JR宍道駅前のこわた食堂で鍋焼きうどんを注文した 
土鍋の真ん中に生卵が落ちている。
この生卵を、いつ、どのように食べるか。
これが意外に問題なのだ。
厄介というほどのものではないが、うどんの上で浮遊する生卵を箸であしらいつつ、そのことについて様々な思いを巡らせなければならない。
生卵をいきなり突き崩して、うどん全体を卵とじ風にしてしまうのは好きじゃない。
せっかくのうどんが、全部卵の味になってしまう。
かと言って、生卵をそのままツルリと飲み込んでしまうというのも味気ない。
せっかくこうして縁があって、うどんの上に生卵がのっかったのだから、そこに両者の融合というものを成立させたい。
どんな方法で融合させたらよいのだろうか。
放置しておいたのでは両者は決して融合しない。
融合をはかるには、生卵を突き崩すしかない。
そのタイミングが難しい。
そうこうしているうちに、うどんのツユが次第に少なくなっていく。
いつまでもグズグズしているわけにはいかない。
何らかの決意をもって生卵に対処しなければならない。
不退転の決意と、重大な決意と、ただならぬ決意と、いろんな決意をもって事に臨まなければならない。
と言いつつ、食べてるうちに何らかの拍子で生卵が破れる。
破れてしまうと何だかホッとする。
破れてしばらくの間、ツユの上に浮遊していた生卵は、温暖化してやや温泉卵風になっていく。
地球の温暖化は様々な問題があるが、生卵の温暖化は結構なことだ。
温泉卵化した卵の黄身にからまったうどんは美味しい。
人生には決断しないほうがよい結果を生むことがある。
うどんの中の卵が教えてくれるのであった。