まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

青空にもみじカエデのお出迎え

2021年11月15日 | 時には日々是日

 15日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.6度から19度、湿度は86%から52%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 113/66/78 36.4c-98-60.4Kg 17.0c-49%-1021hPa 体調に変化はない。

 

 数字的にも落ち着いていて全くの変化がない。

 

 さて、今日は8週間に一度の予約診察日である。11月中旬だというのにランニングシャツにTシャツ、ズボンも夏用の薄くて軽いものを選んで着て行ったのに、今日は体重測定も血圧測定もないという。胸部レントゲン撮影も検尿もないという。ちょっと想定外で少しばかり残念な思いがした。

 

 内科の診察は3分間診療。胸の音を聞いて酸素濃度と血圧測定をしておしまい。次回は8週目がお正月休みにかかるので、7週目の12月7日になった。ま、お薬を処方してもらうだけの診察である。

 

 泌尿器科も以下同文で、残尿検査をしておしまい。次回は内科に合わせて12月の27日になった。ここも処方箋を書いてもらうだけの診察である。もう、手術もできず、施す手はないので薬でいかに生き延びるかだけのことらしい。

 

 帰ると奥方が待ち構えていて、「こがね製麺所」へ行こうというのである。まだ、今日までの50円引き券が残っているのでもったいない・・ということだった。 

 

 で、今日は、「かまたま明太うどんの小」にちくわ天とお寿司セット。最近はよく動くからか、お酢の効果なのかおなかが空くのでよく食べるようになった。

 

今日は時間的にか大混雑で、奥方の楽しみにしていた「うどん玉お持ち帰り」はゼロになっていた。奥方ががっかりしたのは言うまでもない。

 

 あんまりにもがっかりしているので、ここの読者が教えてくれた「西教寺」さんに寄ってみた。この右手の緑色の葉っぱがイチョウの木。

 

 さぬき市大川町にある西教寺は、奈良時代末期、行基によって開創された。その後、背後の火山(ひやま 標高245m)の中腹(標高157.7m)に空海が登り、一夜建立の祈願をかけて摩崖仏を彫っていたが、途中でアマノジャキがニワトリの鳴き声を真似て鳴いてしまった。一夜建立の祈願がやぶれたと勘違いをして彫りさしのまま諦めて、大窪寺へ向かったという。その摩崖仏は当寺の奥之院になっている。この伝説により当寺は、大窪寺の前札所と云われている。

 

 奥方はレジ袋いっぱいに銀杏を拾ってようやくに機嫌を直した。やまでらの大窪寺さんの大イチョウは、もう、散り始めているが、ここのイチョウはまだまだミドリ色のまんま。でもたくさんの銀杏が落ちていたらしい。

 

 で、家に戻ると、早速に水につけておいて皮の部分をとるらしい。これがまた大変なことだとぼやいていた。

 

 で、いつもの薬局で薬を受け取って戻った。

 

 七週間分、49日分の朝・昼・夕の三食分である。これで限度額いっぱいの18,000円なり。

 

 今日の掲示板はこれ。「どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱいに生きればいいぞ」という相田みつをさんの言葉から。「いのち」の尊さを見つめ続けて、その生き方を、自分の書と自分の言葉で、あたたかく、そしてやさしく語りかけたみつをさんの「子供へ一首」と題したことばである。私たちは、面子(めんつ)や体裁(ていさい)、常識や慣習など、みんな、まわりを気にして、そんなことにとらわれて生きている。しかし、みつをさんは、そんなことにとらわれて生きる生き方よりも、体裁が悪くても、カッコよくなくても「充実感のある生き方」をしたらいいんだよと、語りかけているのである。それが「いのちいっぱい 生きる」ということだと・・・。「いのち」を受け継ぎ、その尊い「いのち」に生かされて生きる私たち、その「いのち」をせいいっぱい生きているだろうか?

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


落ち葉踏む気だるさばかりが残る朝

2021年11月14日 | 時には日々是日

 14日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は8.2度から17.7度、湿度は66%から48%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 110/66/79 36.4c-98%-60.8Kg 16.4c-49%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 数字的にも変化はないし、気分的にも問題はない。今年は異常にカメムシを見ることが多いが、カメムシと降雪量との関係は間違いではないが、その立件はむつかしいとのこと。あくまで確率論の問題らしい。

 

 さて、今日は奥方が「早出」だと、午前6時前に出勤して行った。その出がけに「洗濯ものを干しておいてね」「あ、それと、台所の掛け時計の電池が切れているみたい」と言い残して出かけて行った。

 

 まるで召し使いみたいだなぁと思ったが、今時、「召し使い」なんて言葉があるんだろうか。洗濯物はすぐに干せたが、この時計は動かない。電池を変えても動かない。ま、13年も使ったら壊れるのも仕方ないなぁとあきらめた。

 

 で、ホームセンターで1,450円の電波時計を買った。これだと、時間を合わせたりはしなくていい。乾電池を入れたらすぐに動き出して時報と同じ時間を示してくれた。

 

 今日は奥方との結婚50周年の記念日なので、何がよかろうかと考えていたのだが、記念植樹用の「スダチ」の苗木である。奥方が植えて大切にしていたのだが、何の影響かで枯れてしまっていたのである。その代用が欲しいわ・・・というていたので、これにした。「金婚式」の記念旅行は来年の2月に予定中。感染症が収まってからにしようかということで。

 

 切り干し大根も水分が抜けてきたみたいだし・・、

 

 こちらの切り干し大根も順調に乾燥中。しかしのかかし、たこ干しの大根は厚さもあったし大きいからかなかなかに水分が抜けてくれない。

 

 こちらの干し芋や干し柿、たこ干し大根は図体がでかいからか、当分、乾燥はしてくれない様子。私が子供のころには「刺す芋」とか「さす芋」とかと呼んでいた干し芋があったのだが、それ検索しても出てこない。方言だったのか、それとも死語になってしまったのか。 

 

 早めにお昼の「アジの姿寿司」を食べてやまでらさんへ行ってみた。さすがに日曜日と紅葉時期が重なっておまいりの人は多くなった。

 

 境内の大イチョウはもうおしまいみたい。今年の秋は遅く来て早くに終わったような印象。

 

 毎年のように石仏にイチョウの落ち葉を持たせている。人間、誰しも同じことを考えるのだろうか。

 

 落ち葉の時期はまた、それなりの風情や良さがある。

 

 紅葉に秋の太陽の優しがよく似合う。

  

  今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。よく見かける言葉だが、誰の言葉化はわからなかった。一茶の句かなぁとも思ったのだがわからない。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


