北海道美術ネット別館

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澄川排水(小泉川) (5)

2024年09月07日 22時54分00秒 | さっぽろ川あるき
澄川排水(小泉川) (4) -  北海道美術ネット別館

澄川排水(小泉川) (4) - 北海道美術ネット別館

(承前)前項(3)で予想したとおり、右手の道は、旧河道に沿っているらしい。上の画像で見るとわかるが、左側が小さながけになっている。そこを、かつての澄川排水が流れていた...

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 なんと10年ぶり(!)のシリーズ再開です。

 これまで「澄川排水」というシリーズ名でしたが、地元ではかつて「小泉川」と呼ばれていたことを知りました。
 そこで、過去4回のシリーズにも「小泉川」という副題を添えました。
 小泉川については、さっぽろ文庫「札幌の橋」や「川の風景」「札幌の地名」、あるいは「札幌の地名がわかる本」などにいっさい記述がないのです。歴代の国土地理院の25000分の1地図にも載っていません。
 地元住民がまとめた『平岸百二十年』などには、なんの注釈もなく「東裏を流れる小泉川」と出てくるので、地元では知られているのでしょう。 

※東裏は、平岸4条あたりより東の一帯を指す通称。平岸街道沿いの本村から見ての呼び名で、平岸からすれば後背地でした。

 まとまっているのは、地元の北海道新聞販売所が発行しているミニコミ「道新りんごステーション」の連載「平岸の歴史をたずねて」です。
 リンク先からpdfファイルをダウンロードできます

 それによると、源流は通称木挽山 こ びきやま(新陽高校の裏の小山)の湧き水です。
 東山小学校の開校20周年記念誌「東山」には、古老の話として、子ども時代(昭和初期)には、ウグイやヤマベが群れをなして泳ぎ、大きなざるですくって取り、焼いて食べていたそうです。いまでは幻の魚といわれるイトウをつかまえて食べようとしたら、腹の中からネズミの死骸が出てきたので食べるのをやめたという話も紹介されています。
 流域は湿地帯で、ところによっては馬のおなかまでつかるほどの深いぬかるみもあったそうです。

 またブログ「札幌時空逍遥」にも、この川のことがしばしば取り上げられ、古い時代には小泉川が豊平川だったのではという見方が紹介されています。

 10年前に一連の記事を書いたときには筆者は、ありあわせの資料から、澄川排水(小泉川)の下流が、豊園小学校の横の道路を流れていた1号排水だと考えていました。
 しかし、この排水は、平岸街道を流れていた用水路から分流させて、美園や東札幌などの農地のために造った水路であり、天然河川の小泉川とは別ものであることがはっきりしてきました。この水路と小泉川は、平岸の東裏地区で交叉していたようです。

 1970年に国土地理院が出した「札幌 1万5千分の1」によると、小泉川は北へ向かって流れ、豊平公園まで達していました。
 ただ、そのさらに下流に関しては、は「札幌時空逍遥」では、トイシカラメム(白石区菊水の札幌東高附近にあった湧き水)まで流れていたのではと推測しているのに対し、「道新りんごステーション」の「平岸の歴史をたずねて」では、最終的に望月寒川 モ ツキサム  と合流していたと記しています。


 平岸3条17丁目の、道路が二股に分かれているところを再訪しました。
 冒頭に貼ったリンクの画像と見比べるとわかりますが、草がはえて、段差が確認しづらくなっています。
 
 右手の道路の左側がすこし低くなっており、小泉川の流路だったと思われます。


 

 「道新りんごステーション」の連載「平岸の歴史をたずねて」には、平岸4条16丁目4附近にある、小泉川の流路だったところの下水路の写真が掲載されています。
 

 平岸高台の山すそを川は流れていたと思われます。

 霊園のある丘と、地下鉄南北線のシェルターのある一帯の間には、高い段差があります。

 小泉川の跡とおぼしき排水溝を探していたら、その段差の下にありました!







 しかし、この溝にそっている道路はありません。

 仕方なく、その溝と、段差に近い生活道路を北へ向けて歩きます。

 平岸4条16丁目と15丁目の間を通り、そのまま白石藻岩通の方へと進もうとしたとき、東のほうに緑地があるのが見えたので、行ってみることにしました。
 
 これが、ちょっとした発見につながるのです。

(この項続く) 



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