缶ビールのフタを開けるたびに屈辱を感じる。
だってそうではないか。
缶ビールの開け口は指の先を差し込み、そののちその部分を人差し指一本に力を込めて、引っ張り上げて開けるあの方式。
あの方式をこのまま放置しておいていいのか。
メーカーは無理を承知でプルトップ方式による開缶を消費者に強要しているのだ。
あの隙間はわずか3ミリ。
この3ミリに人差し指を差し込めというのだ。
差し込んで開けろ、と言っているのだ。
あの部分に指の先を差し込むとき、多少の痛みを感じないか。
多少の痛みを我慢していないか。
多少の不快を感じないか。
我々の指だから多少の痛み、多少の不快で済むが、指の太い人だとどうなるか。
帰り大関照ノ富士や、オリンピック協会から謝罪があった渡辺直美は、どうやって缶ビールを開けていたのだろう。
ビールに我々が求めているのは何か。
壮快である。
明快である。
かつての瓶ビールは明快であった。
栓抜きでシュポン、瓶を傾けてドボドボ。
それだけだった。
いまの缶ビールはどうか。
たった3ミリのスキマにおそるおそる指先をネジネジ。
痛みを我慢してグイ。
けしからん…
歳をとって頑固、偏屈、依怙地に拍車がかかってきたジジババのボヤキであった。