17日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは曇るらしい。気温は7.0度から10.2度、湿度は70%から42%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。香川県地方には強風・波浪・乾燥の注意報が発令中。明日の18日のさぬき市地方は冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。
収縮期116mmhg、拡張期68mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重64.4Kg 室内気温24.0c/室内湿度29%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:18分 月齢は14.4 大潮。今年の「ウルフ・ムーン」は明日の1月18日の8時48分だそうだ。
昨日、奥方は静岡県浜名郡舞阪町で生まれたと書いたが、その少し東に、浜松市(西区)馬郡(まんごおり)町がある。ここにある日蓮宗の「東本徳寺」というお寺で、奥方のお父さんは生まれた。ところが、従兄弟である「えっちゃん」という女の子が大好きでお寺を捨てて、その「えっちゃん」と結婚してしまって、舞阪町に住んだらしい。
このお寺にも二度ばかりお邪魔して、太鼓を叩いてお題目を唱えたこともあった。昔は大きなお寺だったそうだが、農地解放だかで境内を切り売りしてしまって、本堂と墓地がわずかばかりに残るばかりだという。だから、義父の本名は「元昭:げんしょう」さんと言う。それがいやで「寅衛」という名前に改名したのだとも聞いた。
だから、島の家の「暁光庵」という扁額には、「元昭」という本名が入っている。この文字は義父が書いてくれたものである。彫り師は千葉県の「無邪鬼仙人」。
これが私の「自分史年表」である。これを参考にしながら、奥方への感謝状の画像を探していたのである。でも、ここには私のイベントは記入してあるが、奥方の行動までは記録していない。
私の祖母である。明治33年生まれで、我が家を守り続けた「良妻賢母型」の人だった。実によく働いていたと思う。主人である祖父は36才という若さで亡くなったために、それはそれは苦労したことだと思うばかりだ。
私の両親である。どちらも実によく働きづめに働いた人である。母は後年、世の中の変化もあって旅行も楽しんだり、温泉にもよく行ったように記憶している。父は働きづめに働いて、46才で亡くなった。夢半ばの往生になった。
後年の母である。もう、働かなくてもいいよと、旅行や同窓会やらと飛び回っていた頃である。
一方、この人が、故郷を捨てて北海道に渡った、私の祖父のお兄さんである。我が家の歴史の中で、一人はみ出して飛び出した獅子である。私の娘が生まれたとき、はるばると北海道から尋ねてきてくれて娘を抱き上げてくれたものである。そんな我が家の歴史なんぞを織り交ぜながら、奥方への感謝状を書き進んでゆく。
南国四国にだって雪は降る。これは昭和50年の大雪の時だったらしい。雪遊びをしているのではない。思わぬ雪に埋もれてしまった野菜畑から白菜を探し出しているところである。奥方も、思わぬ雪にたまげたらしい。私だって驚いて会社に出掛けるのをあきらめたほどだった。
奥方が娘と遊ぶ貴重な写真である。いつもは、お仕事だお仕事だと働きに出ていて、滅多に娘と遊んでやることも少なかったけれど、これはたまの休みの時だったのだろうか。そんな思い出を書き並べていたものだった。
で、相変わらずの昼食はおうどん。「エビ天月見わかめうどん」である。それに野菜サラダ付き。
今日のおうどんは極太のおうどんで、これはマジでまずかった。お出汁が薄すぎたのかも知れない。
今日の掲示板はこれ。「往き先がわかれば 生き方がわかる」というもの。いつもの、町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。
行き先が分かれば 行き方が分かる
往き先が分かれば 生き方が分かる (仏光寺)
「いきさきがわかれば、いきかたがわかる」上段、下段、どちらも読み方は同じだが、使われる漢字が違うために表現されていることが少々違う。「行く」という「行」の字は、十字路をかたどった象形文字で、道の事を表現している。「行き先が分かれば、行き方が分かる」という事は、例えれば、体の調子が悪かったら、病院へ行こうと決める。病院という行き先が決まれば、いつ行こうか、どの道を行こうか、歩いて行こうか、車で行こうか等々、日々の生活の中で考えながら決断し、行動に移している。今月の言葉の通り、行き先(目的地)が分かれば、行き方(どの道路を行くか)が分かるというもの。次の往く先の「往」の字は、「むかし」「いにしえ」「いま」「むかう」「のち」「それからあと」という様々な意味がある。これは、過去・未来・現在の三世の歩みを表す言葉である。私達がどこから来て、どこにいて、どこに向かうのかという、人生の往く道を表現しているのだという。
じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。