まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山頭火 歩いた畑の 梅の花

2015年01月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れたが、気圧の谷で雲が広がってきた。気温は5度から10度、湿度は74%から58%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の17日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、昼過ぎまで雨か雪の降る所がある見込みらしい。

 

 で、今日も「山頭火の句碑集」の編集作業。マイクロソフトのワードで本を作るというのは根気のいる作業である。文章だけだとさほどでもないが、画像を含めるとなると根性がいる。

 

 で、今日は、さぬき市多和竹屋敷というところにある「野田屋竹屋敷」という建物の内外にある句碑を整理しながら編集を行った。

 

 ここは、自然豊かな阿讃の山々に囲まれた里山にあって、数奇屋造りと心落ち着く庭園があり、湯元薬師温泉に浸かって旬の会席に舌鼓をうちながら心に残るひとときを過ごせる旅館と、その一角にある「はなみずき」は、料理人の技を駆使した季節感あふれるうどんとそばを、心静かに堪能できるスポット。

 

 こういうお店の中や中庭、遊歩道、駐車場などに山頭火の句碑があるのだから、うかつには入れない。まずは、どこに何があるのかを事前にしっかりと把握してからお邪魔しなくては・・・。

 

 駐車場とか入り口周辺、中庭などはあらかた調べてあったので、それらからまず編集をはじめた。句碑集にないものもあれば、句碑集にはあるが、まだ調べていないものもあるし、山頭火の句碑らしいのに、山頭火全集には入っていないものもある。

 

 こういう大きなものになると、三面に俳句が刻んであったりする。普通は、よく見える一面にしか注目していないから、あとの二面は調査忘れになっている。こういうものがたまにある。

 

 ま、じっくりと一歩一歩と、作業を進めてゆくしかない。

 

 今日は木村食堂での「肉うどん」になった。あんまり、わが家ではおうどんは食べたくない気分なんだけれど、最近の働きぶりが悪いので「生活弱者」だから、わがままも言えない。

 

 で、15時前に、ようやく全ての資料が整理できた。これを元にして、「宗林寺」さんと「竹屋敷」さんの現場調査を行うのだが、明日もまだ天気が悪そう・・・。

 

 私は山頭火の句碑を探してはいるが、それは「さぬき市内」のみ。お隣の東かがわ市や高松市にも山頭火の句碑はずいぶんとある。それらは探そうとは思わないのだから、根っからの山頭火ファンではないらしい。

 

 一覧表をエクセルで作って、句碑集などと対比しながら、漏れはないか、追加はないかなども確認しながらの作業になる。で、今日の「竹屋敷」さんでは21基の句碑が確認できた。これでさぬき市内には77基の句碑があることになる。少なくとも、私の画像と、句碑集などを総合したところが77基ということである。当然、句碑集にないものもある訳で。

 

 本らしく、前書き、後書き、参考資料、奥書、目次もできている。これを参考にして、再度、現場調査をしなければならない。お天気次第の作業になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「あせりすぎちゃいませんか? 人生は短距離走じゃないんですよ」というもの。とかく、一月は行く、二月は逃げる、三月は去る・・・なとと云われる今頃、ついつい、焦ってしまうもの。でも、人生は70年、80年の長丁場。人生は短距離走じゃないのである。「のんびり・・」なんてとは云わないけれど、肩の力を抜いて、大きく深呼吸して、息抜きも必要だなぁと思う昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


何色と 問えば黄色の 雨の里

2015年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方の低気圧や前線は遠ざかるけれど、寒気の影響で雲が広がり、夕方まで雨が降る見込みらしい。気温は6度から10度、湿度は92%から83%、風は3mから5mの西北西の風が強かった。朝方はすごい雨だった。明日の16日は、寒気の影響で雲が広がりやすいとのこと。

 

 朝方はものすごい雨の音で起こされた。川の水音もすごくて嵐になるのかなぁと思ったほど。

 

 こんな日に出かけたくはないが、わが家にいても資料が少なくてどうにもならない。

 

 雨をついて出かけたが、高松市内に入ると弱雨・小雨・微雨になった。だから、傘も使わずに県立図書館に入った。さすがにお客さんの数は少なかった。時間もまだ9時半過ぎだったし。

 

 相変わらず、新聞を読みふけるおじさんたちがいる。毎日、熱心なことだなぁと思うこと。

 

 私の今日の目的は、山頭火の句碑集と、「草木塔」という山頭火の俳句集を探すこと。それらは簡単に見つかった。貸出禁止の句碑集はカメラに収めておいた。これが案外と役にたった。

 

 これは全国の山頭火の句碑を集めたもの。よくもよくも集めたものだ。気になるのは、石材屋さんの敷地内にある句碑である。私は狛犬の研究をやっているが、石材屋さんの敷地にある狛犬は相手にはしない。ちゃんと神社やお寺の境内や参道に奉納安置されているものだけを研究の対象にしている。うどんの研究家がスーパーに並んでいるおうどんを研究するようなもので意味がないではないか。

 

 娘が、この近くにあって、住宅地におじいさんがやっているうどん屋を知らないか・・と言うことだったので探してみたが「穴吹製麺所」だと思うが、駐車場が狭いのでやめにして、いつものここにした。香川大学工学部前にある「たも屋・林店」である。

 

 で、カレーうどん一玉の「麺ぬく」を注文した。410円である。こういう場合には席まで運んでくれるのだ。少しばかり時間がかかるかららしい。普通のセルフのお店では、店員さんはカウンターや厨房からは出ないもの。「できたらお呼びしますから」という場合が多いのに。

 

 11時前だということと雨が激しかったということもあるのか、店内にお客さんの数はちらほら。まだ、大学はお休みなのかな。

 

 で、借りてきた句碑集の重要な部分はスキャナーで画像化しておく。

 

 それと同時にカラーコピーも忘れない。どうしてもすぐに情報を忘れたりなくしたりしてしまうのだから。

 

 しかしのかかし、北は北海道から南は鹿児島県まで、その数950あまり・・・。よくもよくも集めたものだ。山頭火の人気というものがうかがわれる句碑集である。

 