緋のもみじ地蔵の腕に弥陀の手に

2021年11月13日 | 時には日々是日

 13日のさぬき市地方は寒気や湿った空気の影響で、概ね曇っていた。気温は7.1度から13.8度、湿度は74%から52%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて次第に晴れるらしい。

 

 圧迫時103、解放時72、脈拍78、体温36.5c-酸素濃度98%、体重60.4Kg、室温15.3度、室内湿度は47%、気圧は1020hPa 体調に変化はない。お酢を飲みだしたからかおなかが軽いように思えてならない。あの圧迫感、膨満感が感じられなくなっている。

 

 まだ一週間ほどだから、そんなにも効果は出ないとは思うのだけれど、気分的にはずいぶんと楽になってきたように思う。結婚50周年(金婚式)は明日、県立病院の予約診察はあさって。

 

 さて、朝の間は早くも年賀状の準備である。準備と言っても、今年にいただいた年賀状をリストに整理したり、喪中はがきが届いた方にはチェックを入れたり、もう賀状が来なくなった方はデータを削除したり・・・。

 

 土曜の朝の「チコちゃんに叱られる」が終わるとお出かけをする。まずは郵便局で貯金を下ろし、いつものうどん屋さんにやってきた。うどん屋さんと言っても、ここではおうどんは食べられない。全くの製麺所である。

 

 ここから、今年一年、お世話になった方々に「お礼」の記念品を贈ることにしている。あくまで「お礼」である。お歳暮シーズンだが、私の場合は「お礼」である。

 

 その後、玄関飾り用の置物を買ってみた。「干支置物」と箱には書いてあるが、干支の中に「猫」はいないはず。ひょいとして「犬」かしらん。「戌年」というのは聞いたことがあるが「犬年」というのも聞いたことがない。

 

 これは来年用のカレンダーである。来年が私にはあるのかどうかはお釈迦様でも知らないはずだが、他人様が勝手に来年の予定を次々と連絡してくるのだからかなわない。それを忘れないようにと記録しておくもの。確かにスマホやパソコンなどに予定表は書き込んではあるのだが、開かなければ見ることもないので、ないのと同じこと。書いて目の前にぶらさげておけば、まず忘れることはないと思っている。私はアナログ人間なのである。

 

 思い出したようにこれ。洗濯用のピンチ「洗濯ばさみ」だが、経年劣化でポロポロと壊れてしまう。洗濯物を干すときに、これが壊れると「イラッ」としてしまう。

 

 精神衛生上よくないので、古いものは新しいものに交換しておいた。

 

 これで、明日からの洗濯干しが少しは楽になりそうな。「小さなことからこつこつと」。

 

 今日のお昼はこれ。先日、うどん屋さんでいただいたうどん玉で「焼うどん」にしてくれていた。こんなにもたくさんは食べられるものか・・・と思ったけれど、いつの間にか完食してしまっていた。おなかの調子がいいものか、いいからよく働くからか、動くからか・・。

 

切り干し大根作りは一応終わった。子供のころに見た風景は一応再現できた。もう少し、乾燥するまではこのままにしておきたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に失敗がないと人生を失敗する」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「モタさん」の愛称で知られる精神科医の斎藤茂太氏の言葉である。90歳で亡くなった彼は随筆家でもあったことから、晩年は作家活動に多くの時間を費やしていたという。「“失敗”と書いて“経験”と読む」誰かがそう言っていたことを思い出した。マザーテレサはこう言った。「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することだけを望んでいるだけです。」成功と失敗は、勝ち負けとは違う。成功も失敗も、チャレンジという意味ではどちらも同じ。失敗も成功も単なる言葉の違いと運の違いにすぎない。経験したから失敗も成功もあるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もみじ葉を染めて山路はもやの中

2021年11月12日 | 時には日々是日

 12日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となる所があった。気温は9.7度から15.5度、湿度は80%から50%、風は2mから4mの西北西の風が一時は強かった。明日の13日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、明け方までは寒気や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 104/61/78 36.4c-98%-60.6Kg 14.6c-48%-1016hPa 体調に変化はない。結婚50周年まであと二日、県立病院の予約診察日まであと三日。

 

 昨夜から今朝がたにかけては嵐のような風雨だった。なんだかすっきりとした秋晴れが懐かしいと思うようになってきた。

 

 ま。雨だろうと風雨だろうと私には関係がない。奥方は野菜に水をやらなくていいので非常に楽ちんだと喜んでいる。

 

 雨が降ったりやんだりを繰り返しているので、今日はサツマイモの調理である。だが、60年も昔のことだから記憶があいまい。「干し芋」を作りたいのだが、生のまま干したのか、茹でてから干したのか、蒸してから干したのか、ふかしてから干したのか・・・。YouTubeなんぞでは、蒸し器を使ったり炊飯器を使ったり、フライパンを使ったりしているが、どうやって作ったのかを思い出さない。

 

 だから、蒸すものと、フライパンを使うものと、電子レンジを使うものをやってみた。炊飯器には「シイタケご飯」が炊飯予約中。

 

 で、およそ1時間も掛かってサツマイモが食べられるようになったが、私の子供時代にはこんなイモではなかったはず。おそらく皮付きの生ではなかったのかと思うのだが。

 

 ま、それを紐で結んで吊り下げてみることにした。

 

 形は似ているが、こんな風景ではなかったような。でも、あの頃の「干し芋」を教えてくれる人はいなくなってしまった。

 

 残りはお菓子としての「干し芋」用。奥方用だが食べてくれるだろうか。一週間もすればおいしい「干し芋」になる予定・・・。

 

 「ハリハリ漬け」用の「タコ干し大根」。もっと長くした方が良かったかしらん。

 

 調理用の「たこ干し大根」。おばあちゃんの干した大根は、こんな感じだったかしらん。干しあがってみないとわからない。

 

 全体的には、こんな感じになった。あくまで、子供のころの初冬の風景を再現しようと思っているだけ。でも、なんか違うなぁ・・という感じ。

 

 今日は我が家での「天ぷらうどん」である。野菜サラダ付きである。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸なできごとを肥料として人生を深める」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「人生を円相で考える」不幸なできごとを肥料として人生を深める。自分で自分を拝めるような生き方をする。いつお迎えにきていただいても結構。どんな状況も正念場として受けて立つ。おかれている場所はどこでもよい、そこでどう生きるか。よく生きるとは「今はよくない」と気づくことなどのお話が書かれている。青山 俊董(あおやま しゅんどう、昭和8年(1933年)1月15日[1] - )は現代日本の曹洞宗の尼僧。愛知専門尼僧堂堂長。その著書「泥があるから、花は咲く」は、幻冬舎単行本(幻冬舎plusでの読書にはインターネット通信(オンライン)環境が必要)。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


