浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

物忘れ

2020-12-19 | 定年波止場

ずいぶん前から、人の名前などが出なくはなってきていたが、最近はびっくりするくらい物忘れが激しい。

先日も某病院の待合室で声をかけられたのだが、どう考えても名前がでてこない。

マスクで顔半分が隠れているのでわかりませんでした、なんて言い訳してる間にも親しげに話してくる。

この人誰だっけ…と焦りまくる。

病院の会計受付がその人の名前を呼んだので、やっとその人の名前がわかったのが不幸中の幸いであった。

そうでなかったら、(どうかこの場が穏便に済みますように)と願うばかりであったに違いない。

脳の働きが弱ってきたのだなぁと実感するが、それもまた自然の摂理である。

歳をとって視力や聴力が衰えたりするのは、余計な物事を見なくても聞かなくてもいいようにと神様の配慮らしい、

本当に必要なことは、歳をとっても覚えるという。

物忘れが激しくなると、細かいことはいちいち覚えていないから、人間関係もスムーズにいくことだろう。

名前を忘れる人は、自分にとってそれほど重要な人ではないのだ。

人間の身体というものは、うまくできていると信じて、これからは呑気に構えることにしようと思うのであった。

本日の一句

衰えは 神さまからの 贈り物

お粗末…

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がんばれ中華丼

2020-12-19 | B級グルメ

中華丼はおいしい。

わたくしは中華丼の味方である。

このことを力強く申しのべておきたい。

どうもこの頃、世の中全体が中華丼に対して冷たいような気がしてならない。

内閣支持率というものがときどき発表されるが、最近の中華丼支持率はどうなっているのだろう。

支持する   23パーセント

支持しない  47パーセント

あとの30パーセントは関心がない、といったところではないか。

即ち、世の中の大部分の人が「そういえばここ10年中華丼食べてないね」的状況にあるに違いない。

中華丼はまだある。

たいていのラーメン屋風中華料理屋のメニューにあるし、スーパーに行けば「中華丼の素」が売られていて、中華丼はしぶとく生きのびている。

中華丼は白っぽい塩系のものと、やや茶色っぽい醤油系のものがある。

醤油系の中華丼          

中華丼はレンゲまたはスプーンですくって食べる。

最後の一口分のご飯がなかなかすくいあげられない。

追い詰めると相手は逃げる。

それにしても中華丼。

全中国料理を代表する華麗な丼料理だな、と思わせるではないか。

中華丼と称しているのに、丼ではなく皿で出てくるのはいかがなものか、と思うのはわたくしだけではないと思ったりして。

などとくだらないことを書く、くだらないじじであった。

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顔の大小

2020-12-19 | 日々是好日

若い頃には、そんな話題など出たこともなかったが、いつの間にか「顔が大きいのはよろしくない」という価値基準ができてしまったようだ。

若い頃は顔の造作や体形については、自分だけではなく友達もそれなりに不満を持っていたけれど、顔の大きさについて話題が出た記憶はない。

世代的にみんな顔が大きかったせいもあるのだろうが、顔の大きさは話題になるようなものではなかった。

自分は顔がでかい。

帽子は59センチか60センチだ。

どうして顔が大きいといけないのか。

はなはだ不愉快である。

自分の顔面や体形に満足している人なんていないだろう。

ここがこうなればいい、ここもいまひとつと悩みは尽きない。

しかし世の中に生まれ出るときに、自分の身体をそのように作っていただいたので、それで生きていかなくてはならないのてせある。

顔が大きくたって卑屈になる必要はない。

顔の大小より他に大切なことがたくさんあるのだ。

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