 そんなんで、今日は資料の収集と整理に終わってしまった一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「実際に行動することによって、人はどんどん変わっていきます。失敗して地震をなくしたり落ち込んだりすることで人は強くなっていく」という周防正行さんの言葉から。周防正行(すお まさゆき/1956年10月29日)は、東京都出身の映画監督、脚本家。妻はバレリーナ・女優の「草刈 民代(くさかり たみよ)」。立教大学を卒業後、「神田川淫乱戦争」(黒沢清監督/1983年)などで助監督を務めた後、1984年にで監督デビュー。1989年に「ファンシイダンス」で大きな注目を集め、1996年に「Shall we ダンス?」で日本アカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞。その後も「それでもボクはやってない」(キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門1位)や「終の信託」(毎日映画コンクール日本映画大賞)などで高い評価を獲得している。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+朝日新聞どらく)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬の日は 冬そのままに 日が暮れる

2015年01月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨が降るらしい。気温は1度から8度、湿度は86%から69%、風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の15日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸を通過するため、昼過ぎにかけて雨が降る見込みなんだとか。

  

 今日も山頭火の句碑集の編集作業でデスクワーク三昧となった。鉄は熱いうちに打たねばならんし、ものごとはやる気のあるうちにやらねばならん。

 

 ということで、今日は「俳諧の寺」といわれている「宗林寺」さんの句碑についての編集作業。ここは真宗大谷派のお寺らしい。先代の住職さんの趣味で、境内に50基もの句碑があるというのだが、そんなにはないと思う。

 

 朝の8時半から作業を始めて、15時過ぎに「宗林寺」さんの全句碑が終わった。山頭火の句碑だけで21基もあった。これが正解かどうかはわからない。昨日までで35ヶ所、合計56ヶ所がまとまった計算になる。

 

 あとは、「竹屋敷」という温泉旅館の敷地が残る。ここにも30基ほどの句碑があるというのだが、有料施設だから見せていただくのは最後の最後になる。それまでに「句碑」を整理しておかねばならない。もし、ここに30基の句碑があれば、総数は86基にもなる計算。よくも、これだけ建てたものだと感心する。

 

 明日は午前中は雨になるらしい。だったら、香川県立図書館に行って、再び山頭火の俳句集やら句碑集を借りて来よう。これまでの成果と記録された物を付き合わせてみる必要があるし、漏れていれば再調査もやらねばならない。

 

 ネットでこのお寺のことを調べてみたが、案外と有効なデータは出て来ない。弁慶の馬の墓の話くらいは出てきそうなものだが見つからなかった。

 

 これが宗林寺さんの本堂。こうしてみればきれいなお寺だが、なかなかに手入れや掃除が行き届かないのか雑然とした寺ではある。参道には多様な句碑が並び、境内から墓地から句碑だらけ・・・。不思議な感覚になるお寺さんである。

 

 「あんたは山頭火のどこが気にいってるんじゃ・・」と、住職さんに聞かれたけれど、別に好きだから山頭火を調べているのじゃない。句碑があるから調べているのだと答えたら、「そんな人が拓本を取りに来るんかいな・・・」と言うていた。山頭火の句碑の拓本を取るファンも多いのだそうだ。

 

 山頭火の研究会や顕彰会も全国に多いのだとも聞いた。なんで山頭火がいいのかと言われるとわからない。わからないが、なぜだか山頭火の句碑を追いかけている私がいる。

 

 ということで、冬の一日は早い。気がつけば早くも夕食の時間になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「けさ 目覚めたら まっさらの命 今日もキラキラ」というもの。時間がまだあると思うからこそ、今じゃなくてもいいと思ったりする。今度、またにすればいいやと思ったりする。でも、私たちには肉体の期限はある。明日、事故で肉体を失うことだって、ありうるのだ。ところが、私たちは永遠の命だと信じ込んでいる。だから、またにすればいいと思うのは、本当は 自然なことなのかもしれない。今朝目覚めたら、空気感がまるで違った。冬らしいさわやかな朝だった。まっさらな命をかかえた朝だった。今日もキラキラとした朝だなぁと実感する冬の朝を迎えていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


思い出を 積み上げていく 朝の霜

2015年01月13日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から9度、湿度は72%から62%、風は2mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷が接近するため雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込みなんだとか。

  

 1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川港を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港した。

 

 船将は勝鱗太郎(正確には勝海舟は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。)。福沢諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。(Wikipediaより)

 

 さて、法然上人に関するレポートは片付いたので、昨年からの宿題の「種田山頭火」のまとめに入った。昨年の2月から白内障が進み、10月には完全に失明したので作業を中止していたもの。

 

 おへんろつかさの会で、さぬき市内の歴史や文化などを調べている内に、さぬき市内には数多くの山頭火の句碑があることに気がついた。そこで、それらを調べてまとめて本にしたいと考えたのだ。

 

 このように、ワードで文章を作り、画像や地図を貼り込んでゆく。

 

 で、こういうものができあがって、その校正作業途中で眼が見えなくなったのでお休みをしていたもの。

 

 この句碑は、さぬき市多和兼割地獄谷にあるとされるもの。ある本では「八丁石付近」と書いてあって、これを探すのにずいぶんと山の中を歩き回ったのだが、いまだに発見されていない。顕彰会の会長さんに聞いても「さぁ、どこやったかいなぁ・・」というばかり。

 

 多和から大窪寺に向かう遍路道に八丁石がある。この細い川の下(南)側が地獄谷、上(北)手が極楽谷だと聞いた。そのあたりを歩き回ったが見つからない。

 

 今日、校正を兼ねながら資料を繰っていると、「赤松家奥揺らぎ石手前」という言葉をみつけた。先の地図あたりには「赤松」という家も「揺らぎ石」というものもない。何かの間違いだと思って見過ごしていたのだが、子供の頃に大窪寺に行くときに歩いた東かがわ市からの遍路道にも「八丁石」があったことを思い出した。

 

 地図を見ると確かに「赤松家」がある。大窪寺の南面の地獄谷である。八丁石もある。

 

 阿波からの旧遍路道である。結願を前にして行き倒れた遍路の墓である。赤松さん横の六丁石から十二丁石まで歩いてみたが、それらしきものはない。行ったり来たりしながら歩いていると、

