まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

シャクヤクを 抱いてはじける 花遍路

2017年05月16日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響により概ね曇りとなっていた。気温は13.8度から22.0度、湿度は94%から56%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の17日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 毎週、火曜日はここ、前山地区活性化センターへ出勤する。最近は、これという作業もなくなってきたが、何かやることがある筈だとやってきた。

 

 私たちは、この「俵札」の展示作業。私のコーナーは入替完了。今回は中島先生の入替のお手伝い。このコーナーは「六十六部廻国聖」の納め札である。

 

 で、現在は「護符」と呼ばれる寺院から授与される「お札(ふだ)」の整理と展示である。これを並べたいが大きすぎるし、これだと小さすぎて・・・ということでの試行錯誤。要はセンスの問題になってくる。

 

 そこへ、私に会いたいというお客さんが・・・。とある県議さんからの紹介で・・と、やってこられたもの。なんでも、仏教全般についてお話をお伺いしたい・・・とか。

 

 ある法事にお参りしたら、正信偈を読んで終わったが、なんで大経や阿弥陀経を読まないのか・・とか、

 

 般若心経は節をつけずに読むのに、正信偈はどうして節をつけるのか・・・などという質問の羅列。確かに、余宗から見れば変かも知れないが、逆に、私たちからすれば、節のない偈文は変かも知れない。

 

 そして、大無量寿経の十八願文まで引っ張り出してきて、「阿弥陀さんは全てのものを救うはずなのに、どうして、唯除五逆誹謗正法 と言い切るのか・・」などと。この方、学会の方ではないと思うのだが。ご丁寧に、「抑止門」についてお話をしてさしあげたが、熱心といえば熱心なお方なのだろう。

 

 結局の薬局で、私の今日のお仕事は段ボール箱の整理くらいなもの。ま、そういうこともあってもいいか。

 

 昨年の7月初め、自治会堂のエアコンの室外機が盗難に遭った。で、新設しようと提案したが、新しくつけても、また、盗難に遭う可能性がある・・・ということで、エアコンなしで、暑い夏と寒い冬を乗り切った。

 

 でも、うちわだけでは落ち着いて話し合いにもならず、厚着をして寒い冬の寄り合いでは身が入らないというもの。そこで、先日、親戚で取り外したエアコンを集会場に取り付けた。でも、これまた、置いただけだから、誰でも自由に持ち去ることができる。

 

 そこで、集落内の左官屋さんにお願いして、基礎部分をモルタルで固めてもらった。こうすれば、簡単には持ち去れない。やろうとすれば、大きな鉄棒か金物で、基礎のプラスチック部分を壊せば持ち去ることはできるが、そこまで時間と稼働をかけるかどうか・・・。

 

 ま、これでしばらく様子を見ることにした。7月2日の日曜日、市内一斉清掃日になっている。この時に地区内の全員が集まるので、その場で、善後策を話し合うことになっているらしい。金網で囲んでしまうか、鉄柵で包むか・・・。それとも、このままで行くか・・。

 

 少しばかり、モルタルを塗ってくれた左官さんに、私からのほんのお礼。私は私で自治会から寸志を頂いている。

 

 その後、山の旧宅周辺でタケノコを探してきた。サルやイノシシの見逃したタケノコもあった。

 

 タケノコにも飽きたといえば飽きたのだけれど、調理しだいではおいしいかも知れない。

 

  今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけずには生きられない 「おかげさま」ってほんとうなんだ」というもの。「人様に迷惑をかけるな」などと、親が子に教えたものだが、人は誰も迷惑をかけずには生きられない。子供は親に迷惑をかけて大きくなり、親は子に迷惑をかけて亡くなる。「俺は誰にも迷惑はかけないで生きる」と言う人ほど、世の中に迷惑をかける人になるらしい。まだまだ、「おかげさま」とは言えないけれど、これからどうなっていくのかなぁと思いつつ、生かされている毎日ではある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


麦秋を 超えて見に来る 謎の庭

2017年05月15日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で曇っている所もあった。気温は15.6度から23.7度、湿度は78%から54%、風は2mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の16日は高気圧に覆われて晴れるけれど、昼過ぎからは気圧の谷の影響で時々曇る見込みらしい。

 

 この日曜日(5月21日)に、87番長尾寺と88番大窪寺のガイドをせよ・・というミッションが組まれた。私たちは「お先達さん」ではないので、お寺のガイドはしないことになっている。では、長尾寺のどこをガイドすればいいのか・・・。

 

 まずは、山門前にあるこれ。「経幢2基」である。石造で、西側のものが弘安6年(1283)、東側のものが弘安9年(1286)の建立。

 一、(鎌倉男児)
四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る /十万余騎の敵 /国難ここに見る /弘安四年夏の頃 /なんぞ怖れんわれに /鎌倉男子あり /正義武断の名 /一喝して世に示す

 という、元寇の時のものである。

 

 次にこの人である。四国霊場87番札所、長尾寺さんの十五代住職を務めた「村岡俊嶽大僧正」さんである。村岡師は、明治十一年南鴨村(多度津)村岡亀太郎の二男に生まれ、のち長尾寺に入り高田俊興の弟子となり、ついで第十五世住職となった。日露戦争で中絶していた大会陽を復活し、同四五年から大鏡力もちをはじめ境内南にあった墓地を現在地に移転し、境内を拡張して、参道に石を敷き、大師堂を再建し、客殿を修復するなど寺の面目を一新したほか、天台宗三井寺の要職も兼ね、四国霊場会、郡仏教会の役員や会長をつとめ長尾寺および仏教界の興隆に著しい貢献をした。

 

 また、自蔵園楠蔭と号して俳借をよくし、ことに長尾俳壇の中心として、いまにその流れを汲む者山下抱月をはじめ数多く、その命日には楠蔭忌として句会が続けられている。昭和三二年三月五日八〇歳で入寂。庭園には、「春風や 人あるかぎり いろは歌   楠蔭」という句碑がある。

