まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

曼珠沙華今を生ききる夢をみる

2020年09月15日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるらしい。気温は19.5度から27.3度、湿度は86%から64%、風は1mから3mの東の風がそよぐ程度。明日の16日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけては雨の降る所がある見込み。

 

 103/57/80 36.2c-94% 60.8Kg 25.2c-64%-1013hPa 相変わらず変化はない。

 

 今朝は奥方がお休みだから、と朝食は7時過ぎから。お皿の黄色い丸いものは冷凍ミニトマト。冷凍すると皮がくるっとはじけるのだそうな。だから、まだ凍ったまんま。

 

 私は相変わらず、朝の4時半から闘病記の推敲やら校正やら。『不思議な区分・・・』とあるのが、何の区分なんだろうかなぁとしばらく考えていたら、『不思議な気分・・・』だと気がついて一人で嗤ったりする。

 

 これが本文である。一昨年の論文を下敷きにしてある。それを今年風に書き直してある。最初は論文調だがすぐにブログ風になってくる。本文はブログを抽出しながら書き進める体裁になっている。

 

 このような書き出しで始まっている。

 

 奥方は野菜畑の除草や古い野菜の枯れ木や枯れ草を片付けたり、畑を耕して、あたらしい種を植え付けている。私はそういう趣味はない。生き物を育てるとか植木を植えるとかという趣味がないのだ。

 

 で、お昼は近くのラーメン屋さんに行こうと出掛けたが、あいにくとここは定休日。行きつけのうどん屋さんにも行ってみたが、そこも定休日。それではと、中華料理店にも寄ってみたが、あいにくとそこも定休日。「休みの日くらい、外食させてよ~」と、ぶつぶつ。

 

 「じゃぁ、じゃぁ、あそこ!」と、ファミレスに行ってみた。ここは定休日はないはずだと行ったのだけれど。いきなり、「マスク、お願いしています。」「アルコール洗浄もお願いしていますから」と小うるさい。

 

 「タブレットのあるお席にお願いします」というので、座ったのはいいが、どうやるかわからない。私は自分のタブレットは操作できるが、こういうものは手が出ない。奥方がウロウロと触っていたら、

 

 私にはこんなものが、奥方はネギトロ定食が二人分も。どうやら操作を間違えたらしい。「でも、お客様がリクエストされて、注文履歴に残っていますので」と、奥方は一つをテイクアウトする羽目に。おら、知らないっと。

 

 明日からは天気がくずれそうだからと、私の部屋のお布団を干したり、

 

 となりの和室のお掃除をしたりと、まるで主夫みたい。奥方は昼食を食べるとお昼寝をする習慣がある。「だって、わたし、働いているのだもの」と葵のご紋を出すのだからたまらない。どうせ、私は働いていませんから・・・

 

 午後からも闘病記の微調整・・・。どうでもいいようなことを書いたり消したり直したり・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは悦び。一日一日を大切に精いっぱい生きる。何があっても前向きに生きる。それが私の人生の心得」という宮本亜門さんのことばから。普通、”よろこび”と書く時は、”喜び”を使うものだが、ここでは”悦び”が使われている。どんな違いがあるんだろうと、<Bingって>みると「喜び」は一般的に使われるようだが、外発的のようだ。外からの刺激を受けて喜ぶということらしい。この場合の「悦び」の方は、内発的のようで、自分が満足しているかどうかの話らしい。人生を語るっていうのは自己の内面の話だから、”悦ぶ”の方がいいのかも知れない。ま、それはそれとして、一日一日を大切に精いっぱい生きる。というのは私の生き方の目標でもあるので、当たり前のようなことばだけれど、あえて、ここに掲示しておく。注(最近、ググると「寄付をお願いしています」とかと小うるさいから、Bingを使っている)

 

じゃぁ、また。明日、逢えたら、いいね。


ススキの穂どう生きるのかを問うてみる

2020年09月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21.0度から26.4度、湿度は80%から64%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 84/53/78 36.3c-93% 60.6Kg 24.7c-66%-1014hPa 全く体調に変化はない。

 

 今朝の朝食である。朝食が待ち遠しいというのは元気な証拠かな。朝の4時半と言えばまだまだ暗いが、それでも起きればお仕事はいくらもある。それをこなしてからの朝食である。朝食がパンのおうちの「お仏飯」はパンでもいいですよ・・という話は聞いたが、そういう習慣は我が家にはない。お昼にはご飯が炊けるので、お昼に「お仏飯」をお供えしている。

 

 本の体裁上のことなんだが、「はじめのことば」を1枚にするか2枚にするか、つまり、表・裏の二頁にするか、表だけにするか、表・裏の見開きにするかは、その本の時のイメージに合わすことになるし、両面印刷にするか片面印刷にするかでも違ってくる。今回は1Pを2Pにすることにした。

 

 9時になったのでお出かけをする。昨日の敬老事業費の件の報告書を市役所に返送しておく。忘れない間にしっかりと。また、「まほちゃん口座(第二口座)」から現金を引き出して銀行さんへ振り込んでおく。表口座は詐欺被害を防ぐために少額ずつしか置かないようにしてある。

 

 JAさんでは、昨日の「山の神さん」のお賽銭を自治会口座に入金しておく。みんなのお金だから忘れないように素早く処理しておくことだ。その後、「社協(社会福祉協議会)」へ、秋の一日訪問予定者や、年末訪問の予定者などを報告しておく。忘れないうちに確実に処理する。

 

 それから銀行さんに寄って通帳記載やら支払い確認などをやっておく。ご隠居さんでもなんだかんだの雑用が多いのだ。

 

 で、プロトタイプ、テスト版の印刷テスト。右からカラーの両面印刷、つぎにカラーの片面印刷版、ついで左にモノクロの両面印刷、左端がモノクロの片面印刷版。こうしてページあわせや体裁確認をする。こうして、どれが一番見やすいか読みやすいかを比較検討する。

 

 カラーの両面印刷だと、こういう感じの仕上がりになる。その分、薄っぺらな本になってしまう。表紙だけを厚い用紙に印刷してみようか。などと。

 

 今日もカレーなんだと。奥方はメニューに困るとカレーにしてしまう。だから、今日もサンマの味噌煮と野菜たっぷり・おろしカレーうどんにした。野菜サラダ付きである。

 

 夕食もカレーと肉じゃがだとメモ書きにある。今夜も帰りが遅いのだそうだ。奥方元気で留守がいい。

 

 朝夕はめっきりと涼しくなってきて、ススキやリコリスが元気になってきた。でも、朝は長袖、昼間は半袖、夜になったらどうしよう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「「なぜ生きるか」と悩むよりも、「どう生きるか」を考えて行動する。」というもの。後は余分だ。「人はなぜ生きるのか」、「わたしはなぜ生きるのか」と問う姿勢も尊いが、そんなことよりも、「人はどう生きるのか」「私はどう生きるのか」を問うべきではないかと小宮さんは言う。船はなぜ走るのかと考えてみたら、さまざまな答えが出るだろう。でも、船はどう走ればいいのかを考えてみたら、目的港、母港を目指して走ればいいのだと見えてくる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


凜として生まれて伸びて曼珠沙華

2020年09月13日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は25.0度から29.1度、湿度は94%から68%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、朝から昼過ぎにかけては湿った空気の影響で曇る見込みなのだとか。

 

