まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

コスモスのその明るさが欲しいとき

2020年09月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があったらしい。気温は21度から23.5度、湿度は90%から78%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の10月1日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇るけれど、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/57/78 36.1c-96% 61.8Kg 24.4c-61%-1008hPa 体調に変化はない。今年は夏がなくて梅雨ばかりだったようで、しかも秋もないような雰囲気。やがてには冬がやってきそうな気配すらする。

 

 昨日は「本願寺派富山別院」からケイタイに電話があったが、間違い電話だろうと相手にしなかったら、町内にある石材屋さんだったりする。どういう関係で富山別院の名前が表示されたのだろうか。また、ピンポンピンポンとうるさいから玄関に降りると「電気工事のものですが、何のご用事でしょうか」と言うが、電気屋さんに連絡した覚えはない。

 

 今日も「富山別院」だと表示されるから相手にしなかったら、昨日の石材屋さんで、今からお邪魔しに行きますとのこと。私の携帯はおかしくなっているのか、私のオツムがおかしいのか。

 

 今日は月末だというので銀行屋さんで通帳記載してきた。この表口座からは公共料金やら奥方が食材やらを買ったカードからの引き落としなどが行われている。通帳残高を見ながら、第二口座へ移したり、足りなくなったら裏口座から入金しておいたりする。詐欺やらあやしい引き落としがないようにとの配慮から。

 

 それを会計帳簿に記録しておく。

 

 こちらは支出項目ごとの月別一覧である。一部、赤い字があるが未支出金というか、支出予定金である。当面、10月の年金支給日までは、あの赤字分さえ残しておけばいい計算になる。

 

 今日のお昼は肌寒いのであたたかいおうどんにした。富山の「氷見うどん」である。このおうどんは細くてそうめんみたいなので、一束を湯がいたら二人分らしかった。それを食べ出したら減らないのには困ってしまった。迷犬ごんさんが入れば良かったんだけれど、とてもじゃないが食べきれなかった。

 

 私のおなかは大きいけれど、私の胃袋は小さくて、そのうえ、こころまで狭いのだ。(笑うところはここだけですよ)

 

 で、お昼からはお墓に行ってきた。

 

 すると、スルスルとクレーンのアームが伸びてきて、「法名碑」を吊り下げて持って帰ってしまった。私の法名を刻んでおこうかと思ったが、そうすれば長生きするぞと言われたのでやめておいた。十日もすれば、法名の追加彫りが終わるらしい。

 

 午後からも大窪寺班の英語ガイドの手引きを作っていた。

 

 まさに「秋の日は鶴瓶お歳」・・・やなくて、

 

 秋の日は「釣瓶落とし」。釣瓶が井戸に落ち込むようにあっという間に日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分というものをよくとらえないと 自分が生きていく方向が決まりません」という映画監督・新藤兼人さんの言葉から。母校の石内小に、新藤さんが卒業式に寄せた祝辞が残っている。「自分というものをよくとらえないと、自分が生きて行く方向が決まりません」。700字足らずの原稿に「自分」という文字が15回も顔を出す。悩み、もがき、追い込まれるたび、原点に立ち返ってきた。自分は何者か、何がしたいのかと。一世紀に及んだ人生の自問自答は、土壇場の日本でひときわ光を放つ。平成24年(2012)5月29日没。

 

じゃぁ、また。明日、会えたら、いいね。  


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