 

 本堂の向拝にある、この彫刻、チューラパンタカのお話である。周利槃特は釈迦の弟子中、もっとも愚かで頭の悪い人だったと伝えられ、「塵を払わん、垢を除かん・・」と唱えさせ、精舎(もしくは比丘衆の履物とも)を払浄せしめた。彼はそれにより、落とすべき汚れとは、貪(rāga)、瞋(dveṣa) 、痴(moha)という心の汚れだと悟り、すべての煩悩を滅して、阿羅漢果を得たとされる。そして、やがてには十大弟子の一人周利槃特になったといわれる。

 

 で、こちらは「靜御前剃髪塚」である。ここで、靜御前の悲話を一席ぶつ・・・。あと、山頭火の句碑のおはなしとかも。20分はあっという間で終わる。

 

 できたら天神さん、菅原道真公のお話もできたらいいが・・・。

 

 ついでに大窪寺さんにも寄ってみたが、こちらはお話しすることがいっぱいありすぎる。

 

 これとか、あれとか・・・・。

 

 これも、あれも・・・。20分では話しきれないことばかり。そうそう、「ぶっちょうづら」もあったし。

 

 深緑がきれいだなぁと、ぼんやりとしていた。そうそう、山頭火の句碑もあるし。

 

 午後からは、担当区域内パトロール・ウォーキングをやっていた。入院して、退院後は娘さん宅に引き取られる方が一人と、退院後は施設に入ることになる家庭が一つと、だんだんと寂しくなる一方・・・。

 

 そういうものもチェックしておく。

 

 そしたら、また、この娘さん・・・。車にはねられる恐れがないので、そのままにしておいたら、1時間後にはいなくなっていた。何なんだろうかねぇ・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「まっすぐな木はまっすぐ使え 曲がった木は曲がったまま生かせ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。大工さんの基本中の基本の言葉。「上下を逆にはするな 木目を生かせ」。それは人間にも同じだろうし、金属でも同じ事かも知れない。しかし、世の中には不遇な人がいるもので、曲がった木は役に立たぬと捨てられてしまう。二宮忠八もその一人。「戦時中だから・・」と、言われ、「衛生兵の考えることではない」と却下もされた。ようやくに自費で飛行機を作り上げた時、すでにライト兄弟に先を越されていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春もみじ 今日は邪念を 置いてくる

2017年05月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17.2度から25.5度、湿度は64%から56%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の15日は、気圧の谷の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 連休前から血圧が上がり、腹水がたまり、動くのがしんどくなったし、足がむくんで動けなくなったりしていて、ずいぶんと体重も増えてきた。連休が明けると、血圧は正常になったが、足のむくみは残ったまんまだった。

 

 このままでは「寝たきり」になるぞ・・・と思って、ようやくに重い腰を上げて散歩に出た。「少しだけよ~」「少しだけよ~」と歩き出したら、ここまでは来られた。

 

 この、発電棟から堰堤上につながる107段だか109段だかの階段を登ってみた。休みながら登ってみた。呼吸を整えながら登ってみた。

 

 登ってみたらなんともない。これならば行けるぞ・・と、歩き出した。息苦しさも足のむくみ感もない。

 

 数字の②から歩いてきて、今、「大川ダム」の所まで来た。これからは南下してダムに沿って歩いて行き、今度は北上して県道2号線を下って行くことになる。

 

 ダムの管理用道路はメンテされておらず荒れ放題。枯れた竹が倒れかかったり通路をふさいでいたりする。雑草は伸び放題だし、山は崩れ放題。イノシシがかきまわした痕跡があちこちにあるし、山ではサルの甲高い声がする。

 

 水面では、若者がボートを浮かべて「フライ・フィッシング」。全くあたりがない様子・・・。

 

 ダムから下ってくるのは楽なもので、1時間と少しで我が家に戻って来た。つまり、4キロと少しばかり。

 

 で、昨日の続きで、パワーポイントの資料の確認作業をやっておく。狛犬と仏教寺院は関係ないのだが、ここでは、「獅子」について説明している。

 

 国王がライオンが好きなように、仏教を守るために「獅子」が使われている。釈尊が説法した場所を「獅子座」といい、その説法を「獅子吼」と言った。

 

 この築地別院の有翼の獅子は、狛犬ではないのだが、「阿吽」の姿になっている。

 

 午後からは「レジュメ」の作成。歴史好きな方々は、「資料がないのか」とか「資料が欲しい」というので、何らかの手持ち資料は準備しておかねばならない。

 

 で、両面刷り2枚、計4頁の資料ができた。

 

  今日の掲示板はこれ。「こだわりを捨てれば心は五月晴れ」というもの。「邪念を捨て、こだわりを捨てよ」 これを、禅門では放下著(ほうげじゃく)と云う。中国の言葉だが、要するに”捨ててしまえ”ということ。人生の苦しみ の多くは執着の心より起こるもの。執着の心とは、つまり、”こだわり”。仏教はこの”こだわり”を捨てよと説いている。こだわりがないといけないこともあるし、こだわりが良い結果を生むこともあるけれど、往々にして、人を出口のない欲望と迷いの渦中に巻き込んでいくこともまたあるもの。どうしたら、さまざまなこだわりから自由になれるのか?どうしたら、仏様のような柔和な心になれるのか。うちの庄松(しょうま)さんは、「角の生えたまんまじゃぞ」、「持ったまんまじゃぞ」と言うたのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生かされて 今日のほほえみ 野のあやめ

2017年05月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があったが、次第に高気圧に覆われてくるため、夕方からは晴れてきた。気温は17.6度から24.5度、湿度は94%から78%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の14日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝の散歩で「ハチク(淡竹)」を見つけてきた。で、早速に皮をむいてお鍋で下茹でしておいた。料理は奥方にお願いする。

 

 こうしておけば、どんな料理にでも利用できるというものだ。

 