 101/56/78 36.1c-96% 59.8Kg 24.5c-70%-1010hPa 身体はなんともない。これまでの、あのおなかの張りはなんだったんだろうと思う昨今。まるでおなかの中に宇宙人でも住み着いたのではないのかと思える毎日だったが。

 

 4時半起きで6時から朝食。充分に時間はある。6時半には我が家を出て「山の神さん」に向かう。

 

 みんなで境内や参道の落葉かきをする。ここには不思議と雑草は生えない。落葉だけを集めたらきれいになる。さっぱりとする。

 

 「村の総出で」と言っても、これだけだ。自治会の総会員が9軒、うち1軒は足が悪くて参加できない。そこで8軒、8人での掃除と秋祭りだ。ここに並んで居る石積みがあるが、拝殿跡の礎石である。ここができたのは文化文政年間 (1804~30) で、江戸幕府 11代将軍徳川家斉が、将軍職を家慶に譲ったのちも大御所として幕府の実権を握っていたころである 。

 

 娯楽のない時代には人々の信仰心も厚く、ここでお籠もりしては日常の憂さを晴らしたり情報交換をしていたらしい。今、ここにいる人たちは、ここが何であるのかさえ知らないで育ってきた。

 

 7時集合が、6時半には集まってお掃除を始めて、7時には祭礼も終わった。祭礼たって、長老が代表して二礼二拍手一礼しておしまいである。形ばかりに「洗米」と「塩」をつまんで「神酒」を少しばかりいただくばかり。それが終われば解散になる。あっさりとしたものだ。

 

 私は、さぬき市から振り込まれた金額で、市の商品券を買って、それを80歳以上のお年寄りにお届けする。500円券が三枚入っている。

 

 それを、私なりに和紙で包装しておいた。それを三軒の三人にお渡ししてきた。

 

 帰ると早速に実績報告書を作成して送り返す準備をする。なにせ、公金だから収支報告書やら領収書の添付が義務付けられている。我が集落は少なくていいが、大きな自治会になると数十人にもなるらしいので大変だろうなぁとは思う。

 

 今日もあっさりとサンマの味噌煮とおろしぶっかけうどん小の冷やである。今日は炊飯器がご飯を炊き上げる前におうどんを食べてしまったので、ご飯ものはない。だから、夕食は早めの16時半過ぎになる予定。今日も奥方は「日勤」で帰りが遅い。

 

 来週は土地の神さん、田んぼの神さんの「地神(じじん)さん」の秋祭りで、2班が当番である。私はさぬき市の広報「さぬき」を配って、下半期の会費を集金する日になっている。

 

 午後からは「闘病記」の最終チェックの段階。「結論」「まとめ」も書き上げた。

 

 ということで、表紙もデザインできた。発行は10月10日。医大付属病院の看護師さん二人と、県立病院の内科担当のドクターとの三人だけに作るもの。私には下書き・校正用しか残らない。そういう「非売品」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「おこないはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない。」という「勝海舟」先生の言葉から。これは維新後、新政府の要職についた勝や榎本を福澤諭吉が「痩(やせ)我慢の説」という著書で批判をして、二人にその著書を送りつけた。その時に、勝が福澤諭吉への手紙で述べた言葉である。原文は、「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分はあずかり知らぬことと考えています)ということ。江戸開城を止めるために、上野のお山で彰義隊は命を捨てて戦っている最中、福澤は御殿山からその戦いを自分の弟子と一緒に傍観していたらしい。勝にすれば、「お前も曲がりなりにも武士だろう。命を懸けるほどの仕事をしてみい。学者気取りで偉いもんじゃなあ」というのが勝さんの本音だったものと思われる。批判をする方は簡単である。勝手なことを言っていればいいのだから。でも、批判されるほうは堪ったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。 


朝冷えに逃げるとんぼを追ってみる

2020年09月12日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降るが、夕方からは曇る見込み。雷を伴う所があるらしい。気温は23度から29.9度、湿度は88%から66%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで断続的に雨が降るらしい。雷を伴う所もある見込み。

 

 118/76/78 36.4c-96% 59.8Kg 24.6c-73%-1010hPa 体調に大きな変化はない。呼吸苦もなければ、おなかの張りもない。

 

 今朝も4時半からデスクワーク。例の闘病記も仕上げ段階で、校正も兼ねながら文章の推敲中。

 

 午前6時からが朝食タイム。今日は奥方は日勤だから18時半過ぎに帰宅予定。私の夕食は17時。お先に食べておくことになる。あの黄色い丸いものはトマトだという。あまり、おいしいものでもない。

 

 さてだ。約束のしめ縄は今日が締め切り日。天候は悪そうで稲の乾燥具合はまだまだ。それに稲穂がついたまんま・・・。この稲をどうしようかと思案中。

 

 うだうだと言うてないで実行実行。指で一本ずつしごいて脱穀する。稲穂を指で挟んで、しごいて稲を下の桶の中に落としていく。気の遠くなるような作業だが、やらないとしめ縄は作れない。途中、当番さんが会堂の鍵を採りに来たが、「大変やね」と言ったきりで「手伝おうか」とは言わずに帰って行った。誰も当該者でないと、この苦労はわからないし、自分の仕事だとは思わない。

 

 雨がぽつりぽつりと落ちてくるが、本殿の分くらいは作っておかねば・・と、とりあえずなわないを始める。ロープを作るのを「縄をなう」という。編むのでも組むのでもなくて、縄を「なう」のである。これが簡単なようでなかなかにこつがいる。

 

 雨が落ちてくるのだが、家の中ではゴミがするから外でやる。1mのロープを2本作った。本殿用と脇殿用だ。ものはついでだと、しめ縄柱用の4mのロープを作ってみた。

 

 去年のものと比べながら長さを足していく。4mで良いのだが6mくらいにはなっただろうか。長いのは短くできるが、短いものは長くはできない。

 

 こうして1時間ほどで、縄ができた。でもまぁ、なんと不細工な縄だこと。

 

 今度は、縄のヒゲを切る。ぴんぴんとした継ぎ穂や葉っぱの残りなんぞをハサミで切り落としていく。ライターのある人はライターの炎で焼くこともある。

 

 こうしてヒゲ掃除をすると、それらしくなってきた。これに「七本」「五本」「三本」のわらを垂らす。それ用のわらも作っておいた。それは明日、現場でわらに挟み込む。紙垂(しで)も当日に現場で飾り付ける。御幣もすでにできている。これで、私の宿題は全て完了。大きな雨にあわずに作業完了できてほっとしている。

 

 これが私の新しい「クラッチ」である。皆さんがお勧めの「ライトグリーン」にしたが、なんだか安っぽくは見えまいか。黒い方が重厚感はあったような気がする。ま、助手席の飾りに置くだけだから大丈夫と言えば大丈夫。まだ、これが必要なほどには不自由はしていない。だて眼鏡ならぬ「伊達ステッキ」である。

 

 奥方は困ったら「カレーライス」である。だから、今日は「野菜たっぷりカレーうどん」にした。野菜サラダ付きである。

 

 今日の掲示板はこれ。「追えば逃げるぞ赤とんぼ 待てばとまるよ竿の先」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。幸せもお金も地位や名誉も健康も・・・そんなものかも知れない。追いかけている間は手に入らないが、ふっと、無心になったときに、「あ、ここにあったのか・・・」みたいにすぐそばにあったりする・・・。あのしあわせの青い鳥も、探している間は見つからないが、我が家に戻ってみれば、そこにいたりする。しあわせも似たようなものかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


