まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ロウバイが 句碑のありかを 指し示す

2015年01月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は0度から11度、湿度は77%から59%、風は2mから3mの北北西の風がすこしばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がる見込みだという。

 

 今朝は雪でも降ったのかと思うほど真っ白な朝だった。犬の散歩に出たら、それは大霜で、迷犬ごんは霜の上でころころと転げ回って遊んでいた。全く、変な犬であることよ。

 

 今日は大霜だから日中は暖かくなるぞ・・・ということで、市内にある「宇佐神社」にやってきた。今週頭に、「碑(いしぶみ)の社」と言われているということでやってきたのだが、その数の多さにあきらめたのだが、今回は暖かいからということで再調査にやってきたもの。

 

 ここには30数基の句碑や歌碑があるのだという。そこで、片っ端から写真を撮って、それをプリントアウトして調査するという手法をとることにした。ここの本殿から東側の丘の中に、「碑の石段」という遊歩道があって、その途中に歌碑などが設置されているが、冬場は全く手入れがされておらず、全くの山の中みたい・・・。

 

 こういう境内にあるものはいいのだが、林の中は薄暗くてうまく画像にはなってくれない。

 

 こういうものを、フラッシュを焚いて撮影するとまったくののっぺらぼうになってしまう。結局、ちょうど30基を確認した。

 

 すると、突然にこんなものが顔を見せる。ここにはたくさんの古墳があるらしい。

 

 皇紀・・・・。いまどき、皇紀なんて使う人がいるのだろうか。平成27乙未(きのとひつじ)歳と読むらしい。「ゼロ戦」が正式採用されたのが、昭和15年(1940)・皇紀2600年であったので、「零式艦上戦闘機」と名付けられたと記憶している。あれから・・75年になるのか。

 

 これから先、どうしたもんだかと考えていたが、天気もいいということで、さぬき市多和竹屋敷というところにある「野田屋竹屋敷」に寄ってみることにした。

 

 で、ここにある「お食事処・はなみずき」に入った。ここにうどんがあることは知っていたが、まだ、入ったことはなかった。

 

 うどんやそば、抹茶、コーヒーなんぞがあるという。中は売店も兼ねている。

 

 で、寒いとき限定の「打ち込みうどん」をお願いした。ここは一般店で、850円だった。合わせ味噌で野菜や豚肉などを煮込んだおうどんで、これはおいしいなぁと思った。

 

 今日はお客さんだから園内を思う存分に歩いて歩いて・・・。今まで見つからなかった何点かを見つけることができた。これは、「山頭火没後六十年碑 旅人は鴉(からす)に啼かれ」というものだが、「それが、どしたん?」みたいな。「しら・・・・・・(-_-)」みたいな・・・。山頭火の句でなければ、誰も振り向きもしない句である。

 

 ここには山頭火の句碑が20基、砂井斗志男3基、河東碧梧桐1基の24基が立っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去のどうにもならないことを悩むより 現在、自分がおかれているところから 将来に向かって人生を切り拓いていこう」という新井正明さんのことばから。住友生命の社長・会長を務められた新井正明氏のはなしである。兵役にあった新井さんはノモンハン事変に参戦して被弾、右足を付け根から切断した。二十六歳だった。
 帰還した新井さんを会社はあたたかく迎えてくれたが、若くして隻脚(せっきゃく)の身となった苦悩は限りなく深かった。その最中(さなか)、新井氏は安岡正篤師の『経世瑣言(けいせいさげん)』で一つの言葉…「いかに忘れるか、何を忘れるかの修養は非常に好ましいものだ」に出会い、翻然(ほんぜん)とする。「自分の身体はもう元には戻らない。ならば過去のどうにもならないことを悩むより、現在、自分が置かれているところから将来に向って人生を切り拓いていこう」
 この瞬間から新井氏は真の人生を歩み始めた。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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