 さて、来週の土曜日、5月20日の午前中、セトラ高松という住宅展示場で、「セトラ歴史講座」というものが、毎週第三土曜日に行われていて、今月は私に「講演依頼」が来た。

 

 会場はこんなもので、数人から十数人程度の講演会。昨年は二回ほど「出講」した。

 

 今回は「狛犬」を歴史的観点から、その伝達経路や、伝達理由などを考察するものである。

 

 狛犬の元祖である「獅子」は「仏教伝来」とともに、朝鮮半島から我が国にもたらされた。仏具や法具、寺院の装飾品や灯籠などの飾り金物として流行し定着した。

 

 その後、天皇家や貴族の間に「鎮子(重りを兼ねた装飾品)」として「獅子」が用いられた。

 

 その後、神社や神宮において、「獅子・狛犬」が神殿を守るものとして普及し始め、江戸時代後期には定着するようになり、明治の「国家神道」の潮流の中ですっかりと定着した。そういうお話になる筈。

 

 次いで、翌21日の日曜日には「NHK文化講座」の一行を、長尾寺から大窪寺までガイドする役目を仰せつかった。私たちは「お先達さん」ではなくて「観光ガイド」だから、宗教色のお話はしない。ま、お寺の歴史とかはお話しないと前には進まないのだけれど。

 

 で、私の得意分野がこれ。専門用語では「頂上仏面」というのだが、そんな難しいお話をしても受けない。

 

 つまり、このおじさんのような「ぶっちょうづら」のお話。上の、最頂部にある仏面は、「ブスー」としているので「仏頂面」というおはなし。

 

 そして、後部にある仏面は「暴悪大笑相」というお顔。

 

 世の中に起こるあまりの悪行の数々に、もう、大笑いでもって、それを打ち払うしかないという表情のことである。そういうお話をまとめていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「よいことばかり いつまでも続かない 悪いことばかりもいつまでも続かない」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。美輪明宏さんの「正負の法則」によると・・・「幸福ばかりの足し算の生活をしていると、やがて地球上の法則で恐ろしい引き算がどっと押し寄せてくる」し、 健康法の本とか願望実現の指南本を書く著者は、病気(特に癌)で早死にしたり、素敵な恋人を得る本や幸せな結婚の秘訣本を書く人は、夫が家を出たり、険悪 になり離婚するという法則」かららしい。丹波哲郎さんとの対談によると・・・人生は、正負の法則で成り立っている。世の中、良いことと悪いことは相対して 起こる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山つつじ 供えた猫の 墓がある

2017年05月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、概ね曇っており、夜は雨が降る見込みらしい。気温は18度から25度、湿度は90%から70%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の13日は、低気圧や前線の影響で朝まで雨が降り、昼前まで雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 昨夜は「○望」旧暦四月十六日だった。

 

 一昨年の今日の県道防災工事。何をモタモタしてるんじゃろうか・・・と思っていたが。

 

 今日の同じ場所。掘削、法面保護も終わって最終段階にきているらしい。今度はこの、左のように防護ネットを張るらしい。

 

 この、「城山まつり」のご案内を頂いていたもので、香南歴史民俗郷土館に行ってみた。

 

 築城年代は定かではないが南北朝時代に由佐氏によって築かれたと云われる。 由佐氏は下野国益子氏の分流で、建武3年・延元元年(1336年)足利尊氏に属し新田義貞との戦いの功により讃岐国香川郡井原荘を領し由佐氏を名乗ったことに始まる。室町時代には細川氏、戦国時代には三好氏に属していたが、長宗我部氏の讃岐侵攻に降った。しかし、羽柴秀吉の四国征伐の後は仙石氏さらに生駒氏に仕えた。

 

 宝暦十三年(1764)2月24四日 中山城山(なかやま じょうざん)が香川郡池西村大字横井(現在の香南町横井)に生まれた。江戸時代の徳川天下太平の世で、学問、文芸、教育とめざましい発展をし、家康は儒学を官学として武士らの学ぶものとした。特に朱子学に力をいれた水戸藩と深い関係の高松藩も朱子学が盛んで藩校でも儒学を講じた。

 

 のち 夫人の死によって国を離れ大阪 京都 長崎に 文化十二年(1815)五十三歳の時、子供に先立たれたあと郷里に帰り「全讃史」全十二巻を実に十年余りをかけ、文政十一年(1828)完結させて高松藩に献上している。

 

 城山はこの「全讃史」の刊行に当たっては 大変な力の入れようで 完結に当たって「吾国恩に報ずるもの之のみである」と言っている。これらは、みな城山自身が、讃岐の全域にわたって尋ね歩き、実地踏査のうえでかき上げた労作であり今日の郷土史研究の貴重な書物となっている。

 

 城山の号は 生涯愛し続けたという坂出市府中の城山(きやま)からとったものである。城山の石碑が 坂出市高屋町の遍照院境内にあり城山(きやま)に向かって建てられており 弟子藤澤東畡が撰文している。

 

 城山生涯の著作は 四十七部 百二十五冊に達したのである。天保八年(1837)四月二十三日病歿。七十三歳。墓所は香南町横井にある。<参考文献:讃岐人物風景 さぬき歴史暦>
 
 本年は、大正6(1917)年、岡山県で創設された済世顧問制度を源とする民生委員制度の創設100周年という大きな節目の年だそうである。創設したのは、当時の岡山県知事であった笠井信一氏。笠井知事は、大正天皇から岡山県内の貧しい人々の生活状況について尋ねられ、状況の調査を行った。すると、なんと県民の1割が「極貧」とも言える状況にあることが分かったのである。この事態を重く見た笠井知事は、防貧制度(貧困に陥ることを防ぎ、また貧困に陥った人を救う制度)を確立するため研究を重ね、大正6年5月12日に「済世顧問設置規程」を公布した。これが「済世顧問制度」、現在の「民生委員制度」のはじまりで、このことにちなみ、現在では5月12日を「民生委員・児童委員の日」と定めている。
 
