今年のNHK大河は「平清盛」だ。松山ケンイチさんの主演で始まった。どこぞの知事が「画面が汚い」とか言っていたが、まあ放っておいて(笑)、1年間楽しく見ようかな!?と思っている。
さて、民謡好きにとって、平清盛といえば、《音戸の舟唄》(広島県民謡)をまず思い出す。
♪ヤーレーノ ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨ
岩に渦潮 ドンとヤーレノー ぶち当たるヨ
「音戸の瀬戸」とは、小さな島々が点在する瀬戸内海で、船の往来のために切り開かれた場所。この工事のために、清盛が沈みゆく夕日を、扇で招き返そうとしたという話が知られている。
この話を聞くと思い出すのが、新潟県糸魚川市能生白山神社舞楽の最後の演目、陵王だ。
能生白山神社舞楽は稚児を中心とした地舞楽であるが、この陵王は、最後のクライマックスを飾る重い舞である。
この舞のなかで、長い演舞の前半の最終部で、「日を抱く手」という部分がある。舞台の真ん中に立ち、両手を徐々に挙げていく。右手に中啓をもち、両手を頭上にかざし、手を招くような所作をする。
これが、日本海に沈んでいく太陽を招く手であると、地元では言われている。
現在、中央の舞楽の「蘭陵王」にはこの手は遺されていないのだそうだ。しかし、伝承にはあるようで、地舞楽の世界にこうした所作が遺されているのは興味深い。
ところで、能生白山神社の舞台はどこを向いているか?方位磁石で測ってみると、ほぼ真西を向いている。境内では、舞台の前は「秋葉社」があるのだが、かつての神仏混淆のころは「薬師堂」であった。しかし!その延長線上を見ると、能生の名所の1つ「弁天岩」があり、そこには厳島神社が祀られている。
陵王は一体、どこを見て日を招いているのだろう?少なくとも西を向いているのは間違いないし、地元でもこの伝承はよく知られている。コレが、厳島神社を向いているとすれば、平清盛の話と結びつく。
何でもエピソードを結びつけるのはどうかとは思うし、実際、能生白山神社は、かつては現在とは若干ちがうところに位置していたことが分かっているので、この意識はないのだろう。この陵王と平清盛のエピソードと結びつけるのは無理がある。
しかし…厳島神社での「蘭陵王」の画像はよく見かけるし、この時代にあって舞楽の嗜みはあったわけで、そんなことをイメージすると、何ともロマンがある。少なくとも、民俗芸能で、鎌倉時代よりも前までイメージが遡れるというのは、舞楽と神楽くらいではないだろうか。
いろいろなイメージをふくらませると、楽しい。
さて、民謡好きにとって、平清盛といえば、《音戸の舟唄》(広島県民謡)をまず思い出す。
♪ヤーレーノ ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨ
岩に渦潮 ドンとヤーレノー ぶち当たるヨ
「音戸の瀬戸」とは、小さな島々が点在する瀬戸内海で、船の往来のために切り開かれた場所。この工事のために、清盛が沈みゆく夕日を、扇で招き返そうとしたという話が知られている。
この話を聞くと思い出すのが、新潟県糸魚川市能生白山神社舞楽の最後の演目、陵王だ。
能生白山神社舞楽は稚児を中心とした地舞楽であるが、この陵王は、最後のクライマックスを飾る重い舞である。
この舞のなかで、長い演舞の前半の最終部で、「日を抱く手」という部分がある。舞台の真ん中に立ち、両手を徐々に挙げていく。右手に中啓をもち、両手を頭上にかざし、手を招くような所作をする。
これが、日本海に沈んでいく太陽を招く手であると、地元では言われている。
現在、中央の舞楽の「蘭陵王」にはこの手は遺されていないのだそうだ。しかし、伝承にはあるようで、地舞楽の世界にこうした所作が遺されているのは興味深い。
ところで、能生白山神社の舞台はどこを向いているか?方位磁石で測ってみると、ほぼ真西を向いている。境内では、舞台の前は「秋葉社」があるのだが、かつての神仏混淆のころは「薬師堂」であった。しかし!その延長線上を見ると、能生の名所の1つ「弁天岩」があり、そこには厳島神社が祀られている。
陵王は一体、どこを見て日を招いているのだろう?少なくとも西を向いているのは間違いないし、地元でもこの伝承はよく知られている。コレが、厳島神社を向いているとすれば、平清盛の話と結びつく。
何でもエピソードを結びつけるのはどうかとは思うし、実際、能生白山神社は、かつては現在とは若干ちがうところに位置していたことが分かっているので、この意識はないのだろう。この陵王と平清盛のエピソードと結びつけるのは無理がある。
しかし…厳島神社での「蘭陵王」の画像はよく見かけるし、この時代にあって舞楽の嗜みはあったわけで、そんなことをイメージすると、何ともロマンがある。少なくとも、民俗芸能で、鎌倉時代よりも前までイメージが遡れるというのは、舞楽と神楽くらいではないだろうか。
いろいろなイメージをふくらませると、楽しい。