマ ①

2019年12月04日 | 1976 年 



人間は、いや男はその場を移ったとき良くも悪くも変わる。プロ野球の中でも自分の意思に反してその場を移さなければならないことがある。トレード。このプロ野球のルールに従って今季も新しいチームへと移った多くの野球人がいる。その中で " 栄光の巨人軍 " から追われた4人の男、高橋一・富田・関本・玉井はさまざまな感傷と意欲をもって新天地にその身を託した。そして始まったペナントレースに彼らは意地を白球に叩き付けている。そこには強烈な男のドラマがあるはずである。

鎖が解けて知った自己規制の尊さ
日ハムに移籍した高橋一、富田のコンビはリラックスの良さを知った。それが逆に自己規制の道であることも知った。この変化はある種の巨人に対する強烈な批判でもあるようだ。巨人時代とガラッと変わった私生活に富田は「人間っておかしなものだなぁ」とつくづく感じている。優等生の多い巨人の中で富田は所謂はみ出し者だった。遠征先では勿論、東京にいても赤坂や六本木の繁華街で飲み歩いていた。美枝子夫人と出逢ったのも夫人が歌手・白川奈美として活動していた青山のクラブであった。そんな富田が鳴門キャンプに入るとパタッと繁華街に飲みに出歩かなくなった。

キャンプが終わり東京に戻っても球場から自宅に一直線に帰宅する。南海や巨人時代の富田を知る人には驚きのようだ。「彼も奥さんをもらって子供も生まれたのだから父親として当然かな」とか「心機一転、張り切ってるんだ」など友人らは言うが、実はどちらも的外れのようだ。富田は「僕はねそんな謹厳居士じゃないよ。日本ハムに来たら普段あれこれと束縛されないからストレスが溜まらない。だから酒を飲む機会が減った。巨人時代はやれ門限だ、やれ酒やギャンブルはダメだとか窮屈だったから飲んで気分転換する必要があったんだ。でも今はその必要が無いから真っ直ぐ家に帰っているだけのこと」と明かす。

鳴門キャンプ初の休養日の朝の10時、他球団から移籍して来た選手に対して「監督室に集合するように」と連絡が回った。監督室に向かった富田ら数名の選手たちは驚いた。監督室には酒が用意されており「おお、よく来た。まぁ飲めや」と大沢監督が手招きしたからだ。午前中からの飲酒にさすがの富田もビックリ仰天。周りを見渡せば娯楽室では遠慮することなく酒を飲みながら麻雀卓を囲んでいる選手たちがいた。巨人では緊急呼び出しの時は大抵はお説教ミーティングか特訓だっただけに、余りのギャップに驚いたのだ。「日ハムは普段から自由な雰囲気だから、ことさら遊びたい飲みたいとは思わなくなった」と富田は言う。

これには高橋も同じ心境だ。「打たれたら、失敗したら巨人だったら散々で気分が滅入ってた。ただそれがプロの世界だと思っていた。でも日ハムでは雰囲気が違っていて直ぐに気持ちの切り換えが出来る。野球に関してこれだから遊びの面では尚更かな(高橋)」ユニフォームを着ている時とそうでない時とのケジメさえつければ、酒を飲もうが門限に遅れようがうるさい事は言われない日ハム。「遊びたければ底なしに遊べる。だけどその結果は全て自分に跳ね返ってくる。だから自分がしっかりしないと、と自戒になるんですよ」と高橋は自己規制の大切さを強調する。

これも自己規制のひとつなのか富田はタバコをやめた。「僕は1日50本を吸っていたので本数を減らそうと常々考えていたけど、どうせなら禁煙しちゃえとね。2日目には頭がクラクラしたけど今は大丈夫だよ」とか。ネオン街に行かない、タバコは吸わない夫に対し美枝子夫人は「今は夫婦で家でビール2本の晩酌をしながら子供の成長を見るのが楽しみ。子供の可愛い仕草を2人で発見し合って喜んでいる」のだそうだ。「確かに巨人時代と違って本人はリラックスしています。大体が一本気な性格なので上から抑えつけられるとダメな人なんです。日ハムの水が合うんでしょうね、今は野球に没頭しています」と美枝子夫人。

その一方で共に巨人から移籍して来た高橋は「南海という自由な球団にいた富田には巨人は窮屈だったんでしょう。僕の場合は高校を出て直ぐに巨人でしたから巨人という環境下でずっとやってきて、それが当たり前だと思っていました」と話す。なので高橋は巨人時代と変わらず同じペースの生活を送っていると言うが、和子夫人の目には少し違って見えている。「主人は元々仕事を家庭に持ち込まない主義の人でしたが、やはり負けて帰って来た時は雰囲気は暗かった。ところが今年は気分転換が出来ているのか家ではノンビリしています」と和子夫人は普段の高橋の様子を明かしてくれた。

さて2人にとって再スタートとなった開幕戦、富田は怪我で出場できなかった。本人は「多少の痛みなら出たい」と意欲を見せたが大沢監督は「一番・セカンドで使いたいのはヤマヤマだが無理をさせて怪我が長引いたら本人にもチームにもマイナス」と出場させなかった。富田は10日の南海戦からスタメンで出場し、早速4打数2安打1打点と結果を残し、存在感をアピールした。その試合に先発した高橋は南海打線を4安打に抑えてパ・リーグ初勝利を挙げた。「前のロッテ戦では打たれたが今日は勝った。パ・リーグの野球も分かってきた。やりますよ、手応えは有る」と力強いコメントを残した。




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