 
 だから・・という訳でもないが、今日も、この「ひとり暮らしのつどい」のご案内。ひとり暮らしだから、自宅にじっと籠もっている訳ではない。デイサービスに行ったり、山でサルの番をしていたり、裏庭で草引きしていたりと、なかなかにお会いすることができない。
 
 
 そんなんで、今日も担当地区内パトロール。
 
 
 
  今日の掲示板はこれ。「他人がやると大悪党にみえるが、自分がやった時は必ずやむをえぬ事情がある」というもの。出拠・原典は不詳だが、「あの人、あんなことをやってる・・・。悪いヤツやなぁ・・」と思うことは多々あること。マイカーの灰皿をコンビニの灰皿に捨てて平然としている人とか、よさまのお墓を靴のまま、踏みつけたり蹴飛ばしたりして、さも、あたりまえのような顔をしている人とか・・・。でも、それが自分だったら、「これはこうだから、こうしたんだ・・」と、確かにやむを得ぬ事情らしきものを並べ立てる筈。自分さまが社会を汚し、世間を暗くしていることなどには気づきもしていない。
 
 
 
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

若葉切る はさみの音の 鈍い朝

2017年05月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は17.6度から26.6度、湿度は88%から58%、風は3mkら5mの西の風が少しばかり強かった。明日の12日は高気圧に覆われて晴れるけれど、前線や湿った空気の影響で次第に曇りとなり、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 この時期恒例の展示会が行われている・・というので、「多度津町立資料館」まで行って来た。ここが多度津町立資料館である。この敷地などは江戸時代の旧多度津藩士浅見家から寄贈されたもの。8時半にわが家を出て、ココに着いたのが10時。予定通りだった。

 

 こういう「ソフビ人形」から・・・

 

 寛政6年に作られた甲冑とか

 

 高松藩松平頼重公お抱え工人・加賀守藤原包高銘の脇差とか・・。

 

 私が注目したのがこれ。納め札の版木である。半紙のような和紙を乗せて印刷し、四等分にして「遍路札」にしたもの。

 

 これは「護符」などに使われた梵字の版木である。

 

 これが、我が家の「お宝」だというのはすごい。「正信念仏偈」の経本である。時代が特定できれば、もっと、ありがたいのだけれど。

 

 これは、「護摩供養法具」だが、こういうものをお宝に持っているのはお寺さんかお坊さんだと思うのだが・・・。

 

 こういう、古典カメラ5台も重みのある展示だった。

 

 こちらのほうが古いのかな。ま、いろんなお宝があるもんだなぁと感心するばかりだった。

 

 午後からは入院しているおばあさんを訪ねて行った。

 

 昨日の、「ひとり暮らしのつどい」のご案内だった。それまでには退院したい・・と言うていたが、はてさて、どうなることやら。それだし、最近、お姿が見えないなぁと思っていた方が入院しているのを偶然にも目にした。もう、おうちには戻れないらしい・・・とか。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山つつじ 花揺れもせず 過疎の里

2017年05月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は18.2度から22.9度、湿度は90%から70%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。明日の11日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 借りていた本の返却期日が明日だということに気づいて、香川県立図書館にやってきた。すっかりとアキニレの若葉で夏らしくなった。

 

 平日の開館直後だから、そんなに利用者は多くない。トイレだけを利用しに来る人とか、新聞だけを読みに来る人とかと、それぞれの思惑でやってくる人もいる。そんな、人間観察も楽しい。

 

 で、五冊の本を返却して、新たにまた、五冊の本を借りた。

 

 「ほっかいどうの狛犬」、「古写真でみる東かがわ」、「ダムに沈んだ村」、「四国遍路と世界の巡礼」に「長尾町史」の五冊。

 

 帰りに、奥方に頼まれていた食材を買って帰る。ついでに、私のお昼のこれ・・・。

 

 どうにも迷犬ごんがドッグフードを食べてくれない。そこで麺の半分とおつゆをごんのお昼に与える。そうすれば大喜びで完食する。私が全部を食べる訳ではない。この容器を見るだけで、味噌汁だって、残飯だって大喜びをするのだから単純なものだ。

 

 今日は第二水曜日ということで、「民児協」の定例会。旧大川町役場だった建物。その二階が専用の会議室になっているらしい。

 

 毎月の第二水曜日の13時半から15時程度が定例会ということになっている。民生児童委員が15人と主任児童委員2名の17名という小さな会議。それに「社協」の担当者とかなんとかのお役人が入ってくる。

 

 ま、ほとんどが、お役所からのお願いやら指示伝達事項、ボランティアのお願いなど。それに研修会やら講習会やら運動会やらの参加要請。

 

 たってきのお仕事がこれ。「ひとり暮らしの集い」のご案内を配って歩くこと。私の担当区域からは6名。入所1名、死亡1名、入院1名、親戚預け1名、腰痛1名、残り1名・・・。平和でのどかな山里の集落だとのんきに引き受けたけれど、こりゃぁ、大変だ・・。

 

 78歳以下の一人暮らしは10人ほどもいるし、高齢化と過疎化が著しい地区。ぐるっと回ってきたけれど、庭先の花壇も荒れ放題。竹藪のタケノコはサルがかじり放題・・・。限界集落かなぁと思ったりする。

 

 こちらに籍はないけれど、遠く高松あたりから田植えに戻って植え付けをしてある田圃を見るとほっとしたりする。マチで働き、マチで暮らしながら、それでも、故郷の田圃を植えようとする気持ちに安堵する。

 

 主を失ったお庭には、季節が巡れば花が咲く。虫も来る。

 

  今日の掲示板はこれ。「恵まれすぎて人生をつまづいた人もあり 逆境から立ち上がった人もある」というもの。確かに過去から学んできた英雄とか成功者とかのなかにも、そんな人はざらにいるし、毎日毎日のニュースの中にもそんな人はごまんと居る。どちらだっていいのだが、最後には「しあわせだったよ」と死んでゆける人こそ、人生の成功者だと思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