そのままに散ってしまうのか緋のもみじ

2021年11月11日 | 時には日々是日

 11日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で曇り、夕方を中心に雨が降るという天気予報だったがよく晴れていた。気温は11度から16度、湿度は74%から56%、風は1mから4mの西の風が一時は強かった。明日の12日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、朝まで雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 103/63/78 36.2c-98%-60.4Kg 16.9c-49%-1009hPa 体調に変化はない。

 

 毎日、21時には寝て5時には起きるのだが、やはり、1時間ごとにはトイレに起きるのは変わりがない。だから慢性的な寝不足気味。だったら、ゆっくりと寝ていればいいように思うのだが。どうにもそれが寝ていられない性分らしい。

 

 今日は、ふと思いついてJAの産直市場やら道の駅の産直市場をのぞいてきた。

 

 で、こういうものを買ってみた。ま、これだけじゃないのだけれど、取りあえずは大根である。大根にも品種とか銘柄とかがあるのだが、そういうものには頓着しない。

  

 YouTubeでは、皮をピーラーで剥けとか、長さをいくらにしろとか、幅や厚さを何ミリにしろとか言うけれど、ものさしを持って調理するようなものでもない。皮もつけたまんま、厚さも適当である。

 

 もう、わかる方にはわかると思うのだが、冬の保存食である。子供のころには、これをイヤになるほど切らされた。筵(むしろ=稲わらを編んだ敷物で畳一畳分の大きさ)に五枚から七枚、八枚分くらいだっただろうか。

 

 そう、「切り干し大根」である。千切り大根と言うかもしれない。これも初冬の風景として作ったもの。奥方が食べるというかどうかはわからない。

 

 で、病院から戻った奥方が「おうどんに行こうよ」と言うので、この製麺所に行ってきた。奥方は、ゆでてから時間の経ったうどん玉をもらうのが主な目的らしい。

 

 で、私はいつものこれ。「温玉ぶっかけ小の温いん」である。わかめ、ネギ、天かす、おろしショウガはフリートッピング。最近はよく働くからかおなかが空いて仕方がないので、おいなりさんと巻寿司をチョイスした。お勘定は奥方任せ。

 

 おなかの満足した奥方は、「銀杏があるところを知ってるでしょ」というので、あちらこちらを回ってきた。これは讃岐と阿波との県境にある「境目のイチョウはん」である。

 

 ここも早くから落ちていたので、もう、拾われた後かもしれない。でも、イチョウの木だからと言って、銀杏が落ちているとは限らない。やまでらさんの大イチョウには銀杏が落ちないし、旧五名小学校跡のイチョウにも銀杏は落ちない。それは「雌雄異株」で、メスの木には銀杏がなるが、オスのイチョウには銀杏がならない。だから街路樹などや学校などにはオスの木を植えるのだそうな。

 

 こうしておけばカラスは食べられないしネコも無理だな。サルは工夫次第で手が届きそう。最近は我が家近くで県道工事をやっているので猿も近寄って来ない。お正月前には片付けてしまいたいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。写真写りが悪いのは高さと光線のせいだと思う。「一人よがりの生き方は 広い世間を狭くする」というもの。そうとはわかっていながらに、「オレが、私が・・・」と言っててしまう。電車の中で化粧をする。電車の中で平気でおかしやパンをむしゃむしゃと食べる。紙くずやゴミは平気で捨てる。他人様のことなんぞ眼中にはない・・・・。スーパーやホームセンターの身障者用駐車場に平然と車を停める中高年のおじさんやおばさんに娘さん。そういう世界になって しまったんだろうか。でも「わしがしなければ誰がする」(平櫛田中)でもある。自分が頑張るのは当然だけど、回りを見る余裕を忘れちゃいけない、と自戒する今日この頃である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


吊るし柿風のブランコ山静か

2021年11月10日 | 時には日々是日

 10日のさぬき地方は、寒気や湿った空気の影響で断続的に雨が降り、夜のはじめ頃まで雷を伴う所があるらしいとの予報だったが、あいにくと今日は晴れていた。気温は10.5度から15.1度、湿度は70%から56%、風は3mから6mの西南西の風が一時は強かった。明日の11日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 107/57/79 36.3c-98%-59.8Kg 17.1c-54%-1010hPa 体調に変化はない。おなかの張りも足のむくみもない。

 

 昨夜は夜中に目が覚めて、1時過ぎから「ラジオ深夜便」を聞きながら寝ていたが、その間にはほとんど眠っていたようで内容は全く記憶にない。ただ、3時過ぎからの「吉幾三」の時間には彼の独自性というかには感心しながら聞いていたように思う。

 

 これはお遍路さんがお寺に納めたりあいさつ代わりに交換する「納め札」というものである。その人が四国を回った回数で色が変わるということになっている。つまり、金色は50回から99回、真ん中の錦札は100回以上ということになっている。これらはガイドのお礼にいただいたものがほとんどである。

 

 で、そのお返しになるものを・・・と考えて、私なりの納め札を作ってみた。私の場合は回数には関係ないので、土佐和紙を使っての納め札にしてみた。

 

 私の場合、弘法大師さんではなくて、阿弥陀様を中央頭にしつらえてみた。ま、こういうものだから、みなさん、深くは見ないで頭陀袋にしまいこんでおしまいになる。

 

 さて、昨日の吊るし柿である。どうやって吊るせばいいのかと思案してみたが、適当な場所が見つからないので、ガラス戸のサッシの上と・・・、

 

 ルーフの支柱との間に、いらなくなったキャンプ用テントのポールを渡してみた。一か月くらいのものだから、そんなに頑丈にする必要はない。

 

 で、そのポールに干し柿を吊るしてみた。みんな、同じ長さに切ったPP紐なのだが、結び方の違いで、こんなにもバラバラの高さになるものか。ま、このほうが自然らしいといえば自然らしい。

 

 パソコン制御卓からも吊るし柿の様子が見える。これぞ初冬の風景である。これだと、毎日干し柿になっていく様子が観察できるというものだ。

 

 今日のお昼はまたまた富山の氷見うどんにした。最近は毎月のように富山の氷見うどん製造元からパンフレットやお歳暮の申込用紙が送られて来るが、そうそう、氷見うどんばかりも食べられない。

 

 で、午後からは民児協の定例会である。この民児協という組織は、12月1日から11月30日までというのが会計年度だし、任期でもある。

 

 で、今月は任期三年の二年目ということで、一応、令和3年度分の会計報告をしておかねばならない。そういう準備もやっておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「飲んで食って寝て起きて あれしてこれして ただそれだけでいいのですか」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私の著作の「前書き」にはこのような言葉が書いてある。