 

 見逃すような小さな石。高さ35センチ、幅25センチ、山頭火の句碑中、日本一小さな句碑らしい。「夜が長い 瀬音とほくもちかくも」と刻んである。その字も小さくて細い・・・。やっと、見つけたぞ。

 

 あとは、宗林寺の境内と、竹屋敷という食堂兼宿泊施設の中である。ここは他人さんの敷地内だから自由に調査ができないのがつらい。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人が変わるのを期待してもがっかりするだけ 受け止める自分の心を変えるのがいちばん」というもの。相手を変えようとしない、相手に期待しない、適度な距離感を保つ、当たり前だという気持ちを捨てる。人間関係では、それでいがみ合ってしまったり、人を恨んだり・・・こんなことなら付き合わなければよかった・・・と思うことだってある。人間関係を良くしたいと思ったら、相手を変えようとするよりは、まず自分から変わるしかないのかも、知れない。親しき仲にも礼儀あり・・・というように、どんな関係になっても相手を尊重すること・・・それは相手に対して踏み込み過ぎないということでもあると思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬日和 出会ってみたい 人がある

2015年01月12日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山間部を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温は4度から7度、湿度は83%から57%、風は3mから5mの西北西の数が吹いていた。明日の13日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 午前中は相変わらず外出禁止でパソコン作業。論文の修正作業や画像の処理なんぞをやっていた。そこへ娘家族がやってきて、今日はみんなでおうどんに行くことになった。このあたりにはファミレスもレストランもマクドもミスドもない。

 

 さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店である。こういう家族で行く場合、やはり落ち着く一般店がいいと奥方はおっしゃるのだ。

 

 で、女性陣3人は「かけうどん」。男性陣2人は「しっぽくうどん」で580円。寒いときにはこれが温まっておいしいと感じるのだが、多少、熱いのが気に障る。どうにも熱いのは苦手で、コーヒーも紅茶も苦手である。

 

 午後からは奥方がお仕事に出かけたので、粉雪の舞う中、東かがわ市五名(ごみょう)経由で、さぬき市多和槙川にあるこのお寺に寄ってみた。

 

 ここもお馴染みになった四国霊場88番札所の「大窪寺」。お遍路さんの姿もみられたが、初詣のカップルらしき若者が目立った。寒いから人は少ないかなぁと思ったが、今日は休日だからか、案外とおまいりの人が多かった。

 

 今月は、秘仏御開帳が今日でおしまいだというのでやってきたという訳。

 

 これが「拝観の心得」。これを読んで納得して本堂の右手の入り口に向かう。

 

 ここから入って、拝観料1000円を納めると、金剛線というということで、ミサンガのようなものを左手に入れてくれる。仏様を拝観するときのお念珠みたいなものだろうか。これを左手に入れていただいて、塗香(ずこう)を左手に受けてすりあわせ、口に当て、胸にも当てる。私は五回目なのだが、何度拝ませていただいても、薬師如来さまがよく見えていない。ま、今までは左目がほぼ見えなくなっていたので余計に内陣がよく見えなかったのだ。

 

 記念品として、お寺のパンフレットと「散華」が授与される。お寺では法要を行うときに、ほとけさまを供養・讃えるために花や葉をまき散らす。法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされる。元来、蓮などの生花が使われていたが、現在は蓮の形を模った色紙で代用することが多い。これは釈迦と深い繋がりがあり、法要など仏を供養する場で撒かれることがある。この色紙を「華葩(けは)」ともいう。

 

 この「散華」には大窪寺の風景、秋の紅葉、冬の大窪寺、冬の星空と本堂が描かれている。

 

 裏面にはこういう文字が印刷されている。

 

 これが大窪寺の本尊、秘仏「薬師如来座像」である。総高170.8cm、像高89.3cm、本体はカヤ材の一木造り、彫眼。左手には薬壺ではなくてホラ貝形舎利容器(水晶製)を持っている。(大窪寺資料から)

 

 今日の掲示板はこれ。「生かさるる いのち尊し 今朝の春」という中村久子さんの言葉から。中村久子さんは、1897年、飛騨の高山で誕生し、三歳のとき突発性脱疽に罹り、両手両足を無くされた。中村さんは、その障がいの事実を真正面に引き受けて、人権意識が未成熟で障がい者への差別の厳しい、生きていくのも非常に困難な時代を、女性として、母として、そして何よりも一人の人間として72年の生涯を生き抜かれた。晩年詠まれた「手足なき身にしあれども生かさるる今のいのちはたふとかりけり」に、自己の「身の事実」を機縁として、真実の世界に目覚めていくという、中村さんの心の軌跡が窺える。 春は、全ての「いのち」をはぐくみ、育てる自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれる。中村さんは、その中に生をうけ、生かされている自らに気づかされ、その事実によろこばれたことと思われた。目覚めるたびに今朝も生きているとの確認は、生かされていることの体感であり、実感であったのであろう。その体感が苦難の中を精一杯生きる力となったものと思われる。 「今日のことば(句)」は、新しい春を迎え、あらためて人間の存在の真実を考えさせてくれるものであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やさしさが にじみ出ている やぶ椿

2015年01月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、雨や雪の降る所があったらしい。気温は0度から11度、湿度は72%から58%、風は2mから6mの西北西の風が冷たかった。明日の12日は、冬型の気圧配置が強まるため雲が広がりやすく、明け方まで雪や雨の降る所がある見込みなんだとか。

  

 今日は地区の山の神さんのおまつりだということで、朝の7時から境内周辺の掃除があった。今どきの7時というのは薄暗い。その薄暗い7時前から集まっての掃除・・・。7時を過ぎたら明るくなって夜が明けた。

 

 で、のぼりを立てたりしめ縄を張ったりする。最近は人出も少なくなったので、掃除は集落全員・・・と言うても、総勢の9人が出ての一斉清掃になる。で、7時20分頃にはきれいになった。

 

 で、私はそのまま走って、さぬき市前山という地区にある「おへんろ交流サロン」に向かった。

 