深緑の 花みな濡れて うつむいて

2017年05月09日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や前線の影響で雨となっている。気温は16.5度から19.5度、湿度は92%から84%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の10日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は全国的に火曜日だということで、恒例の「前山地区活性化センター」にやってきた。もう、小雨がぱらついている時間帯だった。

 

 連休明けに届いていた「蘇民将来符」も展示しておいた。このお話も味が薄れないうちにまとめておかねばならないなぁ・・と思いつつ、思いつつ。

 

 今日は「中島先生」がお休みなので、中島さんのやっている資料の整理をやってみた。パネルにプリントアウトした用紙を乗せているだけだったので、正式に貼り付けて、いらない空白部分を削除して見やすくしておいた。

 

 このコーナーは、「六十六部衆」とか「六十六部聖」とかと呼ばれた「日本廻国行者」の納め札である。正しくは日本回国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)といい,江戸時代にはおとしめられて六十六部または六部の略称でよばれた回国聖。今も各地にこの回国供養碑を見ることができる。江戸時代には単なる回国聖または遊行(ゆぎよう)聖になってしまったが,中世には法華経六十六部を如法(によほう)に写経し,これを日本全国の霊仏霊社に納経するために回国したのである。西国三十三所観音霊場の巡礼納経にならって,六十六部納経したとも考えられるが,日本全国六十六ヵ国をめぐることによって,より大きな功徳を積もうとしたものであろう。(世界大百科事典 第2版の解説)

 

 その反対のコーナーには「護符」が展示されている。この真ん中のお札は、「奉修西照大権現日護摩供如意□」という、「大瀧寺」のお札である。ここも明治になって、「西照神社」と「大瀧寺」とに分離した。隣は「高越大権現本地護摩供守護」符で「高越寺(こおつじ)」が授与したものである。

 

 こちらが西照神社で・・・

 

 こちらが、別格20番の「大瀧寺」である。

 

 こちらが、「高越大権現」の「高越寺」である。本尊は山岳修行の「蔵王権現」。東の「大和国金峯山」に対して、「西山上」と呼んで、阿波修験道発祥の地とされている。

 

 こちらが、その「蔵王権現」をおまつりする「阿波忌部神社」で、こちらも「阿波忌部修験道」で知られてきた。この裏手にあるのが・・・

 

 「蔵王権現社」である。いやぁ・・、この寒川家というのは、つくづく信仰心の厚い家系だなぁと思うことである。その昔、昼寝城は、鴨部川上流の南側にある矢筈山の中腹、俗称昼寝山の頂上に所在していた。西方の隅には寒川社(寒川さん)と呼ばれる祠が存在する。築城されたのは嘉吉年間、築城主は香川光治と伝わる。南北朝時代から室町時代にかけて、東讃に勢力を誇っていた寒川氏は仁明天皇の頃に讃岐朝臣の姓を賜り、代々寒川氏は寒川郡の郡司であったために寒川氏と称するようになった。というのである。(Wikipediaより)

 

 午後からは、ホームページの更新である。頂いた資料をスキャナーで読み取ってテキスト化する。

 

 昨年は、「讃岐一国逆打ち歩き遍路」を体験したのだが、今年は阿波一国を歩いて回るのだそうだ。その案内文書を掲載して欲しいというのである。

 

 作業は30分ほどで終わった。でも、月日のたつのは早いものだ。どんどんと行事が行われて、新しいイベントが企画される。それについていくだけで精一杯になる。

 

  今日の掲示板はこれ。「失敗ではない うまくいかない方法を見つけただけだ」という、発明王エジソンの言葉から。トーマス・エジソンは、誰もが知る偉大なる発明家だが、彼は発明王であり失敗王でもあるといわれている。電球のフィラメントの発明に成功する前に、なん と2,000回以上も異なる挑戦をしていたそうだし、あるときは燃え尽き、あるときはコストがかかりすぎ、あるときは大きな労働力を必要としたなどなど・・・と。エジソンと彼のチームは、膨大な時間を発明に費やした。成功したかと思えば、やはりダメだったり・・・と、気の遠くなるような作業を繰り返したそうだ。実験に失敗すると、めまいを起こしたとさえいわれるエジソンだが、彼は失敗を愛していた。彼曰く、「失敗は、私が求めるものなのだ。それは、成功と同じくらい私には貴重である。失敗を知らずして、成功を知ることはできないのだ。」膨大な時間とエネルギーを費やし、その結果、失敗に終わる。普通は、落ち込み気力も無くなるもの。しかし、それほどまでに大変な過程すら彼は成功への道だと信じていた。「私は、失敗しているのではない。上手く作用しない1万通りの方法を発見しただけなのだ。」と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山高く 若葉きらめく へんろ道

2017年05月08日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたけれど、広い範囲で黄砂を観測していた。気温は16.5度から28.2度、湿度は76%から46%、風は3mから4mの西の風が少しばかり。明日の9日は、気圧の谷や前線の影響で曇り、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。

 

 東かがわ市五名にある「五名トンネル」。ここで、香川県道2号線と国道377号線が接続する。これから先は377号線。

 

 このトンネルの上を山越えで越せる坂道があった。それが「八丁坂」だった。

 

 これが降りてきたところ。このあたりはきれいな道になっているが、今は登れなくなっているという。

 

 そのすぐ前にあるのが「境目(さかいめ)」のバス停。この右上の葉っぱが「いちょうさん」。香川県と徳島県の境目である。

 

 「境目バス停」から少し歩くと、この「両国橋」がある。この橋の左手側が徳島県。右手が「香川県東かがわ市」で、平成の大合併前は「白鳥町(しろとりちょう)だった。だから、白鳥というらしいが、徳島県阿波市も「白鳥」が飛来する町らしい。

 