そぼ濡れて一雨ごとの涼しさや

2020年09月11日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で昼過ぎにかけて雨が降ってきた。気温は24.0度から26.8度、湿度は92%から80%、風は1mから4mの東の風が一時は強かった。雷も時々鳴っていた。明日の12日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、夕方は雨が降るらしい。明日も雷を伴う所がある見込み。

 

 116/64/78 35.8c-96% 59.6Kg 25.4c-78%-1013hPa 体調は安定している。

 

 今日の朝食である。パンが切れたからと、今日はおむすびになった。「だから、お昼はおそうめんだけよ!」と言われた。多分、「これでご飯はおしまいよ、だからお昼はおそうめんだけしかないのよ」という意味らしい。で、自分は職場の仲間とランチ会に行くのだそうだ。ふ~ん。

 

 で、朝の間は「部外秘」のお仕事。誰も来ない間にお仕事を済ませておく。

 

 なんだかんだとの調査もの。お役所仕事は変わらない。私は平社員ばかりだったから、こういう作業の毎日だった。それを退職したのに、いまだに、そういうお仕事に追われているのだから皮肉なものだ。

 

 お友達の「大塚先生」が心配してはったが、今年の赤い羽根は紙のシールではなくして本物の赤い羽根である。多分、一戸あたり、一世帯あたり800円の募金になるらしい。募金だからいくらでもいいと言えばそれまでだが、それでは収拾がつかないから800円になったのかも。「知らんけど・・・(笑)」

 

 裏はやはりシールみたいになっている。針が危ないとかケガをしたとか云々あったのかも。知らんけど・・。

 

 で、今日も闘病記の仕上げ段階。原因の追及から問題点の抽出、対策の実施・検証まで来た。その証明もできた。後は結論、感想、評価・・・。

 

 だんだんと闘病記の形ができあがってきた。

 

 今日のお昼は、オーソドックスにすなおなおそうめん。おろしショウガも入れてある。

 

 表題も写真も入れ替えてみた。小難しい論文調の表題はやめにした。これは”ビーバー”という動物らしい。

 

 お昼前から雨になった。

 

 せっかく干して、いい塩梅になってきたのに濡れてしまった。これでは今日のお仕事にはならぬ。明日中には6mもの縄をなわないといけない。しめ縄作りは明日に回そう。

 

 今日の掲示板はこれ。「「できない」と「やらない」を混同しない」という大塚全教さんのことばから。大塚全教さんは大正7年広島生まれ、4歳で小児麻痺を患い、両手の自由を失い、昭和14年、大石順教尼に弟子入りした。
ご両親の心からの介抱で6歳には歩けるようになるが、両手は動かなかった。しかし、左手は肘から先は感覚が戻る。小学校に通うことはできたものの、その後は家で鬱々と暮らすうち、漠然と死を考えるようになった。そんな時、ひとつの新聞記事を見つける。両手のない尼僧が身体の不自由な人を引き取って絵を教えているという記事だった。口に絵筆をくわえて絵を書いている写真も載っていたと言う。その人こそ、明治38年に大阪の遊郭で起きた一家五人惨殺事件で、養父に両手を切り落とされた大石順教先生だった。
全教さんは順教先生に便所掃除を頼まれる。しかし、両手の使えない全教さんは「できません」と答える。順教先生は井戸に連れて行き、背中でポンプを押し上げ、脇に挟んで押し下げてみせる。しかし、勢いがないので、水はポタポタとわずかしか出ない。でも、水は汲める。次はバケツの水を運ばなければならない。左手の肘から先しか動かず、力が弱いため、持てるだけの水がバケツの底にたまったところで運び、便所にもうひとつバケツを置いておいて、それにあける。それをくり返すことによって、バケツ一杯の水が運べることを教わる。「あなたはできないと言うが、できないのではなくやらないだけ。やらなくてできるはずがありません。人間、やればできないことはない。できないとやらないを混同してはいけませんよ。」順教先生の言葉が身にしみて、目の前がパアッと明るくなったそうだ。私たちはとかく面倒なことは「できません」と逃げる。しかし、どうしてもやらなければならないことからは逃げられない。どうにかしてやらなければならないこともある。今の私だってそうだ。しめ縄を作れと言われて「できません」と言える間は良かったが、どうにも逃げられなくなると「やらなくてはならなくなる」。「できない」と「やらない」を混同してはならない時もある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


稲を干す束の重さの実りかな

2020年09月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている時間帯があった。気温は23.0度から29.7度、湿度は88%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、引き続き前線や湿った空気の影響で断続的に雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけては、雷を伴う所があるらしい。

 

 102/54/79 36.2c-96% 59.6Kg 23.8c-63%-1012hPa 全く体調に変化はない。食欲もあるし、歩けるし、階段も昇れる。息切れもないし動悸もない。

 

 今朝の朝食である。特段の話題があるわけではない。今夜も遅出だから先に食べておいてねという伝言メモのみ。若い頃から一人には慣れている。

 

 さて、午前9時になったから、隣町にある商工会の事務所に行ってきた。ここで「さぬき市共通の商品券」を買う約束をしてあった。こういう商品券がまだあるんだなぁと思いながら、これもお仕事の一つである。

 

 「敬老の日」というものが、今月の21日になっているようであるが、最近は行政による「敬老会」というものはなくなったらしい。いつごろからなくなったのかは知らないが、その「お祝い」ということでさぬき市から補助金が出る。それをお年寄りに配分するものらしい。この自治会では該当者が三名である。

 

 それが終われば、今日もJAさんの口座から預金を引き出してきた。「赤い羽根共同募金」である。自治会から各家庭にも募金が行われるが、今回は民生委員・児童委員としての募金である。

 

 ということで、民生委員分を社協(社会福祉協議会)に納めてきた。これは大川民児協の会計担当のお仕事である。

 

 これが、今年の「うどん県」の記念章である。今年はしっぽくうどんがデザインされている。

 

 自宅に戻ると会計帳簿の記帳をやっておく。あいだを空けると忘れてしまうのだ。物事をその場、その場で片付けないと忘れてしまうという年頃である。

 

 こちらが「大川地区民協」の会計帳簿である。昨日の「災害支援金」と、今日の「共同募金」の出費を記帳しておく。高校生の頃に「商業簿記3級」は受かったが、そういうものは役に立っているのかいないのか。

 

 その後は、この日曜日に「山の神さん」の例祭日なので、その準備である。私は「御幣」と「しめ縄」の当番である。当番というか専属みたいになっている。御幣を切ったり「紙垂(しで)」を切ったりする人もいなくなったし、しめ縄をなえる人もいなくなった。私だってできないのだが、YouTubeやホームページやらを参考にして作ってるだけだ。この竹を探してくるのも大変になった。

 

 近所のおじさんが稲を刈り取って持ってきてくれた。それが昨日のことだ。昨日からは曇や雨で、稲は乾かない。こんな状態ではしめ縄にはならない。ましてや稲の穂がついたまんまだ。それくらい、なんとかして欲しいもの。おじさんだって当番なんだから、自分のこととして考えてくれたらいいのにと不平たらたら。

 

