丸かじりは痛快である。
かじりつき、食いちぎる、という行為は食べ物の食べ方の基本である。
原始にかえったような楽しさ、爽快感がある。
食べ物を生き生きと食べることができる。
懐石料理などのチマチマ、コマゴマ、ああしちゃダメこうしちゃダメ、といったバカバカしい約束事からすべて解放される。
いま、丸かじりの風潮が世の中から失われつつあるが、これは嘆かわしいことである。
どんな食べ物でもそれを食べるとき、たいていの食べ物が丸かじりできるのではないか。
トマトなど丸かじりのほうが断然美味しい。
トマトが美味しくなくなった、とよく言われるが、丸かじりするとどういうわけか不思議に昔のトマトの味になる。
よく冷えたトマトに、なるべく大きくかぶりつく。
かぶりついたら汁の落下を防ぐため、唇の全域をトマトに密着させる。
トマトの汁を一滴も残さず吸い取るには、それなりの年季とテクニックが必要だ。
昔の、あの懐かしい少し青臭いて酸っぱい味がするはずだ。
キュウリも丸かじりがいい。
キュウリは丸かじりするとバリバリと音がして、いかにも嚙み砕いているという快感がする。
ただし丸かじりする野菜は、夏の露地ものでないといけない。
野菜に力がないといけない。
秋冬のビニール栽培ものは、丸かじりに向かない。
だいたい「露地もの」という表現がすでにしておかしい。
野菜はもともとすべて露地ものであったはずだ。
野菜というものは元来、雨に打たれ風に吹かれて雨ざらし、野ざらしが当たり前なのだ。
雨に打たれてしなり、風に吹かれて揺れながら育つものである。
ビニール栽培の野菜は、風に吹かれて揺れるということが一度もない。
ただの一度もない。
生涯、一度も揺れることなくシンとして動かない、身じろぎもせずに育ち、花をつけ身を結ぶ植物というものがあるだろうか。
何だか怖い気がする。