 今日はここで、「おへんろつかさ養成講座第八期生」の閉講式が行われる。私たちはそのアシスタント。

 

 私たちは、この「駐車場係」。八期生は38人もの大世帯。それにスタッフ・講師らで50台もの車が来る予想。だから、この限られたスペースにいかにうまく駐車させるかが腕と勘。

  

 今日の1コマ目は香川大学教授の大賀睦夫先生の「四国遍路における再生プロセス」という講義。スピリチュアル・ツーリズムとしての遍路ということで、「自分を変えたい」とか「人生の区切りに人生を考え直したい」とか、「感謝すること」、「生かされるいのち」「利他の心」という、精神の奥に存在しているはたらきを考える講座だった。

 

 歩き遍路の方を調査したところ、宗教的動機が40人、スピリチュアル的が143人、非宗教・非スピリチュアル動機が40人、遍路の魅力が20人、不明が50人という結果だったらしい。貧困とか病気克服とかという時代からすれば、遍路の動機も変化してきていることがわかる。

 

 2コマ目は香川大学教授の稲田道彦先生の「納経帳から読み取れる遍路の旅行」ということで、三国参りと言われる、土佐藩と宇和島藩を通らない時代の納経帳から遍路の姿を講義された。土佐藩や宇和島藩は「遍路」を国内に入れるのを嫌い、地震によって道路が封鎖されているという理由で遍路の通行を禁止した。地震や飢饉によって土佐藩は疲弊した。土佐藩には米を作る土地が少なく、土佐国全体が貧困にあえいでいるのに、他国の遍路など受け入れる余裕がなかったし、冬場の遍路は暖かい土佐に流れ込んで接待を要求した時代もあった。そういうお話。

 

 それが終わると閉講式。主催者挨拶をする堀尾副会長。

 

 その後、修了証、参加証の授与があった。そして記念撮影も行われた。こうして、今年度の「おへんろつかさ養成講座」は終了した。

 

 その後、さぬき市多和にある国指定重要文化財の「細川家住宅」に寄ってみた。昨年、長らく改修工事をしていたので、どんなになったんだろうか・・・ということで。屋根がきれいに葺き替えられていたし、外壁もきれいに塗り直されていたが、

 

 内部はそのままの状態だった。昔は奥の座敷でみんなが寝たのだろうか。この囲炉裏の周囲で寝たものだろうか。住居部分はこの二間しかない。もちろん電灯などあるはずもない。

 

 14時半からは、集落の「山の神さん」の礼祭。礼祭と言っても、集会場で二礼二拍手一礼しておしまい。あとは座談会というか井戸端会議。こんな田舎でも、こういう機会がないと顔を合わすこともなければ会話することもない。共通の話題と言えば、「サル」と「イノシシ」のことばかり。1時間ほどで解散しておしまい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ蕾ふくらむ梅の花」というもの。「寒中でも色あせず花開く」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来だったが、梅の花は、辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴のようにも見える。しかし、この言葉、人生の応援歌でもあるような気がする。耐え忍ぶ時期が、その後の実りを生む。今はまさに受検の季節。耐えて学んで蕾をふくらませ、きっと素晴らしい花が咲く春が来る。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一つずつ 答えの見える 朝の霜

2015年01月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は概ね晴れていたが、冬型の気圧配置が続くため、山沿いを中心に雲が広がりやすい天気だった。気温は3度から8度、湿度は62%から52%、風は3mから6mの西北西の風が吹いていた。明日の11日も、引き続き冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は天気もあんまり芳しくないし、風が冷たくて強いようなので外出禁止になった。だいたい、この時期になると「肺炎」になって一週間ほど入院するクセがあるからで。

 

 ということで、法然上人の論文の修正作業。一昨年の研究論文を読んでみるとおもしろくない。そこで少しばかり切り口を変えて修正してみた。

 

 法然上人は流罪になったとき、「だから地方に行って農夫たちに念仏を勧めることは永年の願いでありました。このたびの縁によって年来の本意を叶えることは、実に朝廷のご恩だと言えます」と言ったという。それだからか、讃岐には浄土宗寺院が28寺しかない。総寺院数は922寺院余もあるのに・・・。そして説法を続けたまんのう町あたりには3寺しかない。なんでだろう・・・みたいなことである。

 

 それを考え込んだら寝られなくなってしまう・・・。ま、実際はぐっすりと寝ているのだけれど、なんだか目覚めが悪い。

 

 確かに子松庄の生福寺には、大勢の人が市をなすがごとくに集まり、身分はあらゆる階級に及び、宗教的に熱心な僧侶も集まったと絵伝にはある。なのに、なぜ、浄土宗は広まらなかったのか・・・という疑問点。

 

 今日も奥方がお仕事なので、木村食堂でのおうどん。内緒だけれど缶ビール付き。

 

 相変わらず日当たりの場所ではにぎやかな声が・・・。あきらめてはいるものの、見ればなんとかならぬものかと思うばかり。

 

 わが家の金柑も柚も全滅。このあたりでは何を作っても無理。裏のミョウガ畑なんぞ、パワーショベルで掘り返したのかと思うほど・・・。

 

 こうして見るとさほどでもないらしいが、深いところでは1mも彫ってある。これを平らに戻すのも大変だ・・・。

 

 午後からも原稿を書いたり削ったり、ページを調整したり印刷したり・・・。目が良くなったのに、外出できないというのはなんとも息苦しい。「目が見えるようになったら、出歩いてばかり・・・」と奥方は言うが、「うちの主人は引きこもってばかりで・・・」なんて他人には話しているんだ、きっと。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えている空は大きいけれど、もっと大きいのは見えていない空」というもの。野田さんという方の言葉だと思っているが、私たちの見ている物はほんのわずかな世界のこと。苦しいときや悩んでいるとき、自分の見える世界はものすごく不幸でいっぱいのような気がする。世界中の苦しみや悲しみを、総て私一人が背負っているような気がする。でも、そこを乗り越えてみたら、もっとゆたかで明るい世界が広がっている。まるで、雨の日に飛行機に乗って飛び出したときのように。雨雲の上には蒼くて広い世界がどこまでも広がっているように・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