 (前略)そう考えると、私たちは経済行為や政治行為などにうつつを抜かしているばかりでなく、すぐれた文化を発掘し、あるいは創造し、育み、文化的な毎日を営むことが求められているのではないだろうか。ただ一度、この人間世界に生まれてきたのならば、食べて寝て起きて働いて食べて寝て・・・・の毎日の連続では空しく寂しくはないだろうか。文化を愛するには文化を知らなければならない。さいわいに私たちの周りにはすばらしい文化や文化財が多く残されてきた。先人たちの熱い想いが創造し、育み、継承してきた偉大なる財産である(後略)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


一日があっという間だ吊るし柿

2021年11月09日 | 時には日々是日

 9日のさぬき市地方は湿った空気や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は15度から17.3度、湿度は78%から58%、風は1mから4mの西の風が一時は強かった。明日の10日のさぬき市地方は、湿った空気や気圧の谷の影響で曇り、雨の降る所がある見込み。

 

 110/63/78 36.5c-99%-60.4Kg 20.4c-59%-1012hPa 体調にこれという変化はない。

 

 数字的にも変化はないし、あるとすれば体重の変化だけ。体重は別に変ったこともしていないのに63Kgになったり60Kgになったりと微妙に変化している。多分、水分量の変化だとは思うのだが、そんなに水分を摂ったわけでもないし尿が少なかったわけでもないのに・・・。

 

 さて、昨日の観光ガイドの時、名刺代わりに、こういう納め札を渡したのだが、渡してから、「あらら・・・、平成28年じゃないか」と思ったことだった。ま、誰もそんなことは頓着しないとは思うのだけれど。

 

 だから、朝の間、令和四年分の納め札を作り直していた。私の場合は「観光用の名刺代わり」の納め札だから、本物の納め札とは趣が違うもの。お大師さんの代わりに阿弥陀様が中央上部にどんと控えている。

 

 あくまでお客さん用の名刺札の納め札である。

 

 朝ドラが終わったら(朝ドラは見ていない)、少しばかりお出かけをしてみた。奥方が大好きな徳島県のJAさんの産直市場である。

 

 いや、別に野菜を買いに来たわけではない。

 

 今日のお目当ては、こういう渋柿である。「大和柿」だと職員は答えてくれた。そろそろ気温も下がってきたし、北風も冷たくなってきたので「吊るし柿」を作って飾ろうと思ったわけである。別に柿が食べたいわけではない。「吊るし柿」を作ってみたくなっただけのことである。

 

 子供のころには食べるものがなかったから、兄弟で渋柿を採ってきて、兄弟で皮むき競争をしたり、剥いた皮の長さを競争したりしたものだった。そういう感覚をふと思い出してみたくなっただけのことである。

 

 皮を剥くのは造作なくて、20個の柿は30分ほどで剥いて終わった。

 

 それでも、右手はこれこの通り。全くドジになってしまったものだ。

 

 それを紐で結んでおいた。これで吊るし柿になるのだが、最近は、もうひと手間掛けるようで、消毒のため、カビの生えないように熱湯に浸すのだそうな。そこまでせんでもいいと思ったのだが、時間はたっぷりとあるのだからとやってみた。

 

 熱湯に10秒間つけておいてから干すのだそうな。そのためにも、この紐で結んであるとやけどをしなくて済むらしい。

 

 吊るし柿用だから偶数個になっている。この場合は10対20個の吊るし柿になった。ただ、二階のベランダには物干し竿も干すところもない。とりあえず、一時乾燥ということで、ここに干してみた。でも、早速にカラスが「クレー、クレー」と鳴いている。カラス対策、サル対策も考えておかねばと思うことだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「この世にはいろんな山がある それぞれにそれぞれの頂きがある」というもの。「この世にはいろんな花がある それぞれにそれぞれの花びらがある」みたいなことか。人によって、それぞれの山のイメージがあり、山というと乗り越えなければならない試練にも感じるけれど、もう少し身近なものでイメージすると目標であったり、目的であったりするかも知れない。頂きはそれを乗り越えたとき、達成したときに感じるもので、そこから見えるものは、それまでの景色とは違うはず。昨日も、「浄土真宗のお坊さんが、なんで四国霊場のガイドをするのですか」という質問を受けたが、「あ、空海さんも「なむあみだぶつ」をお唱えしとったんです。山に登る方法はいくらもあるけど、その山の目指すものは一つなんですよ」とお答えしておいた。これも「荒了寛」さんのことばから。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


緋の紅葉映して手にする杓の水

2021年11月08日 | 時には日々是日

 8日のさぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、夜は雨や雷雨となる見込み。気温は18度から22.5度、湿度は82%から62%、風は2mから6mの東南東の風が一時は強かった。明日の9日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で明け方まで雨や雷雨となる見込み。その後は、寒気の影響で概ね曇るらしい。

 

 109/58/79 36.2c-98%-62.4Kg 18.5c-57%-1021hPa 体調に変化はない。

 

 今日は久々の観光ガイドのお仕事が入ったので、なんとなく昨日からソワソワとしていた。一時間という持ち時間にどこどこを案内して何々をしゃべろうかと考えると夜も寝むれない(夜は寝たけれど)。

 

 でも、9時過ぎには晴れてきて青空も見えてきて「ラッキー」と洗濯をして洗ったものを干してきた。

 

 ところがやまでらさんは県境の山あいにあるせいか、雨は降る、風は嵐のように吹き荒れる・・・。「どないしよう・・・」と思うばかり。

 

 でも、「やまぬ雨はない」「やまぬ風もない」と、いつもの野田屋さんに入ったが、月曜日だというのに行列である。もっとも、八十八庵さんはもっともっとの長蛇の列である。おうどん6、紅葉3、お参り1くらいかなぁと思うほど。(*個人的な感想)

 

 すると先ほどの雨がウソのように上がって陽もさしてきた。山の天気は変わりやすいというがまさに猫の目のようにコロコロと変わる。

 

 で、野田屋さん名物の「たらいうどん」で温まったことだった。

 

 今日のゲストさんは高松からの五名さま。約束の時間になると、おうどんを食べ終わって、ようやくに五名さまがそろった。13時から14時までのガイド開始である。担当するガイドは私と水口女史。真宗坊主と真言宗の大黒さん(お寺の奥様)のふたりである。ま、妙な取り合わせではあることだ。

 

 雨は降ったりやんだりを繰り返している。こういう紅葉狩りの方たちは雨を全く感じない様子で被写体に向き合っている。私たちも傘をさしたり、お堂や建物の庇の下からガイドする。