 風化で字が読みにくいのだが、どうも「遍路墓」らしい。地元の住所ではないみたい。

 

 こういう石碑がいくつかある。これは「大く本・・」と書いてある。「本」は「ほ」という意味で、「大くほ寺」で「おおくぼじ」という意味らしい。

 

 指差しの下に「大く本し」「白鳥」の文字が読める。「本」は「ほ」だから、「大窪寺」-「白鳥」の道ということらしい。ただ、よく見ると、指は大窪寺の方向を指している。

 

 下ってくると、「黒川温泉」があった。お仕事でよく利用したが、今は閉館となっている。障子は破れ放題の廃墟となっている。この右手には市営の「白鳥温泉」がある。

 

 山の新緑や深緑が美しい。

 

 どんどんと下って行くと、山がかすんで見える。これが「黄砂」というものか。

 

 ぐんぐんと気温が上がってきたので、コンビニでこれを買った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こんなすばらしいことを みんなはなぜ よろこばないのでしょう 当たり前であることを」というガンのため、32歳で亡くなった医師、井村和清さんの言葉から。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

井村和清 1947年富山県生まれ。
     岸和田徳洲会病院の内科医として勤務。
     1977年、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断。
     しかし、腫瘍は両肺に転移。
     1979年1月、32歳の若さで亡くなる。
     死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。
上掲の詩「あたりまえ」は亡くなる直前に作られたものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


風が来て 開いたばかりの アマリリス

2017年05月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は18.7度から25.8度、湿度は85%から43%、風は3mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の8日は高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 すっかりと夏色になってきたさぬき市南部の山あいの里。

 

 「お客さんが来られるのだから、裏庭の掃除をやってちょうだい・・・」と奥方の声。五月に入って、あれこれとあったからか、なんだか眠たい気分。

 

 この裏庭には「高麗芝」が張ってあったのだが、10年も過ぎると野生のコケ(苔)が侵入してきて占領し始めてきた。そこへ春先の落ち葉降り注いで、まるで秋の落ち葉状態。

 

 それを「ガンジキ」という熊手でかき集めて掃除をする。

 

 あんまりさっぱりとしていないが、これでもすっきりとした裏庭になった。

 

 夕方、弟の「よっくん」(66)がやってきた。「この連休には、どこっちゃに行かんかったから、行ってもええやろ・・」という電話があって、我が家にやってきた。このあたりの農家は、連休を利用して田植えをすることが多い。

 

 そうなると、三男の「たっくん」(64)もやってきた。四月頭に花見をしてから、その後、飲み会の案内がないな・・と、思っていたら今日になった訳か・・・。

 

 奥方はにぎやかなことが大好きな人だから、「ええ、大歓迎よ」ということで、恒例の飲み会になったということ。

 

 会社をやめて10年近くにもなると、全くゴールデンウィークも連休も関係なくなってきたし、孫たちが大きくなると部活や塾だということで、みんなが集まって何かをするということもなくなった。

 

  今日の掲示板はこれ。「やる前からあきらめて何もしない人は永久にゼロなのよ。」という、林真理子さんの言葉から。胸の中にある「これやりたいな」っていう気持ちや、忙しくて後回しにして、忘れてしまったり、諦めてしまったことってあるけれど、「これだったらできるか も」とか、「じゃあどうやったらいいのかな?」と、少し視点を変えて、自分のやりたいことに一歩ずつ近づいていけるといい。大きな一歩ではなくて、小さな 一歩でいいから、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


藤の花 休みの済んだ 気の重さ

2017年05月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響により概ね曇りで、昼過ぎを中心に雨が降り雷を伴う所があった。気温は18.0度から23.5度、湿度は92%から83%、風は1mから3mの北の風が少しばかり。明日の7日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしいし、また、黄砂を観測する可能性があるらしい。

 

 ということで、昨夜の夕食はこんな風になった。

 

 ヒラメの煮付け。

 

 タイのあら炊き。

 

 タイのお刺身。

 

 スズキの煮付けにタイのタマゴの煮付けにタケノコの天ぷらや煮物などなど。四人が食べても大幅に残った。迷犬ごんのご馳走に持って帰ったけれど、昨夜は娘家族らがバーベキューの残りを与えたので、魚には見向きもしなかった。

 

 今日は孫のハヤテ君と弟のたっくんが本日、帰ってしまうというので、私たちも帰ることにした。ハヤテ君は「弓の練習がしたい・・」というので、廣島神社の「射場」で30分ほど打ち込んだ。ただ、アーチェリーのスタイルだから、なかなかに的には当たらない。

 

 奥方は掃除機を掛けたり、冷凍庫の中や冷蔵庫の中の片付け。みんな、持って帰ってしまう。私らも当分、島に帰る予定はない。だから、冷蔵庫は空っぽになった。

 

 夕方までに帰ればいい・・と言うていたのだが、お昼のフェリーにしようか・・ということになり、10時45分の高速艇に間に合うわ・・ということになり、10時過ぎには家を出た。帰る時には、そうしたものだ。帰るとなると、気が落ち着かない。気分的に窮屈な時間帯。

 

 10時45分発の高速艇「ニュービサン」は海上20分で丸亀港に着く。四人は私の車に乗り込み・・・。

 

 「うどん屋はどこでも行列だから、今日はラーメンにしよう・・」ということで、「徳島ラーメン東大」というお店に入った。「目指すは、ラーメン界の東大」と大きく書いてある。

 

 私は「徳島ラーメン」をお願いした。生卵はサービスだということだが、本当はセット価格なのかも知れない。

 

 うどん屋さんはたくさん知っているが、ラーメン屋さんは珍しいので、「おいしい」を連発しながら食べた。私だけは麺だけで、おつゆは飲まなかった。もったいないが、ドクターストップなんだ。

 

