スシ、テンプラ、フジヤマ、ゲイシャ、は外国人が日本を語るときの常套句だった。
テンプラもゲイシャもいまは影が薄くなっているが、寿司は健在である。
寿司もかつては日本を代表する食べ物ではあったが、地味な存在だった。
今の人にはわからないだろうが、「上中並」を「松竹梅」と言い換えたりしたのが昭和の時代だった。
当時の寿司は来客があった場合に出前で取るものだった。
一家そろって寿司屋に行く、ということもなかった。
回転寿司が日本で初めて登場して一皿100円。
高級食であった寿司の地位が一挙に下がった。
もちろん昔ながらの回転しない寿司屋もちゃんと残ったし、老舗といわれる名店も残った。
残ってはいたが、何となく世間から忘れられてるような存在になりつつあった。
世間の寿司に対する評価が、乱高下している時代がしばらくあった。
そして寿司は二極分化、一皿100円の寿司から10000円覚悟の時代へとなった。
休日ともなれば、一家のおとうさんが「今日は寿司でも食いに行くか」
と気軽に言う時代になった。
「寿司でも」と、「でも」付きで言う時代になったのだ。
高級寿司を食べ歩いた達人によると、初めて店のカウンターに座ったときは、威張りもせず卑屈にもならず平常心でカウンターへ向かうのが極意で、これはある程度の経験と年季がいる。
いずれにしても寿司が身近なものになったのは事実である。
木次駅前、和かな寿司のテイクアウト
回転しないお寿司屋さんの折
ごちそうさまでした。