昨日2024年8月27日夕方アップの日本経済新聞電子版の記事( https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC277KZ0X20C24A8000000/ )が、各方面に強い驚きを与えています。
記事の冒頭部分を引用します。
DIC川村記念美術館は、自然に囲まれた素晴らしい環境にあり、国内の美術館でもかなりの良質なコレクションを有しています。
とりわけ、マーク・ロスコやバーネット・ニューマン、フランク・ステラといった、世界を席巻した20世紀後半の米国絵画のコレクションにすぐれています。
ほかにも、モネやピカソ、マレーヴィチ、カンディンスキーなどがあり、レンブラントの肖像画「広つば帽を被った男」は筆者があまりのすばらしさに長時間見入っていたため、監視の女性がいぶかしげにこちらに歩いてきたことがあるほど、忘れがたい逸品です。
企画展も開いており、個人的には1998年の「アンゼルム・キーファーと80年代美術」や2008年のモーリス・ルイス展が印象に強く残っています。
これほど多くの美術好きに支持されている美術館は少なく、「行ったけどガッカリした」という話はこれまで聞いたことがないです。
ただ、東京から遠いんですよね。
佐倉駅から無料シャトルバスが出ています(あまり知られていませんが、東京都心から直行バスもあるそうです)。
このロケーションなので、多くの入場者数とか、採算性を、この美術館に求めるのは筋違いというか、無理があるといわざるを得ません。
美術ファンはこれまで、DIC(旧名は大日本インキ化学工業)のメセナに心の片隅で感謝しつつ、美術鑑賞をしてきたわけです。
まあ、関東甲信越地方には、規模やコレクションは異なっても、私立のミュージアムはたくさんあり、その多くは軽井沢や箱根など、東京から距離のある場所に建っていることを思えば、DIC川村記念の位置がことさらに遠いというわけではありません(このあたり、北海道民にはピンとこないかもしれません)。
しかし、株式会社は株主のものです(本当は株主だけのものではなくて、社会的な存在でもあるが、そのあたりの議論は詳しい人に譲ります)。
株主から
「もうけにならない事業は見直せ」
という声が多数あがれば、経営者は配慮せざるを得ません。
ツイッター(現X)を見ていると、そもそも株式会社が美術館を持ち運営しているという時点で、考えられた事態ではないのかーという意見がありました。
「本体」からの影響を避けるため、別に財団を設立して、美術館などの経営はそちらに任せる、という手法があるというのです。
いわれてみれば、たとえば小樽芸術村は、ニトリホールディングス傘下の会社が運営しているのではなく、似鳥文化財団の運営です。
また、美術館やクラシック音楽ホールなどメセナに積極的なサントリーのように、株式を公開しないというのも一つの手ではあります。
とはいえ、資本の論理がどこまでも貫徹しようとするのはつらいですね。
だいぶ以前に聞いた話ですが、入場料収入で黒字になる美術館は国内には大原美術館など3館ぐらいしかないだろうと言われたことがあります。
文化には、価値が乏しいのではありません。「精神的な満足」などというものは、数字で短期的に計測することが難しいのです。
とりあえず、教育や文化といった領域に、短期的な資本の論理が侵蝕していくことを、わたしたちはできるかぎり食い止めていく必要があるのではないでしょうか。
(DIC川村記念美術館さんとは、以前からツイッターで相互フォローになっています。これも、ひそかにありがたいと感じています)
https://x.com/kawamura_dic
記事の冒頭部分を引用します。
DICは27日、保有・運営するDIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)の運営を見直すと発表した。東京に移転するか運営を中止するかを検討する。年内に結論を出し、2025年1月下旬に休館する。資産効率の観点から運営方法の見直しが必要だと判断した。
DICは美術館の土地と建物と、所蔵する754点の美術作品のうちクロード・モネの「睡蓮」やパブロ・ピカソなど384点を保有している。保有する全作品の資産価値は、6月末時点で112億円(簿価ベース)ある。
祖業がインキ事業であることから「彩りと快適」を象徴する存在として運営してきたが、投資家などから資産効率の観点から見直しを求める声があった。東京に移転し規模を縮小して運営するか、美術館の運営を中止するかを判断する。保有する美術作品の見直しも進める。(以下略)
DIC川村記念美術館は、自然に囲まれた素晴らしい環境にあり、国内の美術館でもかなりの良質なコレクションを有しています。
とりわけ、マーク・ロスコやバーネット・ニューマン、フランク・ステラといった、世界を席巻した20世紀後半の米国絵画のコレクションにすぐれています。
ほかにも、モネやピカソ、マレーヴィチ、カンディンスキーなどがあり、レンブラントの肖像画「広つば帽を被った男」は筆者があまりのすばらしさに長時間見入っていたため、監視の女性がいぶかしげにこちらに歩いてきたことがあるほど、忘れがたい逸品です。
企画展も開いており、個人的には1998年の「アンゼルム・キーファーと80年代美術」や2008年のモーリス・ルイス展が印象に強く残っています。
これほど多くの美術好きに支持されている美術館は少なく、「行ったけどガッカリした」という話はこれまで聞いたことがないです。
ただ、東京から遠いんですよね。
佐倉駅から無料シャトルバスが出ています(あまり知られていませんが、東京都心から直行バスもあるそうです)。
このロケーションなので、多くの入場者数とか、採算性を、この美術館に求めるのは筋違いというか、無理があるといわざるを得ません。
美術ファンはこれまで、DIC(旧名は大日本インキ化学工業)のメセナに心の片隅で感謝しつつ、美術鑑賞をしてきたわけです。
まあ、関東甲信越地方には、規模やコレクションは異なっても、私立のミュージアムはたくさんあり、その多くは軽井沢や箱根など、東京から距離のある場所に建っていることを思えば、DIC川村記念の位置がことさらに遠いというわけではありません(このあたり、北海道民にはピンとこないかもしれません)。
しかし、株式会社は株主のものです(本当は株主だけのものではなくて、社会的な存在でもあるが、そのあたりの議論は詳しい人に譲ります)。
株主から
「もうけにならない事業は見直せ」
という声が多数あがれば、経営者は配慮せざるを得ません。
ツイッター(現X)を見ていると、そもそも株式会社が美術館を持ち運営しているという時点で、考えられた事態ではないのかーという意見がありました。
「本体」からの影響を避けるため、別に財団を設立して、美術館などの経営はそちらに任せる、という手法があるというのです。
いわれてみれば、たとえば小樽芸術村は、ニトリホールディングス傘下の会社が運営しているのではなく、似鳥文化財団の運営です。
また、美術館やクラシック音楽ホールなどメセナに積極的なサントリーのように、株式を公開しないというのも一つの手ではあります。
とはいえ、資本の論理がどこまでも貫徹しようとするのはつらいですね。
だいぶ以前に聞いた話ですが、入場料収入で黒字になる美術館は国内には大原美術館など3館ぐらいしかないだろうと言われたことがあります。
文化には、価値が乏しいのではありません。「精神的な満足」などというものは、数字で短期的に計測することが難しいのです。
とりあえず、教育や文化といった領域に、短期的な資本の論理が侵蝕していくことを、わたしたちはできるかぎり食い止めていく必要があるのではないでしょうか。
(DIC川村記念美術館さんとは、以前からツイッターで相互フォローになっています。これも、ひそかにありがたいと感じています)
https://x.com/kawamura_dic