生かされて 蝋梅の黄に 安堵する

2015年01月09日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で瀬戸内側の東部を中心に雲が広がっている。気温は5度から8度、湿度は74%から52%、風は4mから3mの北西の風が拭いていたが、寒いほどではなかった。明日の10日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 ということで、一昨日だかに借りた法然上人絵伝などの本を返却に来た。全く、手がかりはないままだ・・・。

 

 しばらく、本を検索したが手がかりもないので、ここを出た。

 

 で、やってきたのはここ。坂出市沙弥町という沙弥島にある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」。日本画家・東山魁夷の作品のみを収蔵する個人美術館で、祖父の出生地である櫃石島を望む地にある。2001年4月に東山すみ夫人より寄贈された版画作品270点余の展示公開を行う施設として構想され、2003年に着工、2005年4月に開館した。地方都市にある展示室面積277m²の小さな美術館であるにもかかわらず、来館者は1ヶ月あたり平均約1万人という異例の高い水準にある。

 

 展示品は全て東山魁夷の作品である。館蔵品の大半は石版画であるが、館の高い人気を背景に長野県信濃美術館・東山魁夷館や兵庫県立美術館などから作品を多く借り、質の高い展示を維持している。同時に肉筆画の収集も行い館蔵品の質向上を目指しているらしい。

 

 今回は、一階展示が「古都礼讃/京都・奈良」、二階展示が「幻の天井画」という展示だった。これは、木版画で「春雪」という作品。

 

これも木版画で、「蒼い渓」という作品。昭和39-41年の作品で、京都市・周山街道で取材をしたものだとか。こうしてみると、なんでもないが、実物は色合いがなんともいえずに美しい作品。

 

 これはリトグラフで「吉野の春」という作品。リトグラフというのは平板印刷というのだが、平板印刷で、どうしてこんな微妙な絵が印刷できるのか、何度、説明されてもわからない。

 

 これもリトグラフ。平板の上にクレヨンなどで絵を描き、その上に弱酸性溶液を塗ると、アブラをはじくところと、水分がそのままの部分ができて、化学反応によって原版ができるのだという・・・わかったようでわからないお話。これは「曙(あけぼの)」という作品で比叡山での写生によるものだという。

 

 二階に展示されているのは、目黒雅叙園の天井図。ここの天井画はすごいらしい・・・。

 

 帰りにスーパーに寄ったら、早くも節分の商品が。まだ、鏡開きもすまないうちに・・・。全く、あわただしいことだ。間もなくおひなさんでひなあられが並び、うかっとすると、今度は鯉のぼりか・・・。

 

 近くの捕獲ケージにサルが捕まっていた。回りには十数頭のサルがいたが、さすがに助けられないみたい。わが家でも、カブを食べられたとかと奥方が怒っているが、このあたりでは日常茶飯事。食べ物を作るほうが悪いみたい。「餌付けをしないでください」とか「食べ物を放置しないでください」とか・・・。

 

 わが家に戻ると、amazonから本が届いていた。昨日、注文したのに早くも届くのか。これは、図書館で借りた膨大な「法然上人行状絵図」の詞書き(ことばがき)を現代語訳したもの。難しい言葉にはルビまで振ってある。550Pもある分厚い本なのに、2,000円とはありがたい。

 

 さて、この日曜日の「山の神さん」のおまつりだが、「御幣はできとんな?」と言われた。しめ縄は作れと言われたけれど、御幣まで作るんか・・・ということで、前回の物を見よう見まねで作ってみた。ここまでは、しめ縄の「紙垂(しで)」と一緒。

 

 これを青竹に、二組の「紙垂」を組み合わせてできあがり・・・。なんでもやってみるもんだ。で、これがご神体前を飾るのだと。

 

 今日の掲示板はこれ。「悲しみを通さないと見えてこない世界がある」という、町内の「善楽寺」さんの掲示板から。ご存じ、「東井義雄」先生の言葉である。人生において、辛いことや悲しいことは、なければそれにこしたことはないのだが、条件さえ整えば思いがけない苦難に陥ることも少なからずあるもの。けれども、人間には、「悲しみを通さないと見えてこない世界がある」とも言われている。悲しみに出会うことを通して、それまで「当たり前」と思っていたことが、決してそうではなかったことに気がついたり、見落としていたり、気にも止めていなかったことに頷かされたりすることがあったりはしないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寒椿 名刺一枚 受け取って

2015年01月08日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、冬型の気圧配置となっているため瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は3度から8度、湿度は70%から58%、風は3mから4mの西北西の風が冷たかった。明日の9日は、冬型の気圧配置が次第に緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

  

 さて、今日は天気もまぁまぁということだから、香川県立ミュージアムにやってきた。

 

 ここで行われている、第61回日本伝統工芸展を鑑賞するためである。日本伝統工芸展は、歴史・芸術上特に価値の高い工芸技術を保護・育成するとともに、先人から受け継いできた優れた技を磨き、現代生活に即した新しいかたちを築き上げることを目的として昭和29年(1954)から毎年開催され、今回で61回を数える。

 

 私が感動したのはこれ。「截金(きりがね)硝子(がらす)長方皿」という山本茜さんの作品でNHK会長賞を頂いたらしい。どれもこれも素晴らしいのだけれど、これはこころに響いた。

 

 人形ではこれ。「陶彫彩色【寒威】」という作品で溝口堂央さん作。これは日本工芸会奨励賞だった。

 

 この冠のようなものは、松本破風さんの「透網代箱(すかしあじろばこ)」で日本工芸会会長賞だった。

 

 どれもこれも力作ばかりで息を呑むばかり・・・。

 

 これは「銀打出し花器」で大角幸枝さんの作品。これは日本工業会保持者賞だった。

 

 観覧料は一般610円 前売・団体(20名以上)490円、 高校生以下無料。こうした長寿手帳を持っている65歳以上の方や身体障害者手帳等をお持ちの方は免除されて無料で観覧できる。

 

 午後からも暖かかったので、日曜日に行われる「山の神さん」のしめ縄作りと「紙垂(しで)」作りをやっておく。いつもは、すぐ前のおうちの主人がやってくれていたのだが、その方が亡くなって、しめ縄を作る人がいなくなって、私に順番がやってきた。