 

 大窪寺の大イチョウも、軒下からのガイドになる。もう、このあたりで30分を過ぎている。

 

 せっかくの大窪寺の保存木、大イチョウである。傘のおかげで全体像が見えてこない。

 

 これからは大慌てで本堂やら大師堂のガイドを済ませ、仁王門のガイドでちょうど一時間のガイドを終えた。

 

 でも、一年半のブランクがあると、あれもこれもと話したいことはいくらもあったのだけれど、あっという間の一時間になって、話し足りないことがいくらも残ってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは 死ぬいのちをかかえているということ」というもので、「東井義雄」先生のことばである。いつ訪れるかわからない「死ぬいのち」をかかえて生きているということは、「生」そのものが当たり前でない、ただごとではないということを知ることで、初めてうなずくことが出来る言葉である。そしてそれは、「死ぬいのち」があるからこそうなずくことが出来るのではないだろうか。あの、3月11日の東日本大震災では、一瞬にして多くの方々のいのちが失われた。そして、今でも厳しい現実に身を置かれている方々が沢山いらっしゃる。しかし、さまざまな情報が流れ、さまざまな問題が浮上してきている中で、情報だけに振り回されている私たちがいるように思う。今回の掲示板の言葉は、では、私は今何をすべきなのか、何を考えるべきなのかを問われているような気がするのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


立冬にバラ売り娘の熱い声

2021年11月07日 | 時には日々是日

 7日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは湿った空気の影響で曇ってきた。気温は13度から20.6度、湿度は58%から74%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で曇り、夜遅くには雨や雷雨となる見込み。

 

 108/61/78 36.4c-98%-61.4Kg 16.9c-55%-1022hPa 体調に変化はないが、昨夜は30分ごとにトイレに起きた。だから完全な寝不足気味。で、あれだけ尿を出したのだから軽くなったはずなのに500gしか体重は減らなかった。

 

 今日は娘夫婦のお誘いで、「ニュー・レオマ・ワールド」というテーマパークにやってきた。ニューレオマワールドは丸亀市にある。

 

 宣言が解除されたからか、若い家族連れが大勢やってきていた。ま、こういう施設は若者や若い家族連れが多いもんだ。私らのようなおじいちゃんは、どうにもこういう流れについていけそうもない。

 

 で、今回の目的はこれ。「大バラまつり」というイベントである。奥方が大のバラ好きで我が家にも「バラ園」を作ろうと計画中。

 

 誰が誘ったのか知らないけれど、こうしてレオマワールドまでやってきたという訳である。

 

 バラまつりの前には「菊展」もやっているが、菊花展みたいには種類も数もない。このあたりだけ。

 

 アンコール王朝の寺院「プラサット・ヒン・アルン」を模した建物の周辺に6万本の「大バラ庭園」があるのだが、時期が早かったのか遅かったのか、感動するようなバラ園ではないように感じた(*個人的な感想)。

 

 それでも奥方は大興奮。花の匂いをかいだり花に触れたりと、まるでこどもがおもちゃ園に迷い込んだような喜びぶり。で、1本1,000円のバラの苗を6本も買ってしまった。

 

 娘夫婦はこちらがメイン。バイキングランチである。御覧のように若いカップルや子ども連れの若者がほとんど。たまに迷い込んだように私たちみたいな年寄りが何人か・・・。本当に何人か・・・。

 

 ま、私はこのくらいしか食べられない。お肉はだめ、固いものはだめ、油っこいものはだめ・・・・となると、食べるものは少しばかり。

 

 若い家族連れを見ていると、ひっきりなしにお料理を持ってくる。そんなには入らないやろ・・・と思ってもすぐまた、新しい料理を持ってくる。若さというものはすごいなぁと呆然とするばかり。

 

 同じ県内にありながら、こういう場所には用事がない私。どうにも人混みや行列は大の苦手。こんな緑の山ならば我が家にもたんとあるのになぁと思うばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけるなと教えるのは倫理道徳 迷惑かけて生きていると教えるのが宗教」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。人間は、親のもとにオギャーと生まれ、母乳をもらい、おむつを替えてもらうなどの世話を受けながら育ってきた。自分では何もできず、夜泣きで親は眠れないなど、それこそ迷惑をかけてばかりだった。やがて立って歩き、言葉を覚え、大きくなってきたが、親にとっては、夜泣きで眠れなかった夜までもが大切な思い出となった筈。大きくなる過程で、時には親に反発したり、親とケンカしたこともあっただろう。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことなど、その人の生きてきた人生は、親や兄弟、親戚と培ってきた何ものにも代えがたい年月であり、たくさんの人びとの思い出が詰まっている宝箱だったはず。人間は、広いつながりの世界で支え合って生きている。そうである限りは、家族という小さな社会においてさえ、誰にも迷惑をかけずに生きていくことは根本的に不可能なのだ。もし、心から周囲に迷惑をかけて申し訳なかったと思うのであれば、その気持ちを率直に表現すればよいだけのこと。家族の世話にならないといけないとしたら、「ありがとう」と素直に言って世話になる。感謝の気持ちを表すことで、周りの方と新たな何かが生まれてくるに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


沁みとおる赤のもみじや遍路道

2021年11月06日 | 時には日々是日

 6日のさぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていたが、夜は高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は10.4度から19.2度、湿度は86%から50%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 117/58/78 36.7c-97%-61.4Kg 15.1c-56%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 昨夜は弟と久々に飲んで食べて歌って・・・と大騒ぎをやっていた。ま、二人とも言うと言わんとストレスが溜まっていたものらしい。

 

 で、弟は朝食を食べて帰っていった。奥方はお休みだとかで野菜畑の手入れをやっている。

 

 で、私はいつもの前山の「交流サロン」でお勉強会。ちなみに「大窪寺道」というのは、87番長尾寺さんから88番大窪寺までの遍路道のことである。遍路道・・・というても、そういう専用の道があったわけではない。普通の庶民が歩く山道、あぜ道などを江戸時代から大勢のお遍路さんが歩いてきた道・・・というものである。

 

 あまり乗り気ではなかったのだが、ZOOMを使っての講演会だというので申し込みをしたのだが、スタッフとして会場に来てほしいと言われたので、ノコノコと出かけてみた。それだし、「知り尽くせるのか・・」という期待もあったりして。

 

 とうとう、観光ガイドもリモートで会議をやるようになったのかと興味半分で「記録写真係」という立ち位置で講演会に臨んだという訳だ。

 

 この人たちはプロなのかな、このマシンでパソコン画面からのプレゼン資料を配信したり、ビデオ画像をミキシングしたりしている。ほほう、こういうシステムでリモート会議は配信されるのかと、チラチラ見ながら全体の流れを聞いていた。

