まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋一つ暮れて明日がまだ見えぬ

2021年11月25日 | 時には日々是日

 25日の丸亀市は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.0度から16.3度、湿度は70%から52%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。明日の26日の丸亀市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 106/59/78 36.2c-98% 62.2Kg 18.6c-52%-1023hPa 体調に異常はない。今日は丸亀市沖にある「しわく広島」に帰って、庭の草刈りや庭木の剪定をしようと考えている。日の出は6:46分、日の入りは16:55分、月齢は20.2の中潮。

 

 山の家を7時過ぎに出て、8時過ぎに丸亀市綾歌町の弟んちに寄り、弟を乗せて丸亀港には9時前に着いた。途中、三度ほどのトイレタイムがあった。で、フェリーボート「しわく丸」は9時25分に出港する。

 

 海上45分。しわく丸は丸亀市沖の広島の江の浦港に着く。10時10分。そこから島の自家用車(軽トラ)で島の家「暁光庵」に着く。

 

 これが、「暁光庵」の扁額である。文字は、奥方の親父さんで、元日蓮宗のお坊さんである。寒い時期の「水行」という水をかぶるのがいやで逃げ出したらしいと噂だった。本人の名誉のために言うておくが、本当は好きな人がいたためにお寺を捨てたということらしい。文字を刻んだのは、千葉の電気屋さんである。

 

 草刈りは今年の七月、夏休み前だったが、剪定は一年に一度で一年ぶりである。

 

 で、早速に弟(三人兄弟の三男)のたっくんが草刈りをやってくれている間に、私が庭木の剪定をやっていた。ま、大きな物は弟がやってくれたのだけれど。

 

 で、すっきりとした島の家になった。

 

 そうそう、これが大物と言えば大物。朝日がまぶしくて夏場は暑いので、奥方が日蔭用に植えたケヤキの木だが、これが大きくなり過ぎて葉っぱがお隣の畑にまき散らすと困りものになった。で、これが伸びるのが早くて切っても切っても伸びてくる。

 

 島の家の昼食は日本そば。夕食は簡単におでんになった。ま、これだけではないのだけれど。男所帯では買ってきたお刺身やらお惣菜とおつまみ程度。高齢者になると、そんなには食べられない。

 

 で、後は恒例のカラオケタイムである。なにせ、何もない島のことである。島にあったお店も数年前に閉店してしまい、酒もビールも補給はない。釣りをしてもふぐばかりだし、行くところも見るところもない。島に住んで30年にもなれば珍しいものは何もない。だから、唯一の楽しみがカラオケである。

 

 なにせ、作業は15時過ぎには終わってしまう。で、16時からは夕食だが、それも30分もあれば満腹になる。で、近所を散歩しても珍しいものは何もない。お風呂だって男だからシャワーを浴びれば数分で済む。本当にすることがないのだ。掃除をしても数分で済むし・・・。

 

 で、切り捨てた木の枝や刈り払った草を燃やしておく。本当はあかんのだろうけれど、島のあちらこちらで草を燃やす煙が見える。

 

 で、さっぱりとした庭先になった。これがいつまでできるだろうか。少し油断をすれば、すぐに草に覆われ竹林に飲み込まれてしまう。島にはそうした多くの家が飲み込まれて消えてしまった。

 

 これが来年の夏場には、元の木阿弥になってしまうのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「冬があり 夏があり 昼と夜があり 晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になっていく」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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