 その山の神さんに行ってきて、しめ縄の長さや本数を確認してきた。この「しめ縄石」用が4m、正面の本殿が周囲1m、その隣の脇殿も1mという寸法だ。短いのは下手でもなんとかなるが、この4mというのは難しい。同じ太さにしないと見栄えが悪い。藁をねじる力がバラバラだと蛇がタマゴを呑み込んだみたいになってしまう。

 

 今日はしめ縄はできないから、「紙垂(しで)」と「御幣」を切っておいた。できることからコツコツと。小さなことからコツコツと。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生というのはものすごく大きな碁盤みたいなもので、最後の最後に石を置くまで勝負は分からない」という、上智大学の渡部昇一さんの言葉から。「80歳を過ぎてつくづく思いますが、人生というのはものすごく大きな碁盤みたいなもので、最後の最後に石を置くまで勝負は分からない。渡部昇一(上智大学名誉教授)『致知』2010年10月号 特集「一生青春、一生修養」から。
 碁は、高校生の時に、ほんのちょっと齧っただけだが、最後に並べ替えてみて、ほんの一目、半目の差で、勝ち負けが決まることがあるもの。物事も人生も、最後まで分からない、どんな環境になろうとも、あきらめる必要はない、ということである。私も何度かの命の危機を迎えたが、それが何の弾みかで、まだ、こうして生きている。「おまえは”死ぬ死ぬ詐欺だ”と言われたことがあるが、私が死を選べるわけでなく、私が「生」を選択した訳でもない。最後の最後の息を吐き終わるまで勝負は分からない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


オクラ咲く明るさの元過去の夢

2020年09月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨や雷雨となる見込み。気温は23度から26.9度、湿度は94%から68%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 106/46/79 36.1c-95% 60.8Kg 25.1c-69%-1014hPa 体調は安定している。おなかの張りは全くないし、身体が重いということもない。歩くのに支障もない。

 

 今朝の朝食であるが、いつものように話題性は全くない。左のコップに入っているのは肝臓用の煎じ薬である。効き目のほどはまだわからない。

 

 午前中は「遅れた夏休みの自由研究」である闘病記。だんだんと形になってきた。今はまだ「現状把握」の段階。「問題点の抽出」もやや形になってきたところ。

 

 今日は民児協の定例会があるというので、先日の災害の見舞金を通帳から引き出しておいた。各民生委員から徴収するのだが、それも面倒だというので「会費」から支出するもの。よくアルパターンだ。

 

 ついで、今度は自治会のお財布から「敬老会の事業費」ということで、これまた預金から支出をした。これはさぬき市からの補助金を使うもの。

 

 暇なときにはヒマなのだが、用事が入り出すとどんどんとお仕事が入ってくる。明日もここに来ないといけなくなった。

 

 今日のお昼は、温泉タマゴ入りとろろそばとチラシ寿司である。味わう間もなくお出かけする。今日は第二水曜日ということで、民生委員の定例会である。

 

 民生委員と一口に言っても、おとなりの東かがわ市の民児協とはまるきり違うお仕事をやったり、イベントをやったりする。同じさぬき市内でも、私らの「大川地区民児協」とお隣の「寒川地区民児協」も違った活動をしている。だから、一概に「民生委員」というひとくくりにはならない。

 

 私たちの大川地区民協は毎月第二水曜日の13時半から始まるが、よそさまとダブルことはない。同じさぬき市でもそれぞれの活動になっている。

 

 で、この時期だから、「赤い羽根共同募金」が大きなお仕事になる。赤い羽根共同募金も、それぞれの自治会単位で募金活動をし、それぞれの団体で募金をし、それぞれの企業や商店からも募金をするから、お金を出す方はたまったものやない。それを承知で募金をお願いに行くのだから、これまた大変だ。

 

 その集まった募金の中から、「ひとり暮らし老人」や「痴呆症の介護をされている人」とかに配分金をお渡しすることになる。その方の調査もまたお仕事になってくる。そして早くも「年末訪問」の調査までがやって来る。

 

 それらを聞き流しておいてから、我が家の空き缶回収の準備である。毎月、こうした袋が5つから7袋くらいあったのだが、空き缶を圧縮して潰すようになってからはこんなものになった。もっとも、私がビールを飲まなくなったせいもあるし、最近は来客も少なくなったせいもある。

 

 いつもは、このコンテナ三箱分が我が家の空き缶だったのに、今月は我が家の空き缶を入れても、この緑の袋の半分にもならなかった。圧縮すると言うことはすごいもんだと納得した。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分には人間だものと言い、他人には人間のくせにと言う」という、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。言い訳をするときに、自分には、「人間だもの」と言い、他人を責める時には、「人間のくせに」と言う。車いすの人を「障がい者」と言い、メガネをかけた人は、「健常者」と言う。足と目の違いだけなのに。松葉杖の人を「障がい者」と言い、ペースメーカーを植え込んだ人は「健常者」だと言う。見えるか見えないかの違いだけなのに。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


コスモスや火曜三時の宅配便

2020年09月08日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は24.5度から32.0度、湿度は86%から52%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の9日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、雨の降る所があるらしい。

 

 102/55/78 36.2c-96% 59.4Kg 27.6c-68%-1010hPa 今日も元気だ麦茶がうまい。

 

 今朝の朝食である。このキュウリは奥方の育てたキュウリである。サルにもカラスにも食べられずに残ったものらしい。我が家では貴重品だと、奥方は鼻高々である。

 

 今日は親戚のお葬式に参列してきた。しかしのかかし、お寺や仏教のことを書くと、あれこれと言う人が増えるのでこれには触れない。

 

 で、相変わらずの闘病記である。左の画面はブログから抜き出した闘病記だが、これでは、画像の右側が空白のままになる。そこで、右の画面は、右にテキストを流してから画像を貼り込む手法に切り替えた。つまり、最初から書き直している訳だ。この左の画像を、マウスでコピーしてきて、右のテキストボックに貼り付ける作業をやっている。もちろん、マウスは一個だし、キーボードも一個である。

 

 「暇な人やなあぁ~」と言うかも知れないが、どうせ人生は暇つぶしだ。そのヒマをどう潰すかが人の生き方だ。食べて寝て、それで終わりの人もあれば、あくせくあくせく働いて、それで終わりの人もある。

 

 一昨年の夏休みの自由研究は、「胸水滞留による心不全症候群に関する対策と社会民俗学的考察」だった。ところが、昨年から今年に欠けての入院で、全く胸水には関係がないと知れた。そして、全く心臓には関係のない「尿道閉塞」が原因だと突き止めて、外科のドクターにオペをお願いした。で、今がある。

 

 今日のお昼はこれ。塩鮭と椎茸のそうめんである。別に深い意味はない。たまたま、目の前にあったものを並べただけだ。

 

 今日はさぬき市の防災無線の電波試験の日である。名前がしっかりと「防災無線」とうたってあるのに、私は有線で、近くの電話柱から電話回線で放送するものと思い込んでいたら、「そこの地点では電波が通りません」と言う。そこで、もっとも電波状態の良い地点を選ぶことになったのだ。やはり、有線屋は有線のことしか頭にはないみたいだ。

 

 で、「ロフストランドクラッチ」の契約である。これは「デモ用」ということで、使用感を確かめるもの。これも、歩き慣れたら便利なものだ。

 

 これは、こうやって使うもの。この微妙な角度が有効なのである。妙な安定感がある。

 