 

 言うては悪いけれど、「うむ、これは初心者用かな」とぽつんと思った。今日の講師の先生は深い研究もされていて「大窪寺道研究」の第一人者なのだが、今日は初心者用にやさしくお話されていた感じ。

 

 戦後、生活道路も拡幅され、自動車が走るようになり、やがてには舗装もされるようになった。でも、私が小学生のころ、昭和30年代はこういう山道が当たり前だった。

 

 こういう道を通って通学したものだった。それに、このあたりは私たちのガイドコースにもなっていて、話し出したら、私たちの方が面白いだろうし、足で勉強した事柄も多い。

 

 こういう専門的な事柄は時間的な制約もあったのだろうが全く触れられることもなかった。今度は上級者用の講演会をお願いしたいものである。

 

 こういうお話を少しでも、来年度のイベントや活動に生かせていければいいかなぁと思ったものである。

 

 今日のお昼は奥方が休みだからと「鍋焼きうどん」になった。今日は曇っていて肌寒い日になったものだから、温かいおうどんがおなかにしみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふみはずし 迷いとまどい きた道も ふりかえみれば仏になる道」というもの。私たちの五悪も五逆もみんなみな、私たちたちが生きていく上で必要な善玉の悪。私たちの迷いもとまどいも、それは私が生きて行く上で大切なことだった。そのことこそが、私が私なりに・・・佛になるための要素であったと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


大銀杏カメラマンの手に腕念珠

2021年11月05日 | 時には日々是日

 5日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から19.9度、湿度は96%から46%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/62/78 36.2c-98%-60.8Kg 17.4c-52%-1020hPa 体調に変化はない。

 

 最近は適当な運動と食生活の安定のためか体は落ち着いている。今日も天気がいいので、裏庭の草刈りの続きをやろうとしたけれど、昨夜来の雨で草木はずぶぬれ状態。これでは私がずぶぬれになるではないかとやめにした。

 

 で、やまでらさんの紅葉が見ごろだというので行ってみた。この右の建物が「本坊」である。この「本坊庭園」の紅葉が見ごろだというのである。この画像の左手である。

 

今日は平日ということもあるのか、人影はまばら。時間帯が早かったせいもあるのかも知れない。この時期のお客さんは、紅葉見物4,おうどん4,お参り2・・・くらいなものだろうか。いやいや、紅葉6,おうどん3、お参り1かも(*個人的な感想です)。

 

 美的感覚はそれぞれだから、何がきれい・・・というのはむつかしいところ。でも、今日、見た感じでは10人が10人ともカメラ片手に紅葉見物と言ったところ。

 

 私的には、毎年毎年見慣れているものだから、「ふ~ん」というところ。こういう時期になったのか・・・という感じ。

 

 この方はプロの方だろうか。三脚を構えて、レンズも数本を用意して、ただただ・・・紅葉を眺め続けている。どこかにベストポジションはないか、何かいい絵が取れないか・・・と思案している様子。確かに自然は一瞬だからね。

 

 こちらがやまでらさんのメインになる「大イチョウ」。年齢不詳。高さ26m、このあたりではトップクラスの大イチョウらしい。県の保存木にも指定されている。

 

 ちなみに、イチョウは「紅葉している」とは言わない。イチョウの葉は、もともと黄色い色素も緑の色素も持っている。それが、この時期になると、生きるために必要だった葉緑素の「緑」がいらなくなって退色してしまう。そのために素地であった黄色に戻るだけだとラジオで聞いた。真偽のほどは確かめようがない。

 

 この時期、誰が始めたのか知らないけれど、石像にイチョウの葉っぱを差し込む人がいる。本来は錫杖や剣や武器を持っていたはずの手に、落ちたイチョウの葉っぱを持たせるのである。それがなんとなく似合っているようで、おかしくもあり楽しくもある。

 

 今日のお昼は唐突に「ところてん」になった。食欲がなかったせいもあるし、時間的な余裕がなかったせいもあるし、体重が気になっている部分もあるし・・・。

 

 午後からは三男の弟が草刈りのお手伝いに来てくれた。こういう斜面になると私の力では草刈りができない。そこを彼は一気に草を薙ぎ払ってくれた。で、15時過ぎから宴会になっている。

 

 で、島の家の草刈りや庭木の剪定作業の打ち合わせ会にもなっている。今年は島の家の柿の実を食べることはかなわなかったが、来年用にしっかりと柿の木の選定作業もやっておきたいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「たった一つしかない自分を たった一度しかない人生を 本当に生かさなかったら 人間に生まれてきた甲斐が無いではないうか」という、山本有三さんの言葉から。路傍の石に、この一節がある。
たった一度の人生だから、大切にしたい
たった一度の人生だから、やりたいことをやってみたい
たった一度の人生だから、夢をもって生きたい
たった一度の人生だから、出会いを大切にしたい
たった一度の人生だから、いっぱい幸せを感じたい
たった一度の人生だから、・・・
「たったひとりしかない自分を、
  たった一度しかない一生を、
 ほんとうに生かさなかったら 
 人間生まれてきたかいがないじゃないか」
は、まさに自分がこの世に生を受けた証しを、「どのように活かすか」の一言に尽きると思う。何も名を残すことが大切だとか重要だとは思わないが、誰も知らなくても良いから、「これは自分がやったのだ」という足跡だけは残したいもの。それが私の「世界に一冊だけの本作り」「どこの本屋さんにも売っていない本作り」。そんなことを、73歳になって再確認するところである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


紅葉冷え永久欠番の枯れ葉散る

2021年11月04日 | 時には日々是日

 4日のさぬき市地方は上空の寒気や湿った空気の影響で曇り、夕方まで雨や雷雨となる所があった。夜は高気圧に覆われて晴れる見込み。気温は12.2度から19度、湿度は76%から52%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 96/57/79 36.3c-97%-60.2Kg 17.3c-55%-1017hPa 体調に変化はない。最近、少しばかり体重が減ってきたし身体も軽くなったような感じがするが、特段の節制とか新しいことを始めたということはない。

 

 あ、梅シロップを作るときに買ったリンゴ酢が余っていたので、毎朝くらいに大匙いっぱいくらいを飲んでいるくらいなもの。まだ四日目だから結果は出ないと思う。

 

またも裏庭の草刈りの最終場面にさしかかってきた。この右上のもこもこが気にいらないので、これを退治してみようと思い立った。

 

 最初は、この精鋭部隊で草や「おかめ蔓」を絨毯爆撃する。上空からの一斉射撃みたいなものである。

 

