春は眠い。
充分眠って、もうすっかり寝飽きて仕方なく起き上がり、フトンの上でしばらくボーッとしているとまた眠くなる。
そこでまた寝てみると、ちゃんとまた眠れる。
特に電車のような動くものの中での睡眠には一種独特の快感がある。
フトンの中の睡眠とは違った、恍惚の瞬間がある。
ウトウトから本格的な睡眠に入るその瞬間は誰にもわからない。
しかしその寸前は誰でもわかる。
この寸前がいい。
吸い込まれるような、引き込まれるような、深いところへ落ちていくような、安心と放心と解放の瞬間は、恍惚のひとときといえる。
ここに電車の揺れが加わり、一瞬我にかえり、そしてまた引きずり込まれるような睡魔が襲ってくる。
これだから乗り物の中のウトウトはこたえられない。
一方、家の中のフトンは揺れない。
朝の二度寝や昼寝は気持ちいいけど揺れない。
揺れと睡眠の話は続く。
同じ乗り物でも、電車と自動車では、この感覚が微妙に違う。
その違いは、身体の揺れの振幅の大きさと、周辺の視線の違いである。
自動車の中は、しっかりと身体をサポートしていて、一応安定した姿勢をとることができる。
電車の中では身体は常に不安定で大きく揺れ動く。
この大きく揺れ動くのが、なかなか魅力的なのである。
同じく動くものであっても飛行機の中の眠りはかなり違う。
飛行機の中のウトウトは、なにか重苦しいものがあって快感にはほど遠い。
眠りに落ち込んでいくときもドンヨリと暗い。
深い沼に足をとられて沈んでいくような、悲しいような、辛いような絶望的な眠りに落ちていく。
なのに飛行機は常に浮き上がろうとしている。
落ちていこうとするものを、常に引き上げようとしている。
このへんに飛行機の眠りの、何か重要なカギが隠されているような気がする。