 

 「紙垂の作り方」というのをネットで検索して見よう見まねで作ってみた。A4の印刷用紙を四枚に切ったから少し大きめかもしれない。

 

 しめ縄も、入り口用、本殿用、脇殿用の3本がいるので、ユーチューブを見ながら縄ないをして作ってみた。山の中の神社だからほとんど人の目に触れることがないので安心だ。

 

 これで、11日の朝、みんなでお掃除している間に注連飾りを取り付けておけばいい。「紙垂」は当日に取り付ける。早めにつけると傷んでしまうから。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日の不思議を見逃さない そんな感性を持ち続けたい」というもの。見渡せば、私たちの回りには不思議がいっぱい。この私が生きているのも不思議だし、となりの奥さんが生きているのも不思議・・・。草が伸びるのも花が咲くのも不思議と言えばふしぎなもの。そんな不思議を見逃さない感性をいつまでも持ち続けていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


はやなぬか 松片付けて 風の中

2015年01月07日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に雲の広がっている所があった。気温は5度から8度、湿度は73%から58%、風は3mから4mの北北西の風が吹いていた。肌寒くて薄暗い一日になった。明日の8日は、引き続いて冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 目が見えるようになったら、今度は右足が痛くて歩けなくなった。けがをしたとか打撲をしたとかという意識はない。じっとしていると痛くなって、少しずつ歩き出すと歩けるようになる。足が冷えたのかな。

 

 朝のNHKテレビで、「マンホール女子」というのをやっていたが、私も一時期はマンホールを集めてホームページに掲載していたことがあるが、けっこう、これが容量を食うのでやまってしまった。パソコンの中にはずいぶんとマンホールは溜まっている。

 

 マンホール女子もいいが、「狛犬女子」も増えて欲しいものだと思う。狛犬を追いかける女子というのはあんまり聞いたことがない。「神社女子」とか「仏像女子」というのは聞いたことがあるが、その流れから言えば、「狛犬女子」がいてもおかしくない。

 

 狛犬だって、追いかけていればかわいい狛犬だっているもんだ。

 

 さて、天気は悪いし、風は強いし、足は痛いし・・・ということで、今日は引きこもってのお勉強モード。寒い日に歩き回って肺炎になったら命取りになる身だから、寒い日はお勉強をすることにした。

 

 相変わらずの「法然上人」の追っかけである。今日は数値のデータ化をやっていた。

 

 どこの町を歩いたかとか、何宗のお寺になっているか・・・などの数値化である。どうにも技術屋は数値やグラフでないと落ち着かない。

 

 こういう絵伝を見ても、これを画像化できないかとか、これを数値化できないか・・などと考えてしまう。だったら、数字に強いのか・・と言うとさほどでもない。

 

 さて、思い出したようにメール便が届いた。恒例の「佐柳ふるさと会」からの文集だった。

 

 毎年、毎年、送っていただいているもの。最近は少しも恩返しができていないのに。

 

 先ほど、「狛犬女子」の話をしたけれど、私みたいな中年親父が狛犬を探すのは「狛犬親父」と言うんだろうか。昨年だかに「狛犬の本を書いてくれませんか」という出版社からの話があったけれど、「狛犬は飽きたです・・・」と言うたのだけれど、落ち着いたら、狛犬のうんちくでも書いてみようかなぁとも思ったりして。これこれ、やることは当面、一杯あるでしょうに・・・。

 

 今年も、この「二本立て」での執筆活動をやるつもりだから・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。

失敗も
おかげである
失敗して
自分を知る
他人を知る
人生を知る
みんなありがたい

 という倉科 良俊さんの言葉からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ロウバイに こころの隙を 見透かされ

2015年01月06日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は低気圧や前線の影響で、雨が降っていた。気温は6度から10度、湿度は70%から86%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の7日も、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は一日中、雨だという予報だったので、またしても香川県立図書館にやってきた。先日に借りたものは概ね目を通したが、とりたてて役にたつ情報もなかったので返却した。

 

 そこで、今回は「法然上人絵伝」や絵図を借りてきた。

 

 こういうものも借りてきた。法然上人を理解するにはこれが一番だろうと思ったのだが・・・

 

 こうした絵図には季節感がまるきり感じられない。いつの頃の絵図なのかを掴もうと思ったのだが、この絵伝ではわからない。「善通寺に出かけた」という絵図はあっても、何月に参詣したのかはわからないのだ。

 

 ここでも、3月に塩飽島に着いたということと、12月8日に赦免になったということで、その間の日付は一切ない。行ったところは善通寺のみ・・・。ふむ、困った。

 

 それでは・・・ということでもないのだが、やってきたのは高松市仏生山町にある「法然寺」さん。しかしのかかし、激しいあめのために人っ子一人いないし、門前のうどん屋さんも「定休日」とかで閉まったまんま。しまった、しまった、島倉千代子。

 

 仕方がないので、100円玉でおみくじを引いてみた。行くところもすることもない雨の日だもの。

 

 あらら・・・。四日の日に与田寺さんで引いたものと全く同じものが・・・。同じ24番で、全く同じ事が印刷されている。ただし、与田寺さんのものには「恵比寿」さんが入っていた。こういうことって、あるもんだなぁ・・・。

 

 境内をうろうろしていたら、寺務所前の狛犬ににらまれた。

 

 山門の仁王さんにもすごまれたので、すごすごと法然寺を後にした。雨は降る降る 愛車は濡れる・・・。

 

 午後からは、論文を見直して、若干の修正を行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こころざしを高く まず一歩」という、今日の法然寺さんにあった言葉から。あちらこちらで見かけるのだけれど、誰の言葉だかはわからない。ま、年頭に当たって、志を高く掲げて、まずは第一歩から始めなさいよ・・・というとるのだと思う。ということで、わずかな一歩だけれど、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひっそりと つかの間だけの 松飾り