 上空からの攻撃の後は地上部隊のノコや鎌で掃討作戦を展開する。ところが、この「おかめ蔓」軍団はゲリラ戦みたいに地下に根を張っていて、退治しても退治してもなくならない。

 

 こういうところを、鎌の手刈りで少しずつやっつけていくしかない。でも、このおかめ蔓はネット状に根を張っていて網の上を歩くみたいで安定しない。下手をすると長靴がズボッとネットを踏み抜いて元の地面に着地したりする。全く、ややこしいところだ。

 

 このビワの木も軽く剪定をしておいた。

 

 施工前・・・、

 

 施工後・・・、あんまり変わらんな・・・。明日も、この続きだな。

 

 うーん、全体としても、そんなに変わらんなぁ・・。結構、草を刈ったはずなのに。

 

 お昼前からは雨が激しく降りだしてきた。

 

 今日のお昼は相変わらずのおうどん、温玉きつねうどんである。

 

 天かすに大根おろしが入っている。少し前には、おうどんいっぱいでおなか満腹で胃が重くなって整腸剤を食後に飲んでいたが、最近は、その上にご飯やおいなりさんを食べるようになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな立場の人であろうと いつかはこの世におさらばする」というもので、中島みゆきさんの「永久欠番」という歌詞の一説である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。死を余儀なくされる現実を見ることが多かった中島みゆきさん。よく、「一生けん命やってきたのに、死んだらおしまい」という言い方を世の中はするが、それに疑問をいだいていたという。「せめて欠番であってほしい」それは中島さんの願望だった。「死」そのものには絶望は感じない。絶望を感じるのは、死んだ後に自分の代わりがいるということ。「生きていたことが別に自分じゃなくてもよかったんだ」と思えば、「はじめからいなくてもよかったんじゃなかったのか」そういう結論にいきついてしまうのだという。それではあまりにも悲し過ぎるではないか。むなし過ぎるではないか。中島みゆきさんは、生きようとして生きられない人や、もうダメと宣告されてもギリギリまで生きるような人の姿に尊敬を抱くことが多く、そのことがこの曲を書くきっかけになったという。「永久欠番」という意味は、功績を残したスポーツ選手を称えるために、背番号を永久にその英雄のために残し続けること。例えば野球のイチロー選手の背番号は「51」。長嶋茂雄さんの背番号は「3」、王貞治さんの背番号は「1」、川上哲治さんの背番号は「16」などたくさんの永久欠番がある。これらの背番号は、今も今からも誰もこの番号を使ってはならないとされている。この「永久欠番」を中島みゆきさんは、死んだ後の人間の存在証明としての意味を重ねている。「宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番」死んでもなお、かけがえのない命である、と。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


毎日が生きる覚悟の秋もみじ

2021年11月03日 | 時には日々是日

 3日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、上空の寒気や湿った空気の影響で夕方から曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は13度から20.5度、湿度は80%から50%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み

 

 102/58/78 36.3c-97%-60.4Kg 16.1c-56%-1018hPa 体調に問題はない。

  

 体調に問題はないのだが、なんでか昨夜は眠られなかった。で、久々に、本当に久々に「ラジオ深夜便」というものを聞いていた。聞きながら「あ、そうか」とか「あ、いい歌だなぁ」とかと思ったのだが、寝て起きると全く記憶にはない。で、1時間ごとにトイレに行くのだが、これまた眠たくはなくて、夜中のトイレで本を読んだりしていていた。

 

 で、今日は奥方の定休日だというので、お赤飯をたっぷりと作っていた。とにかく、お赤飯とお寿司は良く作る人だ。何のお祝いでも記念日でもないのにお赤飯を作っては友人知人に配り歩くのだ。

 

 で、まずは勤務先のお友達二人にお赤飯を届けておいてから、屋島の娘んちまで行ってきた。

 

 山奥にばかり籠っていたもので、たまに街に出ると、朝早くからうどん屋は行列だしホームセンターも駐車待ちの車の列。スーパーだって満車状態。感染症が落ち着いてきたから、みんなが一斉に街に集まってくるのだろうか。

 

 奥方はいつもの「ふーずらんど」という業務用スーパーに行けという。なかなかに、こういうお店に来られないものだから、ドレッシングでも一升瓶みたいな大きなものを何本も買う。コロッケやらカキフライやらもお店をやるくらいに買い込むのだ。

 

 こういうものだと、お仕事から戻ってもすぐに油で揚げればそれで済むらしい。

 

 私がトイレに30分ごとに行って戻ってもまだ買い物を続けている。こどもがおもちゃ売り場から動かないみたいなもんだ。私は待ちくたびれて車の中で待機中。

 

 それが済むと、今度はおうどんである。ま、これも奥方のストレス発散みたいなものかなぁとあきらめている。

 

 ここには「温玉ぶっかけ」というメニューはないらしいので、今日は冬の特番メニューである「しっぽくうどん」にした。

 

 しっぽくうどん(小=一玉)で410円、じゃんぼいなりで100円の合計510円。しっぽくうどんは冬限定だが、早くも「冬」になったのかと思ったが、若いお客さんもスタッフもみんな半そで姿で夏衣装。

 

 おいしい・・・と思う間もなく完食してしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きることに満足せずして 何に満足するのか」というもの。人間の根本的なことは「生きる」ということ。それには「食べる」ということが必要になり、「生き抜く」という力が求められ、そこから更に「学習」だの「経済」だの「文化」だの」「宗教」だのが求められる。この地上にあるすべての生き物は、「生きる」と言うことに「満足しなくては」次のステップが踏み出せない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 


秋の峰遠い晴れ間の色使い

2021年11月02日 | 観光ガイド的日常

 2日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、湿った空気の影響で夕方からは曇ってきた。気温は13度から21.6度、湿度は84%から42%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 99/57/78 36.3c-97%-62.2Kg 17.8c-60%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 最近は尿もよく出るようになったし、平たん地を歩くのは問題ない。ただ、坂道や階段を昇るのには呼吸困難になって動けなくなる。

 

 さて、ご案内の通り、今日は観光ガイド大窪寺班の勉強会というか懇談会というか・・・である。今日も歩き遍路の方が一人ずつ5人の方が、ここで休憩をしていった。ここが「おへんろ交流サロン」という建物だが、ようやくにお遍路さんも動き出したような気がする。

 

 今日の議題は、早くも来年三月からのイベントの打ち合わせである。今の時期からでは今年中のイベントはもう不可能。企画・広報・募集・受け入れ準備・・・などを考えると、計画はもう無理、来年三月以降になってしまう。

 

 ところが皆さん、感染症対策が気になって気持ちが来年には向いていかない。来年三月になってイベントが組めるのか、人が集まるのか・・と心配してしまうのだ。

 

