北海道美術ネット別館

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クリエイターとコンテンツビジネス、そしてアート(上)

2006年01月16日 15時06分25秒 | 情報・おしらせ
 なんだかカタカナばっかしのタイトルってヤだな。頭悪いみたいで(笑い)。今回はカタカナだらけになりそうな予感がする。
 で、北海道経済産業局が編集発行した「SELECTED CREATORS OF HOKKAIDO IN 2005 北海道のクリエイターセレクション」を読んで、じゃ、じぶんが見てきた美術(アート)ってこれからどうなるの? っていう疑問が、このエントリーの発端。あるいは、これまで「商業美術」と「ファインアート」はかなりはっきりと色分けされてきたけど、それでいいのかっていう話だ。

 いわゆる美術畑の人が商業美術にぜんぜんかかわってこなかったとまでは言うつもりはなくて、三越の包装紙を猪熊弦一郎がデザインしたといった例はあるんだけど、全体としては、工芸以外は
「アートはどう使われるかには関与せず」
というのが通例だった。
 そして、ポスター芸術の鼻祖ともいうべきトゥールーズロートレックを別にすれば、ポスターやデザインの分野で活躍した人たちは、大文字の美術史からはほとんど顧みられてこなかった。まあ、さいきん若者でイームズの家具がブームになったりして、ちょっとは変わってきてるとは思うけど。
 妙な差別だと思うんだよね。どっちが世のため人のためになってるかはあきらかなのに、油彩画家は絵肌や構図のかっちり整った絵を見ると「デザイン的だな」などとのたまう。これ、悪口なんだよね。あんまりだよな。
 ファインアートの人(あるいは、それを志す人)にとって、切実なはずなのに、なぜかあまり大声で語られてこなかった難問がある。それは
「どうやってメシを食っていけばいいか」
だ。
 たしかに、クライアントの意見にあれこれ左右されながら創作をしなくちゃいけないデザイナーやディレクターにくらべりゃ、ファインアートの人間は自由だろう。でも人間である限り、メシの問題は避けて通れない。だから、学校の先生などの職にありついたり、画塾や書道塾をひらいたり、画商と仲良くなったり、金持ちのパトロンに目をつけてもらったり・・・といった苦労や制約は、ほんとのところは、商業デザインの人間と似たり寄ったりなんじゃないかな。いわゆる現代美術の場合、作品内容の自由度の高いぶんだけ生活は大変で、アーティスト・イン・レジデンスを求めて世界を渡り歩くことが常態化してる。

 商業美術の世界っていうのは、複製されることが前提になってる。新聞広告も、テレビコマーシャルも、モノのパッケージデザインも、ポスターも。いや、美術だけじゃなくて、小説家は出版が産業にならなくては成立しない職業だし、大衆音楽家は楽譜出版、ついでレコードやラジオが大衆に普及することでその数をふやしてきたし、映画なんか成立した当初から複製可能だし。
 これは鶏と卵の議論になっちゃうかもしれないけど、小説が先にあって出版が後から成立したのではない。
 学校で文学史を学んだ人はおぼえてるかもしれないけど、明治期の前半は暗記させられる項目があまりない。これは内田魯庵からの孫引きだけど、仮名垣魯文は、幕末維新期には小説家というものが日本に数人しかいなかったと追想している。新聞や雑誌に発表して原稿料をもらい、まとまった時点で書籍として出版するという、今日から見たら当たり前のビジネスモデルは、明治の後半になってから成立したのだ(ただし、当時の原稿料は安く、本の出版部数も少なかったから、多くの作家は新聞記者などとのかけもちだった)。
 その半面、ファインアートが特殊なのは、その生産物が基本的に複製不可能だということだ。まあ、版画とかブロンズ彫刻とか写真は複製できるが、それでも少量というのにはかわりない。複製可能な表現分野のクリエイター(作家)は、一定の購買力を持った大衆が成立して初めて生きていくことができるのに対し、画家や彫刻家といったファインアートの作家だけは、大衆を相手に商売ができない。
 「美術館やギャラリーって敷居が高く感じるよねー」という声が根強くあるのは、そこらへんも一因なんだろうな。金のないヤツ、わからないヤツはお呼びでないっていう雰囲気を、知らず知らずのうちにかもし出してるんだと思う。


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