 しわく広島から丸亀港経由で丸亀市綾歌町でたっくんをおろし、坂出市府中を経由して高松市屋島西町でハヤテ君をおろし、残った二人は木田郡三木町経由でさぬき市大川町に戻ってきた。午後2時を過ぎていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人のわろきことは、よくよくみゆるなり。わが身のわろきことは、おぼえざるものなり」。『蓮如上人御一代記聞書』に収められている言葉である。「人のわろき事は、能く能くみゆるなり。わがみのわろき事は、おぼえざるものなり。わがみにしられてわろきことあらば、能く能くわろければこそ、身にしられ候うと思いて、心中を改むべし。ただ、人の云う事をば、よく信用すべし。わがわろき事は、おぼえざるものなる」由、仰せられ候う。

 (現代語訳) 他の人の悪いところはよく目につくが、自分の悪いことは気づかないものである。もし自分で悪いと気づくようなら、それはよほど悪いことだから、自分でも気がついたのだと思って、心をあらためなければならない。人が教えてくれることに耳を傾け、素直に聞き入れなければならない。自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」と、蓮如上人は仰せになられたのである。「他者の悪いところはよく目に付くが、自分の悪いことは気づかない」と蓮如上人は語られている。この言葉のとおり、私たちの眼は常に外に向いていて、それぞれが評論家のように、自分の目の前の出来事や人物に対して、様々に評価を下しているもの。しかし、私の眼球が外は見えても、私自身を見るときには鏡が必要であるように、自分自身のことはなかなか問題にできないのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山つつじ お供えしてある 墓がある

2017年05月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は15.5度から24.8度、湿度は92%から67%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の6日は、気圧の谷や前線の影響で曇り、昼前から昼過ぎにかけて雨が降る見込みらしい。

 

 朝から気持ちの良い初夏の気候で一日が始まった。

 

 孫のハヤテ君が昨夜の夕方の18時前にやってきた。で、なんだかんだの宴会になって、少しばかり眠たい朝を迎えた。島の朝食は味噌汁とハムエッグが定番。

 

 その後、釣りに出かけたが、リールが固まって動かない。竿を伸ばすと折れている・・・と、悲惨な状況。みんな、好き勝手に使って、折ったり割ったり壊したり・・・。自分のものならば大事にするんだろうけれど、他人さんのものは壊しても知らん振り・・・。

 

 気分を変えて、立石地区の「お花畑」を見に行った。広い土地だから草刈が大変だなぁと思った。

 

 孫のハヤテ君は、「アーチェリー部」。私の和弓を見て、「弓を引きたい・・・」というので、神社の射場に行っての練習になった。塩飽の島々では、「百々手(ももて)神事」が盛んだった。お正月に行われる「厄除け神事」だった。で、私も真似事で参加したことがあった。そんな「弓」だった。

 

 弓の練習が終わり、弟の「たっくん」がやってきたので、みんなでお迎えに行った。その留守に、こんなお魚が届いていた。

 

 こんな鯛だった。産卵時期には、藻場にやってくるらしい。だから、おなかにはたまごがいっぱい入っている・・・。

 

 で、お昼はBBQ(バーベキュー)にしよう・・ということで、あれこれと焼いて食べた。昼間から飲むビールもおいしい。

 

 ひとしきり食べた後で、魚の調理になった。これは「海たなご」らしい。おなかの中には目玉がいっぱい。たなごは胎生で、あかちゃんになって生まれてくるのだという。

 

 すると、今度はさらに大物の鯛がやってきた。この大きさはどうだ・・・。

 

 タナゴが二匹、スズキが四匹、ベラが二匹、アイナメ二匹、オコゼが二匹、ヒラメが一匹、そして大物の鯛が二匹。

 

 これらの魚のウロコをとり、内臓を取り出して二枚におろしたり、三枚におろしたり。

 

 冷蔵庫や冷凍庫に入るように切り分けて保存しておく。そんなこんなで、思いがけない一日になってしまった。

 

  今日の掲示板はこれ。「過去を引きずるな 未来を怯えるな」というもの。過ぎ去った過去をいつまでも引きずっていてはできることもできなくなるし、まだやって来ない未来を怯え、恐ろしがっていては前に進めない。過去は過去として忘れ去り、まだやってこない明日をあれこれ考えてみても仕方がない。今日という日を確かなものとして生きて行くことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


はっとして 初夏の息吹を 知った朝

2017年05月04日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響により概ね曇っていた。気温は15.3度から22.9度、湿度は84%から65%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響により午前を中心に概ね曇る見込みらしい。

 

 今日から、丸亀市沖の「しわく広島」に行く・・というので、朝の間は、ホームページの更新やら会計帳簿の更新をやっていた。出かける前の窮屈な時間帯である。

 

 実は、この孫の「ハヤテ君」が予定が開いたから、島の家でのんびりしたいし、釣りもしたい・・・というので、奥方のけいこばぁが張り切って有給休暇をからめて島に行くのだという。今は、高校三年生だからこんなに若くはない。

 

 朝イチで、郵便局で現金を引き出したり、ガソリンを携行缶に買ったりしておいて、

 

 早めの昼食を食べて丸亀港に向かった。途中のスーパーで食材をたらふく買った。奥方は太っ腹だ。私たち夫婦と孫の「ハヤテ君」、それに弟の「たっくん?」の四人の三日分という計算。

 

 で、14時過ぎに丸亀港に到着。荷物をまとめたり、車を移動させたりして、14時半過ぎにフェリーに乗船。15時出航。実にのんびりとした旅である。

 

 いつもは数えるほどの乗客だが、連休ということもあるのか若い家族連れが多い。おじいちゃんやおばあちゃんちに行くのかも知れない。乗用車もたくさん乗せていた。

 

 春の雑草は伸びるのが早い。

 

 今回も連休ということでガソリンスタンドはお休みの筈。そこで、前回に使った「携行缶」に詰めてもらったガソリンを軽トラに充填しておく。島の生活は大変なんだ。

 