 で、この「ライム・グリーン」を買い取りにした。レンタルだと月に100円らしいが、面倒だから現金買い取りにした。これは、デモ用とは少し違って、腕輪が半分しかない分、少しばかり軽くなっている。

 

 闘病記のメインになるお話はまとめることができた。これからの「考察」が難しい。医者が投げ出したものを、どうやって医学のお話にまとめられるのか。医者の悪口や批判や批評にならぬようにせねばならんし・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「満ち欠けに一喜一憂するわたし お月さまはいつもおなじだよ」というもの。昨年のAnカレンダーから。Anカレンダーというのは、「美馬ひろみ」さんが毎年発行しているカレンダーである。とかく私たちは物事の一部部分だけを取り出して、ああだ、こうだと言いたいもの。全体を眺めていれば、少しも変わったところはないのに。似たような言葉に、「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」というものがある。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だといわれている(東京都神社庁『生命の言葉』三月)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


酔扶養通夜に行く道揺れる花

2020年09月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は27.0度から33.5度、湿度は82%から64%、風は8mから1mの東南東の風が一時は強かった。明日の8日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 116/63/79 36.2c-96% 60.6Kg 27.2c-74%-1003hPa 体調に変化は全くない。

 

 普通の平凡な朝になった。取り立てての話題もない。毎日毎日のルーティーンである。

 

 で、相変わらずの闘病記である。お世話になった香川医大付属病院の看護師さんに、「元気になったよ」というお礼を言いたいために、そのお土産としての闘病記を急いでいるのだ。

 

 こういう誌面は、ブログをコピペ(複製して貼り付けて)したものだから、画像の横の空白が気になってならない。でも、これを最初から作り直すとなると、これまた大変だ。

 

 あれこれとやりながら、試作版を作ってみた。全体の流れとか、全体を通しての体裁のあれこれとかを眺めるために。

 

 こうして、表紙もできあがったし・・・、

 

 今のところ、ページ数は100ページほど。両面印刷すると半分になる。もう少しページ数が欲しいところだ。

 

 すっかりと秋の空になってきたが、昨日の雨のせいか、妙に生暖かくて蒸し暑い感じがする。

 

 今日もカレーうどんになった。温泉タマゴ付きである。最近はバッタかキリギリスみたいに野菜を食べる。

 

 魚やお肉はアレルギーがあって湿疹が出ると・・・と思うと、簡単には食べたくない。ただ、それだけのことで深い意味はない。

 

 午後からも似たような作業をやっていたが、なかなかに納得できるものにはなりそうもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の辞書から次の言葉を消す。「ねばならない」「べきである」あなたは誰に対しても「ねばならない」負い目などない」というドミニック・グロシューの言葉から。ドミニク・グロシューは、仏ルーアン商業高等学院卒。情報通信とメディア論のDEA(専門研究課程修了証書)を持つ。’80年代に実業家として、またベストセラーとなった『ボス・ジェネレーション:成功するための方法』の著者として一躍時代の寵児となるが、交通事故に遭い数ヶ月の昏睡状態とリハビリを経験して人生観が一変。経済効果至上主義を捨て、新しい幸せの方法論を伝える本を、多数執筆している。邦訳されている著書に『バラ色の人生の送り方』(KKベストセラーズ)、『幸福の予感』(PHP研究所)などがある。『強い組織をつくるための小さなヒント』より

 今年の春、香川医大付属病院に60日ほど入院したが、「前にはこうしてくれたのだが」と言うと、「前は前です。今日はこうしますから」といい、「先の看護師さんはこうしてくれたんですが」と言うと、「私は私の方法で看護しますから」という。「でも、私は・・・」と言うと、「そんなことは、患者さんの考えることではありません」とぴしりと言われてしまう。この話は、それの逆のお話である。「でも・・」と言いかけるそのこころがそもそも間違っているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


空仰ぐ布袋葵の優しい眼

2020年09月06日 | 自然ありのままに
 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、台風第10号が接近する影響で次第に曇り、夜には雨が降る見込み。6日夜のはじめ頃から強風や高波に、6日昼過ぎから竜巻などの激しい突風や急な強い雨や落雷に注意したいもの。夜遅くには雷を伴い激しく降る所がある見込みらしい。気温は26度から32.0度、湿度は90%から72%、風は2mから6mの東の風が強くなるらしい。明日の7日のさぬき市地方は、台風10号の影響で荒れた天気となり、明け方まで雷を伴い激しく降る所があるらしい。午後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込み。

106/54/78 36.2c-95% 60.6Kg 25.4c-67%-1003hPa 体調に変化はない。
 
 今朝の朝食である。取り立てての話題はない。台風が接近しているらしいが、今のとことは何の兆候もない。静かでのどかな山あいの里の朝である。もう蝉の声も絶えた。
 
 朝一番ということで、近所の農家のおじさんを訪ねてきた。今度の日曜日に「山の神さん」というお宮さんの祭礼なのだが、そのしめ縄を用意することになっているが、肝心の「稲わら」がないのである。ちょうどやってきた弟にお願いしたけど、「ない!」の一言だった。
 
 山の神さんというのは、文字通り山全体の神様である。昔は食事の用意や風呂や暖房や照明の意味で「たき木」を山からもらってきた。仕事も伐採や材木の切り出しやらという「山仕事」も大きな山の恵みだった。そんな神様に対するお礼のおまつりだったらしい。今は、そんな必要もないので、単なるイベントでしかないが、そのイベントには、しめ縄や御幣なるものが必要になる。
 
 で、同じ集落のおじさんに稲わらを頼んだが、「そんなものはない」とおっしゃる。今はコンバインで稲わらは全て細かく切り刻んで田んぼの肥料にしてしまう。でも、無理にお願いして、生えている稲を刈り取って乾燥しておいてもらうことになった。
 
 その後は、「闘病記」の論文作成に戻った。「おなかが張る」ようになったのが平成28年の2月だった。その後、香川医大付属病院での第一次入院騒動があり、退院しても張りは治まらず、あれこれと治療したがどうにもならなかった。で、昨年の暮れの「第二次入院騒動」になった。
 
 でも、医大付属病院では「治療不能」「治療方法なし」で退院し、「死」を待つだけになった。その判断に異議を称えて、あれこれとした結果、令和2年3月27日に「復活」をすることができた。ここまでが文章になった。これからが本論になる。
 
 今日のお昼はこれ。「超もち生パスタ」というもの。「芳醇・和風きのこ」と書いてある。「電子レンジで「チン」して食べてね」との置き書きがあった。これに野菜サラダ付きであった。
 
 食事が終わったらすぐに、叔母の訃報が入った。私の親父の姉さんである。お通夜は明日、葬儀は8日のお昼だという。だんだんと親戚が減っていく。もう、直属は叔父(親父の弟)だけになった。
 
 お昼からは空が曇ってきて、細かな雨になった。まだ風はない。
 
 今日の掲示板はこれ。「阿弥陀仏と称える口で愚痴を言い」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。これまた、どこのどなたの言葉かはわからない。ご法座の席でお聴聞しながら「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・」とお称なえしたその口で、お隣のおばあさんと愚痴の言い合いをする。よくあるお寺での一幕である。似たようなことばに、「墓参り 合わせたその手で 蚊を殺す」というものもある。私たちのこころというものは、そんなものなのである。
 
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。
 
 