 観光ガイド・・・と言っても、いつでもイベントが組めるかと言うとそうでもない。冬場は寒いし雪が降るしでダメ、夏場は暑くて熱中症を考えると無理。となると、春か秋限定になってしまう。

 

 もちろん、やまでらさんの境内でのガイドは一年中可能だけれど、境内の建物や庭園の紅葉だけではイベントにはならない。そのあたりで話がストップしてしまう。で、来月12月上旬の勉強会へ継続事項となった。

 

 で、今日もイワシの味噌煮うどんになった。今日は新鮮野菜を用意してみた。奥方は野菜は煮るもの、炒めるもの・・・みたいな感覚の料理が多い。生野菜をザクザクと切って盛り上げるのは料理ではないみたいな感覚があるのだろうか。

 

 私は料理を習ったわけではないから、生野菜の上からおうどんを載せたり、おうどんの中に魚の味噌煮を載せたりとセオリーを無視して食べたいものを盛り上がるだけである。おいしければそれでいいのだ。右にあるのも生野菜を切って盛っただけである。

 

 お昼からは郵便局屋さんに行ってきた。

 

 予約しておいた年賀状を受け取りに行ってきたのだ。慌てなくても年賀状はいつでも買えるのだが、予約をしておくと少しばかりだが粗品をくれる。その粗品の中に「チューリップの球根」がある。奥方は、この球根が欲しいだけの事。でも、その球根が少しずつ減ってきて今年はたったの三個になってしまった。

 

 年賀状は毎年、インクジェットの無地を100枚と決まっている。今年は50枚少しで足りるとは思うのだが、余れば観光ガイドの案内状とか定例会休会のお知らせに使ったりしているから困ったり捨てたりはしない。

 

 今日の掲示板はこれ。「失っても失っても生きてしかない」という「鬼滅の刃」の中で、家族を鬼に殺された主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼になってしまった妹を人間に戻す方法を探すため鬼殺隊へ入隊し、仲間と共に鬼と戦う姿を描いた物語の中でのことば。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。人間、生きていれば何かを失うことは避けられない。人の命は永遠ではないし、友情も愛情もいつかは壊れてしまう。健康や夢や目標、彼氏・彼女、優しさ、生き甲斐・・・様々なものを得ては失い、生きていくのである。失った時に気づく大切さ。失って気づく有難さ。これが強ければ強いほど、心への反動は大きいはず。私自身、昨年には手術をしなければいけないほどの大病をし、今までできていた多くの事がまったくできない状態にある。ただ普通に歩けること、走れること、スポーツができること、これらがどんなにありがたいことだったのか、毎日のように思い知らされている。得るまではたくさんの時間がかかっていたとしても、失うときは一瞬である。そして、多くの場合、失ったものは返ってはこない。あまりにも残酷で、無慈悲な世界に思えるかもしれない。しかし、できることはこの現実を受け入れること。受け入れた上で今あるものに感謝すること。今与えられた環境の中で、できることをやること。どんなにつらくても、生きていかねばならない。生きていくことで見られる景色がある。生きていることで感じられる感情がある。今日という日を、少しでもいい日と思えるように。今日という日を、生きててよかったと思えるように。大切に、大切に、一日一日を過ごしてほしい。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


霜月に似合わぬ香りの花が咲く

2021年11月01日 | 時には日々是日

 1日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから曇ってきた。気温は14度から21.9度、湿度は94%から62%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の2日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 血圧95/59、脈拍78、体温36.2度、酸素濃度98%、体重62.4Kg、室温17.9度、室内湿度60%、気圧1024hPa 体調に変化はない。おなかの張りも足のむくみもない。

 

 昨日は朝食後、昼食後の薬を飲み忘れたらたちまちにして体重が65Kgにも跳ね上がってしまって呼吸困難になってしまった。だから、今朝はきっちりと薬を飲んだ。

 

 今日からは11月、霜月である。今月中に片付けたいことは片付けておかねば、12月になったら慌ただしくなりそうだから。

  

 明日の2日、観光ガイドの勉強会があるので、朝の間には、その会議資料やらレジュメやらを作っていた。本当はこんなものはなくてもよくて、みんなが意見を出し合えばいのだが、なかなかに私のリードが悪くて会話にならないことが多い。そこで私用の筋書きみたいなものだ。

 

 なんとまぁ、1時間ほどの勉強会に、こんなたくさんの資料がいるのか・・・。

 

 我が家の金木犀の「三度咲き」。お隣さんも金木犀が満開状態になってはる。生き物たちは子孫を残すために懸命に花を咲かせている。

 

 9時を過ぎたので、裏庭の草刈りの続きをやってみた。昨日はまるで動けなかったのだが、今日は足取りも軽く身体も軽い。

 

 で、今日の予定分はほぼ完了。今日は畳五畳分くらいは刈り払ったあろうか。ついでに自然に生えた庭木たちも剪定しておいた。

 

 一か月前にはこんなだった裏庭が・・・、

 

 今日で、こんなになった。二週間くらいはかかっただろうか。途中で「草刈り禁止令」もあったことだし。これで一安心というところ。これで草が刈れてしまえばすっきりとするはず。

 

 刈り払った草や木を、熊手などで掃き集めたらすっきりとするのだろうが、そういうパワーはなくなってしまった。刈り払うだけで精一杯。あと、この右上の草や木をどうにかしたいものだ。

 

 今日のお昼は温玉スペシャルうどんになった。しろいものは大根おろしで、その下にイワシの味噌煮が入っている。油揚げも天かすも入っているというスペシャルぶり。左のコップは漢方薬のせんじ薬。

 

 今日も生野菜が足りなかったなぁと、あとで気が付いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「折れてみて/初めて見えた鬼の角/折れた思いが/また角になり」というもの。どうにもならぬ苦悩を抱えて、生きる望みを失っている時に、仏の教えに出遇い、仏の教えに生きた詩人の浅田正作さんは、1988年に法蔵館から出版された『念仏詩集・骨道を行く』の中に「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた/それが深い悲しみとなったとき/ちがった世界が/ひらけて来た」と詩っている。この詩を読んだ時、私が今どう生きているのかと、問われていると受けとめた。「自分が可愛い/ただ/それだけのことで/生きていた」という生きようは、私の日常では当り前のことで、そのことが何も問題になることもなく生きてきている。しかし、浅田正作さんは、どうにもならぬ苦悩を抱え、生きる望みを失っている時に、救いの道を求め阿弥陀仏の深い願いに出遇ったのである。仏の願いに出遇うことは、私自身が阿弥陀仏の光に照らされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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