 そうそう、今、丸亀城周辺では「お城まつり」が行われている。そこへうっかりと車を乗り込んだために、大渋滞に巻き込まれてやきもきしてしまった。

 

 この家を建てて間もなくのこと、神戸の「紫蘭さん」という人のお手植えの「シラン」が20年たってなお、元気に花を咲かせている。

 

 あたりはまさに初夏・・・という若葉色のオンパレード。いい時期になったもんだ。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「数秒間 「心を空っぽにする」これが人生のコツ」という、「沢庵宗彭(そうほう)」の言葉から。、澤庵 宗彭、は天正元年12月1日から正保 2年12月は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶だった。大徳寺住持を務めた。諡は普光国師(300年忌にあたる1944年に宣下)。号に東海・暮翁などがある。一般的に、沢庵漬けの考案者だと言われているが、これまた諸説あり。(Wikipediaより)

 目的が決まっている事ばかりしていたら、すぐに気持ちが詰まってしまいかねない。自分に、気ままに行動する事をやってみたいもの。すぐに、目的のない事をやる中に、実は大きな目的が潜んでいる事に気づくはずである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 花を巡って 夏の汗

2017年05月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で概ね曇りとなっている。気温は14.4度から22.3度、湿度は86%から63%、風は1mから5mの東南東の風が一時は強かった。明日の4日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 世の中は大型連休だ、ゴールデンウィークだと賑やかだけれど、毎日がシルバーウィークな私にとってはまるで別世界。で、今日はここに行って来た。四国霊場88番札所前にある「八十八庵(やそばあん)」のシャクナゲ園である。

 

 ここに入るには、整理券のような「入園券」が必要。これは、この八十八庵で無料で頂ける。でも、マナーの悪い人はいるもので、券も持たずに大きなカメラや三脚をかついで数人が入っていったりする。

 

 で、ここに入れるだけ。この右手の茶店のおねえさんが見るともなくチェックしている。ま、よそさまのお花畑に入らせていただくのだからマナーだけは守りたいもの。でも、入っていった人よりカードははるかに少ないなぁと思う・・・。

 

 ようやく、シャクナゲ園かと思えば、これからずっと上の斜面上にシャクナゲは咲いている。

 

 私は心臓が悪いから上り坂は皆目弱い・・・。息を弾ませながら、這いつくばりながら昇っていく。

 

 で、いい加減なところから降りてくる。

 

 とてもじゃないが、一千本ものシャクナゲを見ることなんぞできない。雰囲気だけで十分。

 

 若い頃、福島県の「アルペンローズ」という電子掲示板(BBS)の仲間と知り合って、何回か、福島を訪問したことがある。そのときに、「石楠花(しゃくなげ)」という言葉を覚えた。

 

 その後、大窪寺境内、大師堂脇にある藤棚を訪ねた。

 

 ここにはツートーンの藤が見られる。スマホを構えるお遍路さんも多い。

 

 お大師堂の正面にはボタンの花が咲いている。

 

 色も大きさも違うボタンの花が満開状態。

 

 あたりは新緑に包まれた大窪寺だった。

 

  今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も、思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


藤の花 洗濯物が よく乾く

2017年05月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.4度から21.5度、湿度は88%から48%。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 「びでおちゃん、タケノコがもうないから、木村株式会社でタケノコ掘って来てね」というメモを残して奥方は会社に出かけた。山の旧宅に行くと、サルがタケノコを食べ散らかしている。

 

 それでも、10本ばかりのタケノコを掘って来た。

 

 早速に皮をむいて、お鍋二つで湯がいておいた。

 

 昨日の今日で、amazonさんが、これを買え買え・・と言うのだが、決してお安くない大人のおもちゃ。今更、これを買ってもねぇ・・・。

 

 そうそう、昨日の5月1日で、私のブログ開設から4,400日目になった。要するに、10年と一ヶ月・・・といったところ。さほど重要な記念日でもない。

 

 9時半からは、ここに出かけてみた。高松市西植田町にある「藤尾神社」である。むろん、お参りや腹水が治りますように・・というお願いではない。

 

 「藤尾神社」というくらいだから、ここにはたくさんの藤の木がある。「飯田の岩田、西植田の藤尾」というくらいに、このあたりでは有名な藤棚のあるところ。

 

 このようにして、次から次へとやってきてはスマホで写真を撮ってから帰って行く。神社などには足を向けない。

 

 「どうや・・・」と、ドヤ顔している藤の木である。藤の名所として知られる藤尾神社だが、標高136mの山全体が自然環境保護特別地域に指定され、藤や樫の木・もみじのほか古木がたくさん残されて、讃岐百景にも指定されている。また、神社会館の横からの展望は讃岐平野が見わたせ絶景である。

 

 藤尾八幡神社の境内案内板によれば、この社名は、昔藤尾八幡宮と称し、一般には「藤尾さん」とも呼ばれており、応神天皇をお祭りしている。ここ植田は、早くから開田したことからお宮の創立も古く、天保の宮記録には「養老」とあり、また「天平」と書いた本もあるが、讃岐の先賢故松岡調氏は「神代の創立であろう」と語ってる。藤尾山は標高約136メートルあり、お山のことを「神奈備山」(神社の意)と申し、お山がご神体のため拝殿はあるが本殿はなく、お山に登るときは神職でも水を浴びて身体を清めなければならないとされてきたらしい。

 

 境内の若葉がきれいだなぁと眺めたことだった。

 

 ランクは違うが、我が町にある「南川のふじ」を見てきた。すっかり樹勢をなくし、枯死寸前。

 

 それでも、かろうじて花を咲かせていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生いい時もあれば悪い時もある 悪い時にはもうこれ以上悪くならないし、辛い時にはちょっと我慢していれば大丈夫」というもの。岡崎朋美(本名:安武朋美【旧姓:岡崎】1971年9月7日 )は元スピードスケート選手。都留文科大学特任教授長野オリンピック・スピードスケート女子500メートル銅メダリスト。所属は富士急行。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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