蒼空を見上げてばかりのススキの穂

2020年09月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていたが、午後からは青空が広がり真夏の空に戻った。気温は24.5度から32.3度、湿度は90%から72%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、台風第10号が接近する影響で概ね曇り、夜には雨や雷雨となる見込み。夜遅くには激しく降る所があるらしい。

 

 102/58/79 36.0c-96% 61.6Kg 26.9c-81%-1012hPa 体重が微増している感じ。運動不足か冷たいお茶の飲み過ぎか。

 

 朝の食事だが、話題になるようなものはない。「今日は遅出だから、夕食もたべておいてね」と言って出掛けたが、毎度のことで別に珍しくもない会話である。昨日は日勤で一人、おとといも日勤で一人だったし。

 

 「午前8時に集合」とだけしかカレンダーに書いてないから、どこに8時に集合するのかがわからなかったが、8時になったら続々と仲間が集まってきて、「ああ、ここなのかい・・」みたいなことだ。町の社会福祉協議会のサテライトオフィスである。昨年まではデイサービスセンターがあったのだが、過疎化なのか新しい働き方改革なのか、今は空きビルになっている。

 

 で、今日は「ひとり暮らし訪問日」ということで、独居老人宅を訪問して安否確認をしながら、このトイレットペーパーをお渡しする。例年だとおはぎだのお寿司なんぞを配るのだが、時期的なこともあって簡略化された。

 

 これを担当区域内の独居老人数に配分して小分けし、会長の挨拶の後、一斉に町内に分れて行った。

 

 後援団体の「婦人会(正式の名前は知らない)」や「食改(正式名称は知らない)」も応援に駆けつけて訪問に同行するらしい。

 

 こんなときでないと顔を合わせる機会のないお年寄りたちである。でも、みなさん元気でトイレットペーパーを受け取ってくれた。今度は年末訪問にもお邪魔する。

 

 話題は台風のこと。「台風が来ても避難所へは足がなくて行けない」とか、「どこへも行くところがない」とか、「二階への階段も足が悪くて昇れない」とかと切実な言葉が並ぶ。まずは「自助」である。家族や親族にお願いするようにお話しするが、それも無理な人がほとんど。「共助」にしても、ご近所にお願いするのも遠慮があるとかなんとか。

 

 かと言って、私が助けに行ける訳でもない。

 

 これが、我が家周辺の「ハザードマップ」である。我が家のすぐ前で山崩れが起きる可能性が大きい。その北側でも山崩れが発生するマークがある。我が家は孤立してしまう可能性が高い。一方で、我が家が土砂崩れや川の氾濫に巻き込まれる可能性は低いと思われるが、これが必ずしも正しいとは限らない。

 

 今日のお昼である。これだけ食べられるようになったのだからすごいことだ。去年の今頃はおなかが張って食べるものも食べられなかったので、「ところてん」と「梅茶漬け」ばかりで飢えをしのいでいた。それでも体重が67Kgとか70Kgとかになったのだから不思議な身体だ。

 

 今日はシンプルに「きつねとおろしうどん小のそのまま」温めもせず、冷やしもせずの「そのまま」である。横着と言えば横着だし、個性的だと言えば個性的だ。そんなに執着することでもない。

 

 台風10号である。津田川に仕掛けてある水中ポンプを引き上げるかどうか迷ったが、そのままにしておくことにした。流されたら拾いにいけばいいし、流れなかったら手間暇が省ける。流れてしまっても3万円もあれば新しくなる。いのちを掛けるほどのものでもない。

 

 暑い暑いと言いながら、気がつけばススキがいつの間にか穂を出している。自然はいつも生真面目で実直だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「何が私を苦しめているのか 自分が握りしめているその物差しです」というもの。坂本力さんの言葉だとされているが、どこの坂本さんなのかがわからない。何かの本にでも載っていたのか、あちらこちらで見かける言葉だが、その後がわからない。それはともかくとして、私たちは自分の物差しで動いている。それは親が持たせた物差しであったり、会社が持たせた物差しであったり、地域が持たせた物差しであったり、家の家業が持たせた物差しであったりする。その物差しで苦しむのである。自分だけの物差しだから苦しむのである。だからと言って、その物差しを投げ出してしまっては生きていくことができないのだ。だから、私たちは苦しみ続けてゆくばかりなのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


青空はトンボのために透き通る

2020年09月04日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨の所がある見込み。気温は25.5度から31.5度、湿度は88%から82%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、引き続き湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 104/43/78 36.0c-93% 61.2Kg 25.2c-78%-1005hPa 昨日は水分を少しばかり摂り過ぎたかも知れない。暑いとどうしても熱中症予防とかで飲み過ぎてしまうのかも。我が家では水分摂取量とか排尿水量とかは記録していない。

 

 年寄りは早起きだ。朝の4時半から起き出してお仕事をする。ま、お仕事たって、一円の儲けにもならないばかりか赤字になるばかりのボランティアである。

 

 朝からたくさんのお手紙を書くものだ。気分が良ければタックシールなんぞで宛名書きもやるのだが、今日は気分が優れなかったようだ。

 

 奥方の切手ファイルだが、最近は小遣いが足りないのか、それとも飽きた物か、「使っていいよ」というので、切手は使い放題。ただ、5円や2円やら10円やらをパズルのように貼らないといけないのが面倒くさい。

 

 時には10円や5円くらいは多すぎることもあるが、他人様のふところだから気にはしないでペタペタと貼っておく。不足分よりも気分がいいではないか。

 

 それが片付く頃になって、ようやくに朝食ができあがる。奥方が寝過ごしたらしい。それで大慌てで出掛けて行った。

 

 当面の夏休みの自由研究である闘病記である。こうしたブログを参照しながら、これをコピペしながら、

 

 メインPCで闘病記をまとめてゆく。メインのマウスで、左のPCのブログの記事をコピーしてきて、メインの画面に貼り付けていく。

 

 二台のパソコンを一台のように扱って居るわけだ。当然、画面のスクロールやファイルの切り替えも一つのマウスで大丈夫だし、キーボードだって一台で両方を操作できる。

 

 で、そもそもの始まり・・・から始まって、香川医大付属病院に入院して退院して、すぐさま、県立病院に入院して退院して・・・。ここまでが1年4ヶ月。そこから、昨年の暮れの第二次入院騒動までの1年7ヶ月分をまとめてみた。2年と11ヶ月を駆け足で駆け抜けた感じ。

 

 まだまだ、台風のそぶりも気配もない。今日は「無停電電源」をパソコンなどに接続した。昨日のような突然の停電は心臓に良くないことだ。

 

 今日のお昼は、これまたマンネリみたいなおそばである。あっさりといただいてしまった。

 

 奥方はメニューに困ると、カレーかお寿司かである。そんなにたくさん作って誰が食べるのか・・・って聞くと叱られる。「そんな心配より自分の身体を心配しなさい!」って。奥方の職場の仲間のお弁当になるらしい。朝の朝食のミニトマトは、そのお返しだと思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「お前が死んでも何も変わらない。だがお前が生きて変わるものもある」という「玄奘三蔵」の言葉である。玄奘三蔵と言ってもアニメ『幻想魔伝 最遊記』の中のお話である。どんなに生きるのが辛くても、死んでしまっては何も変わらない。辛いという気持ちから解放されるという考え方もあるけれど、それは嬉しさも楽しさも「全てなくなってしまう」ということを忘れてはならない。つまり、自ら命を絶ち、その場所からいなくなるということは「変化」ではなく、「消失」だということでしかない。生きてさえいれば変わることもある。どんなに生きるのが辛くても、時間が解決してくれることが世の中にはあるはずだ。人間関係が上手くいかずに辛い思いをしていたとしても、突然その相手がいなくなることもあるし、大きな悩みごとも時間が経ってみたら気にならなくなるなんてことある。もちろん、自ら進んで行動して自分が生きやすいように環境を変えていけるのなら、それに越したことはないが、時にはそっと身を潜め、機をうかがうしたたかさも必要かもしれないと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山里に目に余るほどの百日紅

