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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 575 ペナントレース総括・近鉄バファローズ

2019年03月20日 | 1985 年 



猛牛打線は復活。でも守乱では…
凋落の一途を辿った捕手の盗塁阻止率
捕手陣の凋落が目立った今季の近鉄であった。3年前の昭和57年は近鉄捕手陣は図抜けた盗塁阻止率を誇っていた。パ・リーグの平均阻止率3割2分6厘に対して近鉄は4割3分8厘。梨田選手は4割6分0厘、有田選手は4割1分6厘だった。その近鉄が翌58年は3割6分6厘、昨季は3割5分5厘と徐々に低下。今季は一気に2割1分5厘まで落ち、トップ・西武の3割7分5厘はもとより5位・阪急の2割7分7厘より数段悪いリーグ最低の阻止率である。重盗を含め103盗塁を許したのに対しアウトにしたのは僅か28試走というお寒い内容。


あまり期待の持てなかった外野手の肩
捕手同様に外野手の弱肩ぶりも露呈した。内野手へ返球し進塁、或いは帰塁する走者をアウトにした時に記録される補殺数は外野手の肩の強さの目安と言われている。日ハムのアンダーソン選手は打つ方では期待を裏切ったが守りでは12補殺と強肩ぶりを示した。特に8月6日のロッテ戦では1試合3補殺のパ・リーグ記録に並んだ。チーム別でも日ハムはトップの35補殺。それに対して近鉄はチーム全体でも日ハムのほぼ半分の18補殺に終わった。

満塁弾10発の200発打線が一躍看板に
こうした守備面のマイナスを補ったのが猛牛打線だった。近鉄のチーム本塁打数はパ・リーグトップの212本。バース・掛布・岡田を擁する阪神より7本少ないだけ。また満塁本塁打は10本で、これは昭和55年に西武が記録したパ・リーグ記録の9本を塗り替える新記録だった。昨季まで通算171本塁打を放ちながら満塁弾は未経験だった栗橋選手もプロ12年目にして初満塁本塁打を8月29日に放った。外人の本塁打もデービス40本、バンボ31本と2人だけで昨季の外人勢(デービス18、マネー8、デュラン7、コーリー3)の倍近くの71本塁打を放った。

番記者が選ぶベストゲーム
8月8日、対西武16回戦(藤井寺)。9回表を終えて得点は2対4とリードを許していた。西武先発の工藤投手は近鉄をお得意さんにしており、この試合も8回までデービス選手の2ランだけに抑えていた。9回裏一死後、代打・栗橋選手の安打を足がかりに柳原選手の適時打で1点差に迫り同点のチャンス。しかし代打・有田選手は三振で二死と追い込まれた。この絶体絶命の場面で村上選手が大仕事をやってのけた。初球のストレートを見逃した後のカーブを狙い打つと打球はライナーで左翼席へ。抑えの切り札・森繁投手から逆転サヨナラ2ランで劇的勝利を収めた。大石選手の怪我で出場機会を得た若武者が明日のスター選手の切符を手に入れた瞬間だった。

三塁手が本職の金村選手が投球練習をする異常事態
対阪急19回戦(ナゴヤ)は大乱戦となった。加藤英選手の3ランなどで序盤は大量リードの近鉄だったが投手陣の自滅と阪急打線の爆発で8回を終えた時点で7対5と追い上げられた。9回表の近鉄のマウンドには4人目の住友投手。住友は7回表二死一・三塁の場面で登板しピンチを抑えていた。この日はリリーフエースの石本投手が連投からくる疲れの影響でベンチを外れていて、首脳陣は最終回のマウンドを住友に託したのだった。9回表、先頭の石嶺選手は中飛で一死。次の福本選手は四球。ここで近鉄ベンチが動き鈴木康投手を投入。代打・ヒックス選手の3球目に盗塁を許したが空振りの三振に仕留めて二死までこぎつけた。

ところが蓑田選手に二塁打を許し1点差。続くブーマー選手にも適時打され7対7の同点に追いつかれた。なおも二死一塁で松永選手にボールカウント1-1となった所で左腕の依田投手に交代。しかし依田はストライクが入らず四球を与え二死一・二塁に。この時だった。何と近鉄ブルペンで金村選手が投球練習を始めたのだ。セットポジションからカーブを交えて真剣そのもの。さすがは報徳学園が夏の甲子園大会で全国制覇した時のエース。球の伸び・キレともに本職の投手と遜色なかった。近鉄に余り馴染みのない名古屋のファンはこの " 異変 " に気づかない。マウンドでは依田が苦しみ続けていた。代打・長村選手に対して初球こそストライクだったが2球目以降はボール球が3球続き、歩かせれば満塁となりピンチは広がってしまう。

近鉄ベンチでは岡本監督や仰木ヘッドコーチらが身を乗り出してブルペンをジッと見つめていた。投手コーチがベンチから飛び出してブルペンの金村と何やらヒソヒソ話。答える金村の表情にはいつものひょうきんさは消えていた。満塁になったらいよいよ金村の登板か?と思われた次の瞬間、ボールカウント1-3からボール球くさい5球目を打った長村の打球は力なく中堅手・佐藤選手の頭上に飛んで行った。結局、試合は近鉄が押し出しでサヨナラ勝ち。金村起用について岡本監督は群がる記者を押しのけて無言を通していたが再三の問いかけに「(金村登板は)本気じゃなかったよ」とポツリと答えるとすぐに話題を切り変えた。

しかし同じ質問をされた仰木コーチは「満塁になったら金村を起用する予定だった。谷宏投手が残っていたがウォームアップに時間が必要で間に合わないし、無理やり登板させて故障したら元も子もない。あの場面では負け覚悟で金村しかなかった」と苦笑いしながら告白した。さて、当の金村はというと「ほんまに行けと言われましたよ。久しぶりのピッチングでしたけど思っていたより違和感はなかった。これでも甲子園優勝投手ですからね(笑)。カーブもキレてましたしまだまだ捨てたもんじゃないと思いました。投げたかった?まぁね、エへへ」とブルペンでの緊張した金村からいつもの金村に戻っていた。

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