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なぜ私は午後遅くなってから小樽に赴いたか 2017年1月9日は7カ所(2)

2017年01月11日 00時14分03秒 | つれづれ日録
(承前)

 真冬の午後に遠出するのは、あまり得策ではない。

 なぜなら4時ごろにはあたりが暗くなってしまい、景色を楽しむどころではなくなってしまうからだ。

 それでも1月9日午後2時を過ぎて、筆者が小樽へと向かったのは、まだ時期的に札幌で開かれている展覧会がそもそも少ないという事情もさることながら、最近伊藤整の小説を読んでおり、彼が舞台としたころの小樽について手っ取り早くわかる資料のようなものがないか、文学館に確かめに行きたかったのだ。
 戦前の小樽の町並みがわかる地図がぜひともほしい。そう思わせるぐらいに、伊藤整の『幽鬼の街』や『若い詩人の肖像』は、舞台としての小樽抜きには成立しない小説なのだ。筆者は、とりあえずおおまかな土地勘はあるが、それだけではどうももどかしい。きょう地図を手に入れて、家でじっくり見て計画をたて、実際に歩くのは後日でもいい。

 そんな考えで都市間高速バスに乗ったのだ。


 結論から言うと、そんな便利な資料はおいていなかった。

 文学館が編集発行した、伊藤整の生涯と作品についてまとめた簡便なパンフレットが500円で売られていたので、それは買い求めたが、伊藤整が自筆で『幽鬼の街』に添えた地図などは掲載されていない。

 そのかわりといってはなんだけど、展示室の伊藤整コーナーに、彼の書いた地図をもとにした手書きの小樽地図があったので、その写真を撮ってきた。
 いずれ参考になるだろう。

 パンフレットを買う際に担当の女性に、「幽鬼の街」の地図の話をすると、展示室のあの地図を書いたのはわたしなんです、という。びっくりした。
 さすがに当時をリアルタイムで記憶している人はほとんどいなくなっていますが、小説に登場する赤帽子屋や、「サケはキ印」の電飾看板などが本当に実在したことなどが、だんだんわかってきているんです…。

 そういうお話をしてくださった。


 もうひとつ、おどろいた話があった。



 これは、帰宅後にいろいろネットを見ていて偶然知った話だが、文学館と小樽駅のあいだの通り道というか、静屋通りと都通りにはさまれた狭い道に、渋い木造家屋(上の画像の左側)があって、ときどき眺めていたのだが、ブログ「小梅太郎の「小樽日記」」などによると、この建物は「旧衣斐質店」といい、伊藤整ゆかりの建物だというのだ!
 具体的には、伊藤整の親友であった川崎昇が下宿していて、文学雑誌を出すための資金作りとして石鹸や薔薇の花を売る際に、ここを拠点としていたのだ。たしかに『若い詩人の肖像』では、衣斐さんの2階の部屋でその日の売り上げを勘定する場面が出てくる。小説によると、衣斐さんは金光教の信者だったとある。

 いやあ、ぜんぜん知らずに、何度もそばを通っていたんだよなあ。

 この日も、小樽駅に向かう途中、何気なくシャッターを押していたのだった。





 ということで、この冬もう一度行うであろう、小樽散歩&伊藤整聖地巡礼を前に、重要な知見が得られたような気がして、うれしくなった。


 なお、昨年の2月に撮っていた写真もあげておきます。








 ちょっと、先を急ぎすぎたようなので、話をすこし戻す。


(この項続く) 


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