2015年01月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の接近で夜には雲が広がるらしい。気温は5度から11度、湿度は82%から66%と暖かい午前中だったが、午後からは冷たくなってきた。風は1mから3mの北東の風が一時、強かった。明日の6日は、低気圧や前線の影響で雲が広がり、昼前から夕方にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 さて、この日曜日の11日に、この集落内にある「山の神さん」の掃除と例祭があると、当番さんがやってきて連絡があった。で、私はまたしても「しめ縄造り」を仰せつかった。たぶん、今後も、そうなるのだろう。

 

 昔は煮炊きや風呂なんぞのたきぎや薪(マキ)を取るために山に入ったり、植林や伐採の山仕事をするので、「山の神」さんをおまつりしたのだろうし、秋の収穫が終われば、「田の神」さんは「山の神」として山に帰ったという。昔はここに本殿や拝殿があったらしい。礎石が今も残っている。

 

 近年になって、本殿は新しくしたものらしいが、拝殿は再建されなかったらしい。このしめ縄3本を新しく作り直すのが私のお役目らしい。秋の例祭にも私が作ることになって慣れない手つきで作ったもの。

 

 弟の「よっくん」宅で稲藁はもらってきた。

 

 これを木槌で叩いて柔らかくするのだが、そんな木槌など今はない。そこで金づちで叩いてみたが、あんまり効果はないみたい。なかなかに柔らかくはならない。

 

 で、軸だけを残して葉っぱの部分を掃除して外す。これを昔は「そぐる」と言った。すごくとかと似たような意味か。

 

 こうして稲藁(いなわら)を左右の手でもむようにしてねじり上げていくのを、「縄をなう」という。これが簡単なようでなかなかに難しい。2本に分けたわらを、反対方向に回転させながらねじり併せていく。ちからもコツもいる作業である。

 

 で、古い物を参考にしながら練習してみた。まぁまぁ、なんとか、なるかも・・・。

 

 午後からは、県立図書館で借りてきた本を開いたけれど、やはり、どの本でも、塩飽本島の笠島浦に到着した日(建永二年(1207)3月26日までは記録されているが、それから先の日付はどこにもない。そして、承元元年(1207)12月8日に勅免の記録までが空白となっている。

 

 法然上人の流罪は8ヶ月余りだが、その8ヶ月間は何故、記録されなかったのか。どこで何をしていたのだろうか・・・・。

 

 明日には再び、香川県立図書館に行って来なければ・・・と考えている。どうせ、明日は雨になりそうなことだし・・・。

 

 今年の香川の三が日の人出の集計値が四国新聞に掲載されていた。今年は元日は冷たい風が吹き荒れたし、2日には粉雪が舞ったこともあって、各地で大きく人出が減ったらしい。元気だったのは「こんぴらさん」くらいなもの。

 

 4日になって、暖かくなって人出が増えたらしいが、この頃には帰省が始まっていたから、参詣者増加には至らなかったらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。いつもの赤松先生の字である。「今年こそ自分と向き合おう」というもの。「今年こそ」というのが力強い。「自分と向き合おう」と言うこと自体が難しいと思えるのに、「今年こそ」と言われると、真剣に今年こそ自分と向き合わねば・・・」と思ってしまう。私ごとながら、昨年は二月の初めから左目が霞み始め、四月にはほぼ見えなくなり、10月には失明状態になった。だから、なにもかもが中途半端で終わってしまった。だから、今年は大変だぞ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


南天の 紅さに元気を もらう朝

2015年01月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がってきた。気温は1度から11度、湿度は78%から63%、風は2mから3mの北北西の風が少しばかり吹いていた。明日の5日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で、夕方からは次第に雲が広がる見込みらしい。

  

 さて、ご案内の通り、今日は高松市林町にある「香川県立図書館」に行くことにした。するとけいこばぁが、「私も一緒に行きたい・・・」というので2人で出かけることになった。

 

 おなじみになった香川県立図書館だが、今日は和装の方がちらほらと目に付いた。お正月休みということもあってか、駐車場は空いていたし、館内も人影まばらで静かなものだった。

 

 で、法然上人関係の本を七冊借りてきた。とりあえず・・・というところのものを適当に選んできただけ。

 

 私が欲しいのは、讃岐への配流の日程とか内容に関する情報である。塩飽本島の笠島に着いた年月日はわかっているが、本島(ほんじま)に何ヶ月いたかというと曖昧になってくる。泊浦から出たのはわかっているが、その年月日がわからない。そして、丸亀のどこに着いたかになると曖昧になる。塩屋別院あたりという話もあれば「カイホリ寺」だという説もある・・・。

 

 けいこばぁが「おうどんを食べて行こう」というので、すぐ近くにある「手打ちうどん・たも屋林店」に行った。さすがにたも屋さん、11時前だというのに50人ほどのお客さんがいる。

 

 私は久々に「カレーうどん小の麺ぬくめ」をお願いした。410円。奥方はいつもの「かけうどん小」で230円。ここのカレーうどんはお勧めやね。

 

 そこから東かがわ市の「白鳥(しろとり)温泉」に直行するのも芸がないと思って、香川県の初詣名所の14位あたりにランクアップされる「白鳥(しろとり)神社」に行って来た。お参りのためではなくて「取材」という話題づくりのため。ここにはたこやきの露店が一軒、ほそぼそと営業をしていた。

 

 ここは厄除けの寺で有名で、香川の初詣場所の10位あたりにランク付けされる。露店の数は2軒。

 

 この行列しているのは厄除けの祈祷を受けてお札をいただく人たち。熱心な信者さんが多そう・・・。

 

 次いでお邪魔したのが、同じく東かがわ市にある与田寺さん。ここは、6位くらいにランク付けされるところ。香川県東部ではトップらしい。だから露店の数も10軒以上が元気な声で呼び込みをしている。

 

 おもしろいと思ったのは、ここでも、田の口薬師さんでも、年配の方が、「二礼・二拍手・一礼」をしている姿。だから、若い方が真似をして「二礼・二拍手・一礼」している・・・。神さんも仏さんも一緒くたやな・・と感心した。

 

 お遊びで100円のおみくじを引いてみた。お正月用のサービス版かしらん・・・。

 

 で、奥方お待ちかねの「白鳥(しろとり)温泉」にやってきた。駐車場の車の台数ももほどほどの数。お風呂の中にも7~8人程度。ゆったりとさせてもらった。

 