2020年09月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていたが、やがて晴れて気温が上昇してきた。気温は28度から36.0度、湿度は78%から58%、風は1mから6mの南南西の風が一時は強かった。明日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは断続的に雨となる見込みで、雷を伴う所があるらしい。

 

 116/63/79 36.2c-95% 60.8Kg 27.3c-80%-1005hPa 全く体調に変化はない。だけども、「元気になった」とか「健康体ですね」とか「すっかりと治ったんですね」という状況下ではない。ただ、あかあかとロウソクの火が燃えさかっているだけで、いつ、なんどき、無常の風が吹いてきて、やがてには、その火も消える。

 

 そんな中での悪あがきである。今日も隣町にある「市民病院」に行ってきた。いつもは満杯になる「身障者用駐車場」がガラにもなく、ガラガラである。で、そのひと区画に車を置いた。私も一応、身障者なのである。

 

 で、眼科の三ヶ月検診である。受付標を置くと同時に検査室に呼ばれた。

 

 この、気球の画像検査は、「オートレフラクトメーター」といい、これを使用すると、近視や遠視、乱視がどの程度あるのかを他覚的に測定できる。ほかにも、PDといって目と目の間の距離を測定したり、角膜曲率半径(角膜の曲がり具合)が分かったり、調節機能がどの程度あるかも測定出来る優れものらしい。

 

 その次に、一般的な視力検査には、Cの形をしたランドルト環を使って行われる。左右ともに、1.2という判定だった。良いとか悪いとかの判定ではない。見えるか見えないかの検査である。

 

 細隙灯顕微鏡検査では前眼部(角膜・結膜・水晶体など)を拡大して診察する検査を行う。あごを診療台にのせておでこをつけて、顔を固定し、眼を拡大して観察する検査になります。「細隙灯」というのは細い光のことで、この細い光を斜めから入れることで目を立体的に捉えやすくなり、眼の中のレンズである水晶体の厚みや角膜から水晶体までの距離などを測定する。で、これで、白内障手術後の検査は全て終わって、治療完了となった。

 

 今朝の朝食である。それよりも、右上の新聞紙が気になった。奥方が職場の友人からもらってきたものらしい。

 

 丸亀市沖のしわく広島で、岡山からの家族を招いて筏作りをやったらしい。この絵だと「青木海岸」かな。なんとも危なっかしい筏だが、ま、お遊びだからこんなものか。でも、新聞ダネにするようなお話でもなかった。

 

 海賊気分たって、こんなイカダの海賊ではすぐに海に投げ込まれてしまいそうだが、海のお遊びだからと読み流しておいた。

 

 そうそう、PCの中を掃除していたらば、こんな画像が見つかった。これが大窪寺の本堂の写真らしいが、確かに、右の方に菅笠やお杖、床下にはギブスや松葉杖なんぞが奉納してあったような気がする。でも、お遍路さんが全員白装束だから、昭和の40年頃なんだろうか。これは大事な証拠尾写真だなぁと大事に保管した。

 

 今日のお昼は「サンマの蒲焼きとおろしぶっかけうどん」小と野菜サラダ付きである。マンネリと言えば「一人だけの阿波踊り」、ワンパターンと言えば「犬の卒倒」。おいしく食べるのが一番だ。

 

 で、今日は、私の「おなかが張る」という症状はいつから起きたのか・・・という資料収集をやっていた。過去の記録、日記、ブログをひっくり返して、平成28年2月中旬からというところまで追い詰めた。日にちも2月25日ということだった。

 

 だが、あくまで「心不全」「腹水滞留」という治療になり、「利尿剤」の調整になっている。利尿剤でおなかの水分を追い出そうとする治療法だった。

 

 だが、その後は、香川医大での心臓弁膜症手術やペースメーカー植え込みなどという、少し方向違いの治療法に切り替わり、その後はずっと、「胸水滞留による呼吸不全」という方向で治療が進んできたから、おなかの張りは一向には治らない。それが四年間も続いてきたのだから苦しい毎日だった。

 

 それはさておき、今日の掲示板はこれ。「次、生まれ変わったらこうしたい・・・とか言う人がおるけど、次はないよ」という、辰吉丈一郎のことばから。「今生(こんじょう)」という仏教語がある。ボクサーらしい「根性」ではない。意味は、「この世に生きている間」ということ。生まれ変わりの思想を持っている人は、「次に生まれ変わったら」と言いながら、今生でやる事を先延ばしにしている事があるようだ。でも、今生の自分は、今生にしかいないのだ。今の自分は、今ここにいる私しかいないのだ。だから、次はないのだ。あの世でとか、天国で待ってる・・とかの夢物語はないのだ。今生で「こうしたい」という事は、今生の自分がやる事を、辰吉丈一郎はすすめてくれているのだ。自分のろうそくが燃え尽きて終わればそれだけだ。確かに代わりとなるろうそくや人はいるかもしれないけれど、今生のこの私はもういなくなるのだ。だからこそ、今を精一杯、生きるしかないではないか。

 辰吉丈一郎(たつよし じょういちろう/1970年5月15日-/男性)は、岡山県倉敷市出身のプロボクサー。「浪速のジョー」の愛称で親しまれた人物であり、50代日本バンタム級や第18代・第24代WBC世界バンタム級王者に輝いた。ボクシングファンであった父に幼少の頃からボクシングを仕込まれ、中学卒業後に「大阪帝拳ジム」に入門。1987年(当時17歳)で全日本社会人選手権バンタム級で優勝を果たす。アマチュア通算成績は19戦18勝(18KO・RSC)1敗。1989年にプロデビュー。1990年に4戦目で日本王座を獲得し、1991年に国内最短新記録(当時)となる8戦目で世界王座奪取に成功。2015年には次男の辰吉寿以輝がプロボクサーとしてデビューを果たした。(参考文献・出典:ウィキペディア

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


雷鳴におびえるままに手を合わせ

2020年09月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから強風が吹き荒れ、急な強い雨がたたきつけ、落雷があった模様。夜遅くにも雨が降る見込みらしい。気温は27.5度から32.4度、湿度は88%から68%、風は2mから6mの東南東の風が一時は強かった。明日の3日のさぬき市地方は、台風第9号や湿った空気の影響で、昼前までは雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 110/52/79 36.5c-96% 28.2c-77%-1005hPa 体調に変化はない。

 

 昨日の観光ガイド大窪寺班の勉強会だが、いくつもの宿題をもらった。お坊さんだから何でも知っていると思ったら大間違いで、「いっこう、ほっこう、もの知らず」というような言葉を子供の頃に聞かされたが、そんなもので、何にも知らないのである。

 