 で、3時前だというのに、おうどんでも食べて帰ろう・・・ということで、食堂室へ。

 

 私は「しっぽくうどん」を注文した。具材が少ないし、お出汁もうすいなぁと思った。これで550円だった。奥方は相変わらずの「かけうどんの小」で300円。ま、おなかがふくれた・・・というお食事。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえどんなに辛くても 春を迎えぬ冬はない」というもの。今日の白鳥神社で絵馬を眺めていたら「公立大学に入れますように」とか「志望校に入れますように」とかの受験生の合格祈願の絵馬が目立った。今年は孫のはやてクンやたつやクンも受験生。毎日の受験勉強は辛くて苦しいだろうけれど、みんなが通ってきたきた道。まさに「春を迎えぬ冬はない」のだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


三が日 独楽が止まって 酒が尽き

2015年01月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で雲の広がっている所もあったが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は0度から8度、湿度は78%から60%。風は2mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の4日は、気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎから夕方にかけて、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨日は朝から飲んで食べて昼前から飲んで食べて、夕方からも飲んで食べて・・・。少しばかりお疲れ気味。それでも朝も7時過ぎから起き出してしまった。

 

 ということで、朝の間はぼんやり気味。弟のたっくんと、いとこの美智代さんとの軽い朝食のあと、2人は帰ってしまい、けいこばぁと2人だけの生活に戻った。奥方は台所の片付け物・・・。私は年賀状の整理をすることにした。

 

 出したものと頂いたものとを付き合わせたり、新しく頂いた方には住所録に登録したり年賀状を作り直して発送したり・・・。

 

 でも、議員さんとかで、まだ、母宛に年賀状が届くと、どういう管理をやってるんだろうかと疑問に思ったりする。中には気分を害したりする人もいるんじゃなかろうか・・・。

 

 近くの郵便ポストまで散歩がてらに歩いてきた。どうにもおなかまわりがでっぷりとしてきたように思う。ま、20分ほどのウォーキングでは少しも効き目はないのだが。

 

 今日のお昼は木村食堂(わが家)の「年明けうどん」に缶ビールつき。けいこばぁはおこたで箱根駅伝を見ながらのお昼寝モード。とにかくよく寝る人だ。昨日の宴会で疲れたんだと思う。

 

 年賀状データーの整理もやっておく。住所の変わった人とか、新しく追加する人とか・・・。ま、思い立ったらやっておかなくては。後で、後で・・・と思うと忘れてしまって年末に大慌てしたりする。

 

 早くも今日は三日。眼も見えるようになったし、身体の調子は悪くないし。そろそろと、自分のお勉強に戻らねば・・・。

 

 ということで、少しばかり法然上人伝の論文の修正のために、またもや法然上人の資料集めをやっていた。法然上人はいつからいつまで讃岐に滞在していたのか・・・ということになるとよくわからない。塩飽本島までの足取りははっきりとしているのだが、それ以降はわからない。

 

 塩飽本島からどこに上陸して、どこを経由して、どこに行ったのかということになると皆目わからない・・・。それを少し確かめようと思って居る。明日は図書館に行って来ようか。

 

 当面、一月上旬にはこれという予定はない。11日の山の神神社の掃除とかしめ縄造りはあるけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分が今どこにいてどこに向かっているのかわかれば 何をどうすればいいのかがもっと良くわかる」というリンカーンの言葉らしい。船でも自動車でも登山でもそうなのだが、まず、自分の位置を掴むことが先決問題。自分がどこにいるのかがわからなければ方向も方法も決められないのと同じ。物事を始めるにも、イベントを起こすにも、どこにむかって進むのかも、まずは自分の位置を見極めることが大切になる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


たこ揚げる 子らもいなくて 青い空

2015年01月02日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に雲が広がり、山地では雪の降っている所があった。気温は0度から7度、湿度は80%から62%、風は1mから3mの西北西の風が吹いていた。冬らしく冷たい一日になった。明日の3日は、気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所がある見込みらしい。

  

 ま、朝方は、おだやかな、空気は冷たいものの、正月らしいというと変な表現だが、気持ちのいい朝であった。

 

 毎年の正月2日は、わが家では「正月礼」という新年会の日である。昔から親戚一同が集まって新年を祝う日で、順送りで明日はどこそ、明後日はどこそこ・・・ということになっている。

 

 でも、叔父さんや叔母さんがいなくなって、今では兄弟やいとこ、孫たちの世代になってきた。ま、私たちが年をとってきたということなんだけれど。だから、少し前までは20人、30人という大きな宴会だったが、今年は15人の会になった。

 

 新年会はお昼からだが、私の準備は九時半くらいから。仏間のふすまを外し、テーブルを並べ、座布団を並べる。お箸を配り,グラスを置いて・・・と、会場造り。

 

 11時半にはみんなが揃って挨拶の後、宴会の開始。今年のビッグニュースは、私のいとこの息子がとある女優と結婚したということ。

http://matome.naver.jp/odai/2141549434290166301

 それと、私の弟の次男が婚約したということ。そこで、婚約披露会も兼ねている。

 

 これがその若いカップル。安藤美姫みたいな方である。

 

 少し前までは、家族総出で、前の日から料理を作ったものだが、母もいなくなり、省力化もあって、今年はオードブルになっている。

 

 途中で雪が降り出してきたが、積もることはなかった。でも山道を警戒して帰る人も出てきた。

 

 会は12時前から始まって午後4時頃まで。娘家族や弟家族たちが帰ってしまうと・・・三男のたっくんと、いとこの美智代さんと、私たち夫婦の4人だけが残った。その4人で後片付け・・・。残飯を整理し、テーブルを片付け、座布団を押し入れに入れて・・・ふすまを元通りに戻して・・・。

 

 残った食材をリビングのおこたの上に並べて夕食会というか二次会というか・・・。

 

 あっという間の怒濤のような時間・・・。世間話から子供の教育の問題・・・。何を話したかも覚えていないけれど、二次会では・・子供の頃の思い出話に花が咲いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「一日を大切にする人は一年を大切にする 一年を大切にする人は一生を大切にする」というもの。年の初めに、こころしておきたい言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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