 このように、「本や色紙にサインすることを何というのか」という質問もその一つ。「署名」でいいし、「直書」でもいいと思うのだが、そんな簡単な言葉じゃないという。「揮毫」というと、毛筆でしっかりと書いた詩文や名句・名文などを言うのだろうが、どなたか、ご存じの方があれば、そっと耳打ちして教えてくださいませませ。

 

 「この門がお寺への入り口で、この門をくぐったら【あの世】である」と、ガイドしたいのだそうだが、【あの世】を英語ではどう言うのか・・というのも難しいことば。真宗ならば「お浄土」らしいが、外国人には、「天国」とか「ヘブン(heaven)」なんだろうが、それは似合わない。

 

 in that world ・・・というのも素っ気ない気がするし、

 

 というのも大げさすぎるのか・・・。算数と英語は大の苦手だったからなぁ・・。英語のできる方、そっと耳打ちして教えてくださいませませ。

 

 こういう専門用語になると、このアプリは全く理解してくれない。「三国伝来」の「錫杖」が理解されないので困っていた。

 

 これでもまだまだ不十分なような気がする。ま、お遊びと言えばお遊びなんだけれど。

 

 今日はすこしばかり涼しいので、温かいおうどんにしてみた。大きなきつねとおろしうどん小の温いん・・と野菜サラダ付きである。

 

 午後からは、闘病記の資料集めをやっていたら、ようやくに雨が降り出してきた。これで野菜畑の野菜たちも安堵したことだろう。

 

 うちの奥方は野菜やお花は大好きなんだけれど、忙しいから水やりができない。それで枯らした植木鉢は何百を超えるほど。私が気がつけば水やりをやるのだが、私だっていつもかつもお花ばかりを見ているわけにはいかない。

 

 そうこうしていたら、いきなりの突然で、パソコン群が一斉にダウンした。近くで落雷があったらしい。こうなると、まるでだるまさんのように手も足も出なくて、することがない。非常用電源も、一階へ移転した際に邪魔になるからと片付けてしまってそのまんま。まさか、自宅近くに落雷があるとは夢にも思わないじゃないか。

 

 そうなのか、最近はテレビなど見ないから気がつかなかったが、台風がそこまで来ているらしい。9号ばかりに気を取られていたら、背後から10号が襲いかかってくるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「偶然の出会い 必然の別れ その中に人間は生きている」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板からである。「偶然の出会い、必然の別れ。その中に人間は生きている。だからこそ、人は出会いを大切にしなければならないのではないだろうか。別れが必然だから、人はかろうじて優しくなれるのかもしれない。」松本梶丸師がある本の中でこんな言葉を書いておられた。「一期一会」という言葉がある。一生に一回の機会という意味である。よく人と人との出会いを表す言葉として使われるのだが、出会いは偶然、別れは必然 だからなんだろう。人が避けられない苦しみの一つとして愛別離苦という言葉があるように、死が必然である以上、別れも必然なのである。出会いの奇跡、出会いの大切さは、別れが教えてくれるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ようやくに蝉の啼かない午後三時

2020年09月01日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは強い日射や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所がある予想だが、まだ、その兆候はない。気温は26.5度から34.7度、湿度は92%から70%、風は2mから5mの東の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、東シナ海を北上する台風第9号や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込み。昼過ぎからは雷を伴う所があるらしい。

 

 血圧117/63 脈拍80、体温36.1度c 酸素濃度97% 体重60.4Kg 室温26.5度-湿度84%-気圧1009hPa 体調に変化はないが、昨夜の薬が効きすぎた。

 

 かゆみや湿疹が出たときの用心にお守りとしていただいてきた、この「オロパタジン」というオランダ人のような名前の薬だが、昨夜、少しばかり湿疹が出たので用心のために飲んで寝た。もちろん、一回に一錠、一日に1錠の薬である。その副作用は聞かされていたのだが、むっちゃんこに眠たい・・・。今朝も10時頃あたりまでは眠たくて眠たくてどうしようもなく眠たかった。要注意のお薬である。

 

 夜中のトイレは、いつもと同じように10時半、0時半、1時半、2時半、3時半、4時半に起きてそのまま普通の生活に戻るのだが、とにかく眠たくて電灯のあかりがまぶしくて、油断をすればトイレで居眠りしてしまうような眠たさ・・・。

 

 で、今日はご案内の通り、さぬき市前山での「観光ガイド・大窪寺班」の勉強会である。眠たくてどうしようもないのだが、「行かねばならぬ、行かねばならぬ・・・」と赤穂浪士の討ち入りみたいな気分で車に乗った。本当はアカン状態だが、「行かねばならぬ・・・」と頑張って行ってきた。

 

 でも、みんなとお話をし出すとなれてきたのか、落ち着いてきた。

 

 こういう、折り紙のお話になると、もう、普通の状態に戻っている。こういうのは面白いのだが、はてさて、ここに何を書いて、何を表現したいか・・・になると、そこから先には進まない。「誰も知らない大窪寺編」と言うても、そういう話に巡り会わないから気がつかない。自分の聞いた話が正常だと思い込んでいるから、「誰も知らない大窪寺」と言われても、なかなかに話題が出てこない。

 

 「あ、そうだったんな、お大師さん」というガイドブックにもいいアイディアが出てこない。

 

 そのうちに、「お布施っていくらぐらい包むの」とか、「位牌は個人で作ものなのか、夫婦でもいいのか」とか「過去帳に書き込んでもらう費用はいくら?」とかと、下世話な話になると話題沸騰になる。なにせ、真言宗の大黒(住職の奥方)さんやら四国霊場会の大先達やら、大窪寺の信者さんから真宗のお坊さんまで集まっている大窪寺班である。真宗のご門徒さんもいれば禅宗の信者さんもいるし・・・。

 

 そのうちに、英語でガイドをするには・・・ということで、「本堂はメインホールって言うのよ」みたいな会話になって、ようやく本題に戻って来た。大師堂は、Daishido でいいし、仁王門も Niomon でいいのだと聞いた。二天門も Nitenmon でOkらしい。でも、上の図の 仁王門を Main Gate もそれらしくていいなと話し合ったことだった。

 

 ま、こういう初歩的な英語ならば覚えられるかなぁと思ったし、

 

 こういうのも、フムフムと納得したものだった。来月までに、大窪寺境内のあらましとか、要所を押さえての英語版ガイドブックを作ってみようか・・・ということになった。こっちの方が、皆さん方には受けたみたい。誰も知らない大窪寺編はお蔵入りかな・・・。

 

 今日のお昼は懲りずに「サンマの味噌煮とスイカ冷麺。」それにいつもの野菜サラダ付きである。

 

  今日の掲示板はこれ。「拝む手が とがる世間の 角をとる」というもの。同じ町内の善楽寺さんにあったもの。インド人やネパール人の挨拶は「ナマステー」という合掌である。「ナマス」は敬礼する、「テー」はあなたに・・・ということ。私たちの「南無」は、この「ナマステー」からきたものだという。「右ほとけ 左は我と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」とも言って、右手はほとけさま、左は私たち。その両方が一つになって一瞬でもおだやかなこころになってくれればいいがなぁと思うことである。いじめだ、自殺だ、暴力だ、竹島だ、国旗だ、拉致だ、尖閣諸島だ、安保法制だ、再稼働だ・・・とがってばかりいる現代。拝む手で、幾分かでもいいから、角